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第9期 コーディネーターの活動報告

佐藤 嘉ン奈 Kanna Sato
第9期 ミネアポリス/ミネソタ日米協会
ミネソタ州
大学卒業後、日本語教師になるために名古屋YWCA日本語教師養成講座を受講。修了後、さらに日本語学を学ぶため、名古屋大学大学院に進み修士号を取得し、JOIプログラムへの参加を決意。プログラム開始まで「とよた日本語学習支援システム」に関わる。

新しく広がった友達の輪

ミネソタ日米協会(以下「JASM」)でのJOIコーディネーターとしての仕事を振り返ると、本当に多くの人に支えられ、助けられ、そして協力してやり遂げた2年間だったと思います。多くのことを経験し達成することができましたが、それもすべ全て周りの協力があってのことだと思っています。

JASMでは、デスクワーク以外にもアドミニとしてのオフィスでの仕事だけでなく、時にはインターン生に指導をし、イベントのコーディネート、FacebookやTwitterを使ったJASMの広報活動、そしてウェブサイトのリニューアルも行いました。オフィス外では毎週土曜日の日本語の会話サークル「Japanese Speaking Club」への参加、ほぼ月1回行っていた「Japanese Cooking Class」の企画立案、そして日本人学生の方々との交流も行いました。そのあったおかげで、ミネソタ大学学生団体のイベントには、JASM代表として参加し、イベントの宣伝もさせていただきました。

これら日々の活動により、今まで以上にミネソタ日米協会という存在を地域の皆さんに知っていただくことができたと思います。特にこれまでJASMの活動が行き届かなかった10代から30代の若年層のアウトリーチ活動を積極的に行ったため、会員の数も2年前よりもずっとと増えました。ボランティアが必要となるJASMのイベントには、日本人、アメリカ人に関わらず、多くの若い方々に参加していただいただき、本当に活気に溢れる活動ができるようになったと実感しています。周りの方々からも「若い人が増えた」「JASMの印象が変わった」という声をたくさん沢山いただきました。

何より、ミネソタに住む方々には「JASMのかんな」として多くの方に私という存在を知っていただき、ミネソタでの日本関係の質問についてたくさんご連絡をいただくようになりました。私もできるだけ地域の方々のリクエストに応えられるよう、ミネソタ内での日本関連の情報を集め、ミネソタに住む日本人や日本に興味のあるアメリカ人、日本関連団体などとつながりをもつように努務めました。最初の頃は、現地の人達とのつながりがなく困っていたのですが、今となってはDirectoryのように情報提供窓口の中心地としての役割を果たすことができるようになり、本当に2年でこうも変わるものかと驚いています。

そして、何より私がJASMでの活動を通じて忘れられないのは、新しくソーシャルネットワーキングのためのクラブ「かんな倶楽部」を作り、それをJASMの毎月のイベントとして採用してもらえたことです。毎回20人〜40人のJASM会員や日本に関心のある人達が日本食レストランに集まり、ゲームなどを通してネットワークを広げてもらう活動を行いました。JETプログラム同窓会にもご協力いただき、一緒にイベントのアレンジを行いました。もちろん初めての試みだったので、特に日本食レストランとの価格交渉、狭い店内でのスペースの確保はとても大変でしたが、周りの方の協力をいただき、これまで計10回行うことができました。合計参加人数はほぼ100人になります。JASMとしては今後も同じ名前で続けていく意向があるようで、このイベントに深い関心を持ってくれたことにとても感謝しています。

またJASM以外の活動では、今年の4月に日本人選手が所属していることもあり、ミネソタ唯一のプロサッカーチーム、ミネソタスターズFCの開幕戦を観戦するイベントをコーディネートしました。当日はミネソタ日本語補習校の先生方、父兄の皆さん、そして生徒の方々、Japanese Speaking Clubに参加しているアメリカ人と日本人、元JETプログラム参加者の皆さん、かんな倶楽部のメンバー、そして私がミネソタで知り合った多くの友人が集まり、みんなでミネソタのチームを応援しました。このようにいろいろなグループが一堂に集まったのは、初めての事だったと思います。参加していただいた皆さんからは、「日本語・日本文化という同じ興味をもった人達がたくさんいたのに、これまでみんな別々に行動していた。こうやって一緒に活動することができて嬉しい」というコメントをいただきました。

私が関わったイベントに参加してくれた人達のほとんどは、私がミネソタで知り合った日本人やアメリカ人の友人です。今まで出会う機会がなかっただけで、「わたし」というきっかけと「日本」というキーワードだけで多くの日本人、アメリカ人が集まり、最終的には新しいクラブを作ることができました。何より、ミネソタに住む皆さんの賛同があったからこそ、ここまでできたのだと感謝しています。そして、これを機に、イベントを通じて出会った人達が、日本人、アメリカ人の垣根を越えて新しく友達の輪を広げていくお手伝いができ、本当に嬉しく思います。JOIの任期終了後も、ここでの経験を活生かし日米の架け橋となる仕事を続けていきたいと思っています。

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日高 夢 Yume Hidaka 
第9期 アイオワシティ/アイオワ大学 国際プログラム
アイオワ州
大学を卒業後、母校の外国人向け短期研修で日本語インストラクター兼キャンプカウンセラーとしての経験を積む。その後、同大学の国際交流センターに勤務しながら地球市民研究(平和教育)認定証を取得し、JOIへの応募に至る。

Peace. Love. Iowa.

帰国を控えた私に先日、同僚が「Peace. Love. Iowa」のロゴが入ったTシャツをプレゼントしてくれました。アメリカに詳しい人でさえもあまり馴染みがないアイオワ州ですが、私にとってはこのロゴの文字どおり、アイオワ州は平和で穏やかな環境の中、愛と温かさに満ちた人々で溢れる素敵な所でした。そんな恵まれた環境で2年間、アウトリーチコーディネーターとして活動するかけがえのない経験をさせていただき、幸せでした。

「もっと多くのアイオワン(アイオワの人)に日本を伝えたい!」という一心で、2年目の活動は1年目にも増して様々な新しいことに挑戦しました。その中でも一番力を注いだのが学校訪問でした。初めの頃は緊張で震えていた声も次第に落ち着き、2年目ともなるとジョークを連発して子ども達の笑いを取れるほどになり、自分自身の成長に驚いています。アイオワ州内のできるだけ多くの市や町を訪れることを常に目標としていたため、時にはアイオワを東西に横断するハイウェイI-80を、日の出を見ながら運転して学校へ向かい、夕日を見ながら帰路に着く日も多々ありました。

特に思い出に残っている経験は、コーン畑に四方を囲まれた田舎の町の小学校を訪れたときのことです。いつものように子ども達に「みんなSushi知っているよね?」と問いかけたところ、クラスのほとんどがポカーンと口を開けて「Sushiって何だ?」という顔を見せてきました。その瞬間、ハッと気づかされたことがありました。海のないアイオワとはいえ、ある程度の規模の町ならスーパーや日本食レストランで寿司を見かける機会もあるため、みんなが知っているものだと思い込んでいたのです。そのとき訪れた町のように片田舎では日本食に触れる機会もないことに気づきました。だから彼らに全く意味のわからない質問を投げかけてしまい、自分の異文化理解への勉強不足を痛感させられました。このような経験をいくつも重ねて多くのことを学びながら、たくさんの教室を訪問しては、いろんな子ども達と”Konnichiwa”を笑顔で交わしてきました。

また、東日本大震災が起こった年はすでにこちらで活動を開始していましたので、震災後の1年間は義援金集めのためのイベントを開催したり、学校やシニアセンターなどで震災について話したりする機会も多く与えられました。1年が経過した今年3月には「3.11」の節目の活動に取り組みました。震災で被災した子ども達が世界の人たちへの感謝をこめて描いた絵を、在シカゴ日本国総領事館の広報文化センターから貸していただき、ショックを受けた被災地の子ども達の悲しい思いを一人でも多くのアイオワの人々に伝えようと、市立図書館をはじめ、日本食レストラン、公開ラジオ番組などで紹介することに努めました。幸運なことに時期を同じくして、ある非営利団体とアイオワ大学の学生の協力のもと、大学内の映画館を使って、”The Tsunami and The Cherry Blossom”というドキュメンタリー映画の上映も行うことができました。当日は163席が埋まり立ち見が出るほどの盛況で、上映後に参加者から受けた温かいメッセージや、人々が未だに震災への関心を高く持っていることに胸を熱くしました。

今年5月には州都デモインで桜の100周年記念祭が行われました。この100周年記念祭は首都ワシントンD.C.を中心に、日本から贈られた桜の100周年を記念して開催されたもので、その記念イベントの一つとして、デモインに20本の桜の若い木が贈られ、アイオワ州議会議事堂の庭に植樹されました。その桜の植樹を記念して、アイオワ州姉妹都市協会が音頭を取って式典を催したのです。私も着任早々からこの姉妹都市協会の活動にボランティアとして参加してきました。特にアイオワ州と山梨県の交流に深く関わらせていただいた縁もあり、式典の準備、進行に携わることができたことは大きな収穫でした。

2年間の活動だけでは日本への関心をアイオワ州で広めることに目に見える成果が残せたかどうか、確証はありません。それでも出会った人々の心に深く刻まれるような方法で日本の伝統や文化を伝えてきたつもりです。また、活動で使用した資料や教材などはアイオワ大学をはじめ、アイオワ州内で同じくボランティアとして日本文化の紹介に尽力されている方々へ寄贈させていただきました。アイオワ州における日本への関心、興味が今後、ますます広がっていくことを応援し続けて行きたいと思います。そして、デモインに植樹された桜がしっかりと根付き、アイオワの厳しい冬の寒さを乗り越えて生長して、美しい花を開かせる日がくるのも楽しみです。

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光林 瑠美 Rumi Mitsubayashi
第9期 バルパライソ/バルパライソ大学
インディアナ州
大学時代、マルタ共和国、米国カリフォルニア州に留学。国際文化研究を通して異文化交流に興味を持つ。特技の書道を活かして日本文化・伝統などを伝え、両国の異文化理解の架け橋になりたいと思い、JOIに応募する。将来は国際教育の現場に携わり活躍したい。

これからもつながるネットワークの輪

コーディネーターとして活動した時間は、私の人生の中で大きな意味のある2年間となりました。JOIを通して数え切れない人々と出逢い、日本、日本文化を伝えるために必死で駆け巡ったJOIアウトリーチコーディネーターとしての毎日は、とても楽しく、そこにはいつも人々の笑顔がありました。もちろん、振り返ってみると、楽しいことだけではなく、そこには挑戦すべき課題もたくさんありました。しかし、それを乗り越えることができた今、私が2年間で築き上げた和のネットワークは、これからもどんどん出逢った人たちによって繋がれていくのだと感じています。そして、そのバトンをつくることができ、とても嬉しい気持ちでいっぱいです。

2年目の活動目標は、より多くの学校やコミュニティへ足を運ぶことと、私が去った後も、今まで紹介した様々な日本文化活動を、学校やコミュニティで続けてもらうことでした。バルパライソ大学では、「日本・春祭り」という大きなイベントを開催しました。毎年30人ほどの参加者でしたが、この2年間で、異文化体験ブースをつくり、学生のパフォーマンスを増やしたことで、約150人にゲストが増えて大成功となりました。

また、図書館、老人ホーム、文化センターなどの施設とのネットワークも広がりました。老人ホーム訪問では、介護士の方と共に日本文化を紹介しながらできるリハビリ計画を担当しました。日本のラジオ体操を紹介したり、手先の運動のために、折り紙や切り絵、お箸の使い方を紹介したり、お年寄りのニーズに合ったアクティビティーを考えることで、それがリハビリにつながり、日本文化を取り入れた面白い企画の一つとなりました。

2年目の活動で最も印象に残っているのは、隣街にある「修行文化センター」の立ち上げのお手伝いです。一度足を運んでみると、そこには何もないただの建物があり、本当にここから文化センターをつくれるのだろうか少し不安になったことを覚えています。しかし、不安よりも好奇心が勝って、「絶対にこの文化センターを盛り上げ、地域の方にもっと日本を感じてもらえる場所にする」という意気込みが強くなりました。看板や内装づくりなどに取り組み、その後、文化クラスやワークショップの計画を立て、月に一度のワークショップと週に一度の書道クラスを担当することになりました。料理、漫画、折り紙、伝統文化教室などの、日本文化を紹介できるクラスを設け、書道クラスでは、地域の方々が気軽に楽しく書道ができるようにアットホームな雰囲気にするよう心掛けました。1年前、何もなかったところからスタートした修行文化センターは今では、100人以上が集まる文化センターとして大変盛り上がっています。

学校訪問で印象に残っているのは、家庭や学校生活を通して心に傷を抱えている子ども達が行く特別学校への訪問でした。社会福祉士の方と一緒に仕事をする機会があり、特別ゲストとしてその学校へ訪問する依頼がありました。私はいつものように学校訪問へ出かけ、そして、いつものようにプレゼンテーションをしました。プレゼンテーション後、一人の女の子が駆け寄って来てくれ、とても熱心に質問をし、色々と楽しい会話をしたのを覚えています。

数ヵ月後、日本語授業のあるクラスを訪れました。いつものようにプレゼンテーションを始めようとした時、教室の前から2番目の席に座っている生徒に気が付きました。それは、数ヶ月前に特別学校で出会った、あの熱心に私に質問してきてくれた女の子でした。彼女はす直ぐに近づいてきて、数枚の写真を鞄の中から取り出し、その写真を私に見せてくれました。その写真は、特別学校を訪問した時に撮った、私と彼女が浴衣を着ている時の写真です。私が訪問して以来、心の問題を克服する努力をし、普通学校に帰るように頑張ったことを聞きました。そして、今では日本語を勉強し、将来は大学へも進学したいということを私だけに話してくれました。そして、お守りとして2人の写真をいつも鞄に入れてくれていることも話してくれました。私は、胸がいっぱいになりました。アウトリーチを通して人の人生を大きく変える出逢いがあるなんて思ってもいませんでした。アウトリーチを通し、彼女の様に日本文化に興味を示してくれた生徒が数多くいることはとても嬉しく思います。2年間、素晴らしい出逢いと貴重な経験の毎日でした。この2年で築き上げた日本文化理解の和のネットワークがこれからもバルパライソを中心に多くの学校、コミュニティに広がっていくことを願っています。

最後に、このような貴重な体験を与え、2年間温かく見守り、ご支援してくださった国際交流基金日米センター、ローラシアン協会、バルパライソ大学、多くの皆様に心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

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