コーディネーターリストCoordinator List

ホームJOIプログラムとは?コーディネーターリスト第7期

第7期 コーディネーターの活動報告

荻島 光男 Mitsuo Ogishima
第7期 タンパ/南フロリダ大学 国際センター
フロリダ州
大学卒業後、商社、外資系IT企業で働き、早期退職後は日本語教師養成学校に通う。NPO団体に所属して、海外で日本語、日本文化を教えるボランティア活動をし、JOI応募に至る。

タンパでの2年間を終えて

アメリカには仕事で何回も出張に来ていましたが、生活をするのは初めて。そしてフロリダのタンパも初めて訪れる場所でした。2008年8月にタンパに来た当初、毎週のように来るハリケーンに悩まされ、日中の突き刺すような強い日差しの中で、生活基盤を築くことに追われました。その後、2年間のJOIの任期を終えてアメリカを去る時には、タンパは私にとって一生忘れることができない思い出の場所となりました。

タンパは、人口34万人、州では3番目に大きな都市(フリー百科事典ウィキペディア『Wikipedia』)ですが、日米協会も日本企業もまったくありません。また、公式の日本人コミュニティもありませんので、すべてが手探りの中で、アウトリーチ活動(学校やコミュニティを訪問して日本文化を紹介するプレゼンテーションやワークショップ等を行なうこと)を始めました。新聞、インターネット記事で、日本文化・交流に関する記事を見つけては押しかけ訪問し、タンパに来た理由と共に自己紹介をして、ネットワーク作りを始めました。

タンパベイエリアには、日本との姉妹都市交流をしている都市がいくつかあります。クリアウォーター市と長野市、セントピーターズバーグ市と高松市、ラーゴ市と香美市、日米両市の担当者と相談しながら、写真展や記念行事のイベントを企画しました。特にクリアウォーター市と長野市は、50年にわたり、中学・高校生という学生レベルでの交流だけでなく、市民レベルでの交流が長く継続しています。前年度は長野の善光寺で行なわれている灯明祭と同じイベントを開き、地元の人達と提灯行列をしたり、今年は長野と縁のある真田幸村の鎧兜を市内に設置するお手伝いをしたりしました。ラーゴ市の場合は、香美市との姉妹高校提携の調印書作りのお手伝いや、日本から来た高校生およびライオンズクラブのサポートにあたりました。

アウトリーチ活動としては、プレスクール、小・中・高校、大学、養護施設、図書館、美術館、病院、ボーイスカウト、社会人コミュニティ等、様々な場所で、日本を紹介する機会をいただきました。何度か呼ばれた高校では、生徒が私の顔を覚えてくれて、短期間での彼らの日本語能力の成長を感じることができたのは、大変に嬉しいことでした。

派遣先の南フロリダ大学では、インターナショナルウィークに日本の文化紹介として、茶道の講演、琴とフルート、バイオリンのコラボ演奏を行ないました。また、食文化紹介ということで、地域のコミュニティに呼びかけて、「日本のラーメン文化」講演、および『ラーメンガール』という映画の上映会を実施し、学生向けにはアニメ上映会も行ないました。さらに、同大学は前年度、日本の国立大学と交換留学制度を締結して国際交流を進めています。そこで、日本から教授や学生が訪問した際には、そのサポートにもあたりました。また、日本人留学生に対して就職活動のアドバイスをしたり、日本企業への就職を希望しているアメリカ人学生も多いので、大学の就職支援部門の担当者全員に、日本企業の特徴、履歴書の書き方、面接方法等について講義を行なったりと、活動は多岐にわたりました。

フロリダにおける集客力が最大の展示施設は、オーランドにあるディズニーワールドです。その中の施設の一つ「エプコット」には、万博をイメージさせる「ワールドショーケース」という場所がありますが、そこの「日本館」には日本を紹介するギャラリーがあります。せっかく大勢の人が訪れる場所なので、是非ここでも国際交流基金所有の「日本の世界遺産写真展」を開きたいと思いました。ディズニーの担当者に会うのは中々難しいと聞いていたのですが、フロリダに来てから、今までお世話になった人々を通じて、紹介の紹介、そのまた紹介という形で、ついに担当の役員と会う事ができました。プレゼンテーション当日は、担当役員、マネージャー、デザイナーが勢ぞろいの中、UNESCO(国際連合教育科学文化機関)が選定している世界遺産の意義を説明し、その結果2009年11月から2010年5月まで半年間の展示が決定しました。

来場者が腰かけて写真を見たり、瞑想したりできるように作られたミニ石庭は、落ち着いた雰囲気を醸し出し、ゆったりと鑑賞できるようにデザインされました。開催初日には、在マイアミ日本国総領事館主催で、日本政府観光局ニューヨーク事務所もお招きし、オープニングパーティーを開く事ができました。14か所の日本の世界遺産の中には、京都、奈良といった日本を代表する観光名所もありますが、広島原爆ドームの写真もあります。これら人類の負の遺産を含め、日本の文化遺産を次の世代に引き継ぐべきものとして、半年間にわたって世界中のお客様に見てもらえたことは、大きな喜びです。

2年間、貴重な機会を与え、ご支援くださった国際交流基金、ローラシアン協会、南フロリダ大学, タンパの多くの皆様には、この場をお借りして、心から感謝申し上げます。

もっと見る
服部 聖 Hijiri Hattori
第7期 アセンズ/ジョージア大学 アジア研究センター
ジョージア州
大学院在学中、国際親善の役割を担いながらミネソタ州に1年間留学。専攻の英語やアメリカ研究、中学校・博物館でのボランティア経験、また印刷会社での企画営業職経験などが活かせると思いJOIに応募。

コミュニティの力を信じて

2年間過ごした町で、JOIコーディネーターとして何を残せたかを振り返ろうとすると、むしろ自分自身が教えてもらい、与えてもらったことの連続だったのだと実感します。特に、帰国まで1年をきった2年目に、ここに残せる何かを作りたいという思いで取り組んできたことが、よりいっそう私に多くのことを教えてくれました。そのことを経験させ、考えさせてくれた図書館での活動を、活動終了報告として紹介したいと思います。

学校訪問を中心にしていた1年目の活動に変化を加えたかったこと、この町だからこそ求められるニーズに応えたかったこと、1年間かけて築いたネットワークとノウハウを活かして一歩踏み出した活動をしたかったこと、さまざまな思いとタイミングが重なり、図書館で「紙芝居の読み聞かせ&日本紹介」を毎月開催することになりました。そもそものきっかけは、お子さんに日本語を教えながら生活してらっしゃる地域の日系のご家族から、お子さんたちがもっと日本語に触れられる機会を増やしたいというお話を伺ったことでした。そして、そういうニーズがあるならと「ジャパニーズ・ストーリータイム」という企画を図書館に持ち込むことになりました。

ところが、一番初めにぶつかった壁は「ジャパニーズ」の解釈です。このプログラムを「日本語で」(日本語を理解できる人のみに向けて)進めるのか、「日本の」お話を用いて英語で進めるのか、とても悩みました。というのも、JOIの大きな目標の一つが、「派遣された地域のアメリカ人の方々に対して、日本への理解を深める活動を行なう」ということだったので、「日本語で」だと、公立図書館という公の場で日本語がわかる人だけに向けた限定的な活動になってしまうと懸念したからです。一方で、英語だけでプログラムを進めたからといって、果たしてアメリカ人の方々が自発的・定期的に参加してくれるかどうかとても不安でした。そこで、学生からボランティアを募り、日本語と英語の2言語で、日本の伝統的な昔話を紹介しながら、国籍は関係なく教育的視点から子どもの視野を広げ楽しんで参加してもらえる「お話の会」、という形でプログラムを進めることになりました。

結果からいうと、このプログラムは大成功でした。日本語をお子さんたちに聞かせたいという日系のご家族が集まってくれたことに加え、身近な場所での国際交流の機会を活用しようとお子さんを連れてきてくださるアメリカ人の親御さん、初めて耳にする日本語の響きに興味津々でやってきてくださる方、また、紙芝居の手法と大きな紙芝居カードの絵に魅了されて毎回楽しみに来てくださる方、それぞれにプログラムの利点を見つけて来て下さる方が大勢いて、図書館の中でも人気のプログラムとなりました。しかも、この活動に対し地域の方から寄付金をいただき、プログラム自体をより充実させることができました。また、図書館のネットワークを使って、アセンズからもっと遠く離れた周辺の町にも「ジャパニーズ・ストーリータイム・キャラバン」と題して出張訪問し、より多くの人々に日本紹介をすることができました。

他に良かったことは、図書館という公共の場に日本人が定期的に集まることにより、プログラムの重要性と必要性を図書館側で認識してもらえ、同時にアメリカ人に対しても、こういった小さいながらも日系のコミュニティがこの町にも存在するということをアピールできたことです。そのことは、プログラム自体の成功とは別の形で、日米交流のきっかけ作りにつながっていくと思います。ここに参加してくれた子どもたちが、今度は自分たちの手で日米の交流をつないでいってくれればと期待しています。

そして、何より私自身この経験を通して学んだことがあります。1年目は何を活動の主体にしていいかわからずに学校訪問ができるところを手当たり次第に当たるという方法で、一人で連絡をとり、一人で学校に行き、一人でプレゼンテーションをしてくるということの繰り返しでした。毎日多くの小中学生に会え、そこで子ども達の目線で日本のことを紹介できたという満足感とは裏腹に、組織的な形にできなかったことに苛立ちを感じることがありました。地域にいる日本のアウトリーチコーディネーターは私だけで、自分一人で活動している気がしていました。しかし、2年目に図書館での活動をしてみて、場所を提供してくださる図書館があり、快く相談にのってくれる図書館員の方がいて、準備や練習に付き合い一緒に紙芝居を読んでくれる学生の協力があり、そこに毎月楽しみにして聞きに来てくださるご家族があることを目の当たりにし、アウトリーチはこのようにみんなで作り上げていくものなのだと強く感じることができました。

派遣されたコミュニティで求められるニーズを探し、そこを埋めていく、という作業はとても有意義でした。そして今、新たな年度になり、このプログラムが学生と地元ボランティアの方々の手によって継続されていると聞き、とても嬉しく思います。こんなところに草の根レベルで活動できるJOIらしさがあるのだと改めて実感しています。アセンズに派遣されたことに意味を見出せて帰国できたことに感謝しつつ、この経験を今後違った形で活かせていければと思います。

もっと見る
福崎 恵子 Keiko Fukuzaki
第7期 レキシントン/ケンタッキー大学 アジアセンター
ケンタッキー州
大学時代ケニアで1カ月間ボランティア。その後留学生と共に教材を作成し、大分県内の学校にて国際理解教育ワークショップを開催。福岡市NPO・ボランティア交流センターで勤務をする傍ら、開発教育NGOでも活動する中でJOIに出逢う。

日米交流の風

2年間の活動を終えましたが、今でも真っ青な空と豊かな牧草地帯がいつまでも続く道、ケンタッキーの人々の素朴で朗らかな笑顔を思い出します。

私が特に力を入れた三つの活動について紹介します。一つ目は、国際交流基金ニューヨーク日米センターから助成金をいただき開催した“Matsuri in Kentucky”です。ケンタッキーではどこの学校でも年中行事としてWorld Festivalを開催しており、昨年度は私も多くの学校から日本文化ブースの出展依頼を受けました。

そこで、こんなに多くの要望があるのであれば、日本文化ブースを生徒たち自身で運営する仕組みを作れないかと考えるようになりました。祭りの面白さは当日参加するだけではなく、そのために準備する、というところにもあります。開催する立場になれば、人をもてなすために、学んだことを人に伝えるという目標もでき、積極的に楽しく学ぶことができます。

毎年ルイビル市で開催され、10万人もの人を集めるWorld Festに在ナッシュビル日本国総領事館、ケンタッキー日米協会、ルイビル日本人会や多くのボランティアの方々と共に参加したのを皮切りに、“Matsuri”を独自で開催するための教材を制作し、動画付きでウェブサイトに掲載しました。

さらに学校の先生と協力し、学校行事としてJapan Festivalを開催しました。まずは7つのクラスにそれぞれ異なるテーマで日本文化についての授業を行ない、次にJapan Festivalの本番を迎えました。生徒たちは日本の畳の効用や、折り紙の楽しみ方、書道について等、私から学んだこと、自分で勉強したことをお互いに発表し、学び合いました。先生によると、初めて人前で発表をした生徒もいたそうですが、皆緊張しながらも一生懸命で私自身も多くを学びました。また、先生からは、「コミュニケーション能力を学ぶことができた。来年はアメリカの文化について同じやり方でしてみる」と言われ非常に嬉しかったです。私の授業を超えて自ら学び、そうして得た知識を多くの人に紹介する成長した生徒の姿を見て、とても心強く、頼もしく思えました。ある生徒は後日、社会科の自由発表で、日本についてさらに多くの人の前で発表をしたそうです。私のプログラムが、一時だけでなく、その後も子どもたち自身の学びにつながっていることはこの上ない喜びです。その他にも86の学校へ行き、約9,500人に授業を行なってきました。

二つ目の活動として、日本の伝統文化を広めることに力を入れました。2年目はお祭り等で能や茶道を披露する機会が多くなり、合計26回のワークショップを開催しました。どこの国でも伝統文化を学ぶことは難しいようですが、伝統文化を高尚なものと身構えず、それを身近に感じるためには個々の体験や人との触れ合いが重要です。能や茶道について参加型で実際に体験してもらったところ、ある学校の先生からは「現在はスピードを要求したり、華美なもの、安価なものが多い中でこんなに洗練された文化に囲まれながら自分の心を落ち着いてみつめるという体験は非常に素晴らしく、喜びを感じる」という言葉をいただきました。このような文化を超えた人類共通の喜びを、日本文化を通して味わえたことは大変貴重な体験です。

様々なイベントを各地で45回開催しましたが、中でも三つ目に力を入れた活動として特に印象に残っているのが、毎月開催した「夕べの集い/Monthly Conversation Forum」と“Japanese English Language Exchange Table (JELET)”です。夕べの集いは、地域の日本人の方にあるテーマについて語り合ってもらう企画です。また、JELETは日本人ボランティアとアメリカ人大学生が互いの言語を楽しく会話しながら学ぶという会です。日本人の参加者からは「恵子さんが開催するプログラムには英語が苦手でも気軽に参加することができる」という言葉をいただき、その後も続けて様々なイベントにも参加してもらいました。アメリカ人の学生からも「日本人の友達ができ、日本語を学ぶやる気が高まった」という声があり、大変やりがいを感じました。さらに、これらのプログラムは今後も日米協会や大学の日本語学科が継続して開催してくださるとのことで、大変嬉しく思います。

私は、ケンタッキーでの自分の役割は風であったと思っています。「風土」という言葉がありますが、土だけでは植物は育ちません。風があることにより種が運ばれ芽がでます。これを人にたとえると、土はもともとそこにいるケンタッキーの人々で、私は風です。私は多くの方からの協力のおかげで風として、たくさんのプログラムの種を蒔いて来ました。そして、その種をこれから育てていくのはケンタッキーの人々です。これから、日本理解の芽が少しでも多く、そして大きく育つことを願っています。

この場を借りて国際交流基金やローラシアン協会、大学や日米協会、地域のボランティアの皆様に厚くお礼を申し上げます。本当に2年間どうもありがとうございました。

もっと見る