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ホームJOIプログラムとは?コーディネーターリスト第12期

第12期 コーディネーターの活動報告

片岡 愛 Ai Kataoka
第12期 バルドスタ/バルドスタ州立大学
ジョージア州
高校、大学時代のカナダ、アメリカ留学をきっかけに異文化に興味をもつ。留学先の大学で日本クラブ運営の経験や台湾の小学校で日本文化を紹介したことがきっかけで日本文化紹介に興味をもちJOIプログラムに応募。

バルドスタでの草の根交流を終えて

派遣先のバルドスタで過ごした2年間は驚くほどあっという間に過ぎていきました。何もないところから仕事と生活の基盤を作り上げるので精いっぱいだった1年目が過ぎ、活動の場を広げることを目標にした2年目はより多くの人に日本の文化を紹介することができました。

2年間のJOI活動の中で一番苦労したことはアウトリーチ先を探すことでした。活動を認知してもらうまでにはたくさんの壁に直面し、最初の数カ月は活動できる場所を開拓することに多くの時間を費やしました。学校の先生や担当者に送ったメールの返信がもらえず落ち込んだり、なかなか活動場所が見つからず焦る日々が続きました。そんな中、アジア教育に力を入れている大学の担当者が集まる会議に参加し関係者の人を紹介していただいたり、また毎年開催されるバルドスタ市のインターナショナルフェアの担当者と顔合わせをするなどして人脈を広げることから始めました。

少しずつ活動が軌道に乗ってきたころに訪問先の小学校で出会った先生に言われた言葉が印象に残っています。「この地域に住んでいる子供たちは経済的に厳しい家庭環境の子たちが多く、外国はおろか国内旅行もできない家庭が多い。そんな中、あなたが日本人の代表として自国の文化を紹介する活動は、子供たちに異文化を認識させ、彼らの視野を広げ、世界へと飛びたつ可能性を作る道筋となるでしょう」。この言葉はアウトリーチ活動の意義を再認識するきっかけになりました。異文化交流をする機会が少ないこの地域で可能な限り多くの場所に出向き活動していきたいと強く思い、これを2年目の目標にしました。活動範囲をフロリダ州南部からジョージア州北部までに広げ、依頼があれば車で3時間から4時間、時には6時間かかる場所にも出向きました。各地で行われるインターナショナルフェアにも積極的に参加し、その結果2年間で延べ約2万人の方と出会い日本文化を紹介することができました。

アウトリーチ場所は主に小、中、高、大学、図書館やYMCAなどで、一番印象に残っているのが小学校及び中学校訪問です。プレゼンテーションの内容には生徒たちの身近な関心事である食生活や学校生活、衣服などを盛り込みました。その他に浴衣の着方デモンストレーションや折り紙、箸の使い方などの体験学習を取り入れました。最初は興味がなさそうな生徒たちも途中から興味をもって聞き入ってくれるようになり、知らないことをもっとよく知ろうと質問をしてきてくれたりしました。楽しみながら日本文化を知ってもらうことができました。生徒たちからだけではなく、先生からも「とても教育的な内容でした」「子供たちにはもちろん、私たち教師にとっても充実した内容でした。ありがとう」と感謝の言葉をいただき、とても嬉しくやりがいを感じました。現地に滞在して本当に自分が役に立っているのか不安になる時もありましたが、このような言葉や生徒たちの喜ぶ顔に支えられ2年間頑張ることができました。

バルドスタ市では毎年インターナショナルフェアが開催されます。アジア、アフリカを中心とした各国の代表者たちがプレゼンテーション、パフォーマンス、体験活動を通して自国の文化を伝えるイベントです。2日間で約3,000人が来場します。2年目は日本ディレクターとしても活動し、会場設営からプレゼンテーション、パフォーマーへのダンス指導や当日の動きの指示を担いました。パフォーマンスでは地元の中学生、高校生と日本人留学生に協力してもらい、日本の民謡であるソーラン節と和服の帯の結び方を実演しました。アメリカ剣玉協会の方々にも参加していただき、プロの剣玉パフォーマンスを披露してもらいました。

その中でも一番時間を費やしたのはソーラン節のダンス練習です。週1回4カ月にわたり練習が続きました。途中で飽きてしまう生徒もいて、長期間モチベーションを維持させる指導の難しさも痛感しました。音と動きがかみ合わず、一人一人の動きもバラバラだったダンスでしたが、長期間の練習の甲斐があり、本番では息の合った踊りを披露してくれました。そのダンスを見た時は、彼女たちを誇らしいと思う気持ちでいっぱいになりました。

ボランティアへの指導やパフォーマーへの指揮等とても忙しく大変でしたが、イベント全体を通してやり遂げた充実間は格別でした。それは同時に自分の自信にもつながりました。

この草の根交流活動は、異文化を学びながら人種や国を超えてお互いを理解するきっかけになるものだと思います。その一員としてこの活動に携われたことは私にとって貴重な経験となりました。

最後に、この機会を提供してくださった国際交流基金及びローラシアン協会の皆様、現地で支えてくれたスーパーバイザー、日本人留学生、インターナショナルフェアのディレクター、また受け入れてくださった機関の関係者すべての人にこの場を借りて感謝いたします。

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庄嵜 由紀 Yuki Shozaki
第12期 デモイン/カルチャーオール
アイオワ州
高校時代にアメリカへ留学、本物の「異文化交流」そのものに感動、魅了される。大学卒業後にオーストラリアで日本語教師アシスタントとして働き、帰国後は公立中学で講師(英語)として働く。その後日本語教師養成講座を受講中、JOIプログラムに出会い、「これぞ自らの経験を生かせるチャンスでは!」と思い応募。

私は日本人。あなたは〇〇人。そして、私「たち」は「地球」人!

およそ2年と半年前、募集要項を見てすぐに「これだ!」と思い応募を決意はしたものの、やる気と情熱で頭がいっぱいだったその反面、頭の片隅にひっそりと存在していた不安や心配と格闘しながら、募集締め切りのギリギリまで考えを煮詰まらせていたのを今でも鮮明に覚えています。

そして、実際に選出・派遣をしていただいて、2年間という任期を全うした今心から思うことは…月並みな表現かもしれませんが、ただただ「挑戦してよかった!JOIコーディネーターとして働けて本当に良かった!」ということです。

初めは少し長くも思えた2年という月日も、今となっては「これは現実だったのだろうか」とさえも思えるほど早く、めまぐるしく、そしてとても充実したものでした。

私という人間を溢れんばかりの大きな愛で受け入れてくれたアイオワの土地も人も、そして日本から私の活動を支えてくださった家族や友人、そして国際交流基金とローラシアン協会を始めとする関係者の皆様に心からの感謝の気持ちでいっぱいです。

2年目に入ると、1年目の頑張りの甲斐もあって、アウトリーチのコネクションも一通り数が拡大し、更にはかつてお仕事をさせていただいた皆様の口コミを伝い、ワークショップのアウトリーチ活動の他にも様々な方面から色々な種類のお仕事をいただくようになりました。

その中でもひとつ印象深かったのは姉妹都市関連の事業やプログラムのお手伝いです。アイオワ州は戦後すぐに山梨県と姉妹都市提携を結び、この姉妹都市提携は日米間の中では最も古く、長い歴史があると言われています。そして何よりもすごいのは、それだけ長く関係を続けていることはもちろんですが、何といってもその活発さです。元来行われていた学生間の交流プログラムはもちろん、私の赴任中には新しくビジネスに焦点を当てた企業人や教師向けの交流プログラムなども遂行されました。

私は主に、計画の段階では日米両者の文化や礼儀を考慮したプログラム作りのアドバイス、またプログラム遂行中は通訳として同行・常駐し両者間の橋渡しをさせていただきました。学生間のプログラムというのは自身も昔参加させていただきましたし、同行もしました。しかしながら、「大人同士」となるとまた話は別。学生とはちょっと違った目線が必要になってきますし、滞在中の活動内容もただ「見て回る」だけというわけにはいきません。

例えば、一つは訪問期間中の滞在場所。もちろん、きっと真っ先に誰もが考えるのはホテルだと思います。「大人」ですから。しかしながら、今回私たちアイオワ側が提案したのはホームステイ。もちろん、経費云々の狙いがあったのも事実ですが、一番は「大人だからこそ」体験して欲しい、という想いでした。ビジネスが目的だからビジネスの現場だけを、教育が目的だから教育現場だけを…それだけでは本当の意味での交流にはならないのでは?現地での生活そのものを一緒に体験することで、これから先のヒントが見えてくるかもしれない、もっと深い部分での意見交換ができるのではないか、そういう想いでホームステイを提案させていただきました。

やはり、日本側の皆さんは初め躊躇しておられましたが、説得の甲斐あって同意していただき、実際にプログラムを執行。滞在期間中は様々企業や団体を実際に訪問、そして意見交換とネットワーキングの場も積極的に設けました。そして、最終日。いただいたのは「ホームステイをして本当に良かった。あの時、断ってホテルを取らずに正解でした!今までで一番貴重な体験になりました」という嬉しいお言葉と、他の何にも代え難い、皆さんの満面の笑みでした。

空港でお見送りをしたあと、アイオワ側の関係者たちと全員でハイタッチをして回ったのは言うまでもありません。

私たちが生きているこの地球には180以上の国が存在し、違う言語を使い、それぞれの歴史に伴って培われた伝統と文化に沿って生活をしています。ですから、「これはAだ」と今まで思い生きていたのに、「いや、これはBだ」と言われてしまうと驚愕してしまうのは誰しもあることで、仕方のないことだと思います。でも、決してどちらも間違っていないし、悪いことではない。反対に、言語も文化も違う、そんな中にもあっと驚く共通点があったりする。それが、異文化交流の面白さだと思います。

私もこの2年間はJOIコーディネーターとして、日本語や日本の文化に関する話を沢山してきましたが、その上で確立したのは自分の中にある日本人としての誇りと同時に「地球人」である、という想いです。

違いと共通点の両方を見いだし、それを互いに尊重し合える。そんな関係を築くために、これから先も小さなことからでもコツコツと自分なりに歩みを進めていけたらなと思います。

この2年間は本当に私にとって人生の転機と言っても過言ではないほど、大きな一歩でした。

挑戦して良かったと心から思います。本当にありがとうございました!

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中 博美 Hiromi Naka
第12期 マディソン/ウィスコンシン大学 マディソン校 東アジア研究センター
ウィスコンシン州
父親の転勤に伴い12年間韓国に在住。大学卒業後、日本語教師養成講座を受講。日本語教育能力検定試験に合格。日本語教師としてイギリス、中国、ロシアで勤務。日本文化発信、異文化理解の活動に賛同し、JOIプログラムに参加。

草の根交流の「365×2」日。

Holiday Folk Fairのグランプリ受賞

ウィスコンシン州では、毎年ミルウォーキー(州最大の町)でHoliday Folk Fairという国際文化祭りが開催されます。70年以上も続く、歴史のあるお祭りです。元々ルーツの異なる住民の相互理解のために生まれたお祭りだそうで、今でも国際理解教育のツールとして親しまれています。様々な国を代表するブースが立ち、売店では珍しい国の伝統料理がいただけます。他にも各国のダンスや歌、料理のデモンストレーションが楽しめるステージもあり、3日間に渡る規模の大きなお祭りです。私は2年続けてこのお祭りで働きました。1年目は子供向けのアクティビティのコーナーと、日本食のデモンストレーションを担当しました。また、2年目はミルウォーキー在住の日本人Dさんと協力し、日本ブースのオーガナイザーとして働きました。そして、この2年目に、日本のブースはBest of the Fairという、このお祭りにおける最高の賞を受賞したのです。この賞は、各国のブースの中から、入場者の投票と審査員の審査の総合点によって選ばれます。受賞された喜びは勿論ですが、何より、入場者の投票による受賞だということが喜びを大きくしました。

“You are patient(辛抱強い)”

JOIの2年間で現地の方に最も多く言われたのが、この言葉です。これは特に、子供たちに折り紙などの工作を教えた時に言われました。あくまでも私の印象ですが、アメリカで出会った子供は、私の知る日本の子供と比べ、わからない時にすぐに助けを求める傾向にあると思います。そして周りの人は、助けを求める子にすぐに手を貸します。これらの行動は「自分の要求を伝えられる」「助け合う」という点では優れた姿でしょう。ただ、これでは子供の成長には繋がりません。そこで私が子供たちに伝えたのは、「説明をしっかり聞いてゆっくりやれば必ずできるから、やり遂げろ」という事でした。そして、子供たちが自分の力で出来るまで何度も何度も説明をしました。また、既に出来る子達には、「助けるとは『やってあげる』ことではなく、『出来るように教えてあげる』こと」だと伝えました。そして、その様子を見ていた大人たちに言われたのが“You are patient”の言葉でした。

以前、“Struggle Means Learning: Difference in Eastern and Western Cultures(試行錯誤のもがきは学び:東と西の文化の違い)”という記事を読んだことがあります。アメリカの記者が日本の学校を訪問して書いた記事で、内容を簡単に言うと―西では、試行錯誤によるもがきは「自分は出来ない人間」という良くないイメージを本人に抱かせるという恐れがあり、プロセスはさておき、到達した結果を重視して褒める傾向がある。対して東では、試行錯誤のもがき自体に「諦めない」「粘り強い」「努力家」というポジティブな思考を見出す―というものです。これを読むと、アメリカの褒めて育てる文化が分かります。そして、私の指導が、東洋的であったことも。ただ、私の指導を、現地の方はpatientとポジティブに受け止めてくれました。文化の違いとその良さを指導方法でも示せたのは、(意図的にやったわけではありませんが)JOIらしい活動でした。

フランシーのハグ

学校訪問は単発のものが多いのですが、機会があれば、同じクラスを何度も訪問することもあります。フランシーのクラスには、週に3日、5ヵ月間通いました。フランシーは3年生の女の子。自分に余り自信が持てない様で、自分を悪く言い、写真に写るのも嫌がります。クラスメイトと楽しく話はするものの、触ったり触られたりすることも嫌がる子でした。そのクラスには定期的に通っていたこともあり、子供たちは私にとても懐いてくれていました。フランシーも私のことを好いてくれ、クラスに行くと側に来て、いつも私を褒めてくれました。そして、そのクラスでの仕事の最終日。クラスの皆と写真を撮りましたが、フランシーは写真に入りませんでした。授業が終わって帰る時、クラスの子供たちが次々にハグをしてくれました。フランシーも近くに居ましたが、ハグがしたくても出来ないという様子でした。そして、いよいよ帰ろうとした時、フランシーが私にハグをしてきたのです。短いハグ。でも、精いっぱいのハグでした。

この時のことを思い出す時、いつも思います。自分がJOIとしてどれほどの仕事が出来たかは分からない。でも、少なくとも、一人の日本人である私を、一人のアメリカ人の女の子が好きでいてくれたことは確かだと。それはJOIのような草の根交流のプログラムにおいて、本当は一番大切なことであるのだろうと。

私がこの2年間で関わった人達が少しでも日本を理解し、愛してくれたことを願います。また、未来のJOIコーディネーター達が貴重な体験を通して日米相互理解の体現者となることを願っています。

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仲野 麻未 Asami Nakano
第12期 チャタヌーガ/テネシー大学 チャタヌーガ校
テネシー州
大学学生時に米国ウィスコンシン州立大学に編入卒業。日本で中学校英語教諭、小学校英語講師として5年間半勤めた後、JICAの日系社会青年ボランティアとしてアルゼンチン日本語教育連合会で2年間活動。主に現地の日系社会の青少年の日本文化、日本語学習者支援を行い、JOIプログラムに参加。

チャタヌーガでの2年目の挑戦

1年目に続いて、2年目の活動もまずパートナー校であるチャータースクール、私立の小学校ブライトスクールを中心に、アウトリーチを行いました。特に2年目は1年目のネットワークを活かして活動範囲をナッシュビル、メンフェス方面にも拡大してより多くの学校を回ることができました。ナッシュビルまでは片道2時間半、メンフィスまでは片道6時間かかりました。また2年目をいうことで前年出会った生徒の成長をみることができとても励みになりました。

また2年目は新しいチャレンジとしてブライトスクールと茨城県水戸市にある私立英宏小学校との交流を推進し、クリスマスカ-ドの交換やビデオ交流をしたあと、6月にブライトスクールより希望者13名を連れて日本での10日間のジャパントリップを企画しました。生徒達は日本のご家族の家に1週間ホームステイをし、日本の学校を経験したり、東京一日観光ツアーを体験したりしました。また引率で本校の校長のOJモーガン氏も日本に来日し、今後もこの交流を継続予定です。

また8月には日本から15名の中学生を受け入れました。どちらの子供たちも新しい体験を沢山して、これからも友好を深めていって欲しいと思っています。

大きなイベントとしては、お弁当ワークショップとアジア・デーでの”Walk in U.S., Talk o n Japan” (「歩こうアメリカ、語ろうニッポン」)プログラムの受け入れがありました。お弁当ワークショップはボストンよりフードコーディネーターのデブラ・サミュエルズさんにテネシー大学チャタヌーガ校にお越しいただき、日本人のボランティアの方々の協力の下、当日40名分の日本のお弁当を作成するというワークショップを行いました。

アメリカでの日本食の人気もあって、あっという間に定員に達したイベントでしたが、3日間かけてお弁当の中身をすべて手作りし、本ワークショップでは実際に参加者がそれぞれのお弁当を作るという内容でした。目にも鮮やかな日本のお弁当にどの参加者もとても満足そうでした。

またデブラさんのとても温かいお人柄に私を含め、ボランティアで手伝った皆さんがファンになりました。このように現地の有効な人材を活用し、日本のいいところを現地の人々にアピールすることで多くの日本のファンが増えていくように感じました。また食べ物は抵抗無く新しく文化に入っていく入り口としてとても有効だと感じました。

このイベントをきっかけに現地の日本人のご家族、駐在者を中心に“チャタヌーガで日本文化を伝えるチームT E A M Chattanooga”を結成し、その後色々な活動を手伝ってくれる仲間ができました。

また、「歩こうアメリカ、語ろうニッポン」のイベントは内閣府が企画しているもので、今回は齋藤元大使をチームリーダーとして5人の専門家がテネシー大学のアジア・デーにやってきました。参加した大学生、教授、地元の方々総勢80名を5つのグループに分け、それぞれのスピーカーの方達とディスカッション形式で対話をしてもらいました。日本の経済のことから女性の地位の問題、日本の大学生の生活などバラエティーに富んだメンバーとの対話は、大学生にとってとても刺激になったと思います。

また2年目もアジアプログラムではテネシー州の中学、高校の社会の先生達のためのワークショップを冬休み2日間に渡って開催しました。私の担当は日本の昔遊び(ふくわらい、年賀状作り、百人一首など)、また風呂敷の使い方の講座、日本人の高校生の生活などをレクチャーしました。今後もこの先生方が授業の中で少しでも日本のことを紹介する折に取り入れてくれたらいいなと思っています。

2年間は振り返ってみるとほんとにあっという間でした。天職という言葉が当てはまるかわかりませんが、JOIの活動は私にとって毎日がとても楽しくどの活動もとても心に残っています。普段は全く出会うことのないであろう人口1,000人の町のmiddle of nowhereと呼ばれる土地にすむ中学生と、実際に一つの教室で顔と顔を合わせて授業ができること。目の前で日本の文化に目を輝かせて待っていてくれるアメリカの生徒さんたちがいることはとても幸せでした。このチャタヌーガというテネシー川のほとりのとても美しくかわいい街で地元の人たちにとても温かく迎えていただいたこと、また多くの方が日本に興味を持っていてくれることをとても嬉しく思います。

このような機会を与えてくださったローラシアン協会、国際交流基金の皆様に心から感謝申し上げます。また2年間見ず知らずの私をホームステイで受け入れてくれたモーガンファミリーと、温かく職場の一員として受け入れてくれたテネシー大学チャタヌーガ校のアジアプログラムに感謝いたします。

今後はまた2年間本大学に残って大学院生として日本語のクラスの指導とアウトリーチの継続をすることになっています。地元の人たちと協力しながらチャタヌーガでもっと日本のことを好きになってくれる人が増えるように、これからも楽しく活動できたらと思います。

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宮武 祐見 Yumi Miyatake
第12期 タスカルーサ/アラバマ大学 タスカルーサ校
アラバマ州
学生時代のアメリカ滞在をきっかけに、異文化交流・異文化理解に興味を持つ。教育現場で勤務をしながら日本語教師養成講座を受講。英語を日常生活で使いたい、日本について知ってもらいたいという思いから応募。

がむしゃらに駆け抜けた二年間

今でも2年前の赴任前研修で「派遣先はアラバマ州タスカルーサ市です」と言われた時のことを鮮明に覚えています。アラバマってどこ?スーパーバイザーはどんな人?何が求められているの?とJOIとして派遣されることが急に現実味を帯びた瞬間でした。

この2年間、JOIはチャレンジ精神と自立心を養う機会を与えてくれ、そして人の温かさを教えてくれました。アクセルとブレーキがどっちだったかすらも忘れていたほどの私が毎日車を乗り回すようになったり、家や車のことなどで問題が出た時に管理人や修理屋に一人で行ってどうにか解決しようとする勇気を与えてくれたり、多くのことを経験し、「生きる力」を存分に育てられました。

アメリカ生活を振り返って今思うことは、もっと長くいられたらな、ということです。前半1年はなんとか生活を立ち上げ、仕事先を見つけ、一刻も早く慣れるという毎日でしたが、後半2年はどうやって自分が帰国した後に繋げるか、残された時間で悔いなく何が出来るか、ということに焦点を当てていきました。

幸い2年目は1年目に行った活動が口コミで広がり、多くの方々から仕事の依頼を受けました。欲張りな私は予定が重ならない限り断らない、というスタンスで仕事を受け、2年目はほぼ毎日のようにアウトリーチを行うことが出来ました。これは毎週定期的にあった小学校訪問から単発のプレゼンテーション、イベントまで様々です。時には同じ日に3ヵ所で授業を行なった日もありました。ある日は5歳児に向けてのプレゼンテーションの1時間後に50~60代の方々に話す機会があったり、なかなか出来ない貴重な体験をしました。

学校訪問に関しては、1年目はどちらかというと日本にもともと興味がある子どもたちが多かったのに対し、2年目は日本について全く知らない、興味がない、という子どもたちと接することが多くありました。At-riskと言われる子どもたちのクラスに行くことが週の半分以上あり、それは自分にとって挑戦でした。At-riskという言葉の定義は様々で、英語を第二言語とする子ども、ADHDの子ども、低所得の家庭の子どもなど、授業を受ける際あらゆる方面で支援を必要とする子どもたちを大きく一括りにしたものです。私が訪問したのは集中力の維持が難しい子どもやいじめっ子たちが混ざっている小学校2クラスと中学校1クラスでした。これらのクラスから仕事の依頼がきたときは、「もし自分がここで行かなかったら、今後子どもたちは日本、もしくは外国について知る機会があまりないかもしれない」という使命感で引き受けました。しかし、現実はそう甘くはありませんでした。授業中に取っ組み合いが始まったり、暴言の数々、怪我の危険があるからと活動が制限される場面があったり、自分の無力さを感じることもありました。それでも、数ヵ月の授業が終わる頃には活動に意欲的になっていたり、日本に行ってみたいと言ってくれる子どもなど初めと態度が変わっている子どもがいて、それを見たときは感慨深かったです。

他にも2年目でイベントの進め方が少しずつ分かってきたころ、多くのイベントを計画し、そして運営を任されるようになりました。2年目には9つの大きなイベントを行いました。その中で印象に残っているのは2014年10月に行なわれたお弁当ワークショップと2015年3月に行われた”Walk in U.S., Talk on Japan”(「歩こうアメリカ、語ろうニッポン」)プログラムです。お弁当ワークショップは国際交流基金ニューヨーク支部主催のイベントで、ボストンから料理家のデブラ・サミュエルズさんをゲストスピーカーとしてお招きし、参加者に日本のお弁当文化について知ってもらい、事前に調理したおかずをお弁当箱に詰める体験をするというものでした。高校生、大学生、コミュニティーの方々52名が参加し、彩り豊かな日本食を楽しんでいました。

「歩こうアメリカ、語ろうニッポン」は内閣府主催のイベントで、政府に選ばれた5名がゲストスピーカーとして訪米し、それぞれが日本の政治、経済、女性の活躍などについて話す参加型のシンポジウムでした。ここでは会場決め、ケータリングの手配、チラシやウェブサイトの広告作成、ボランティアのコーディネート、会場設営、物品手配、プログラム作成など多くのことを経験させて頂きました。当日はゲストスピーカーと参加者およそ130名による意見交換が活発に行なわれ、とても有意義なシンポジウムになりました。両イベント後に聞いた「またやってほしい」という参加者の声と達成感は忘れられません。

JOIは自分が幼い頃からやりたいと思っていたこと一つ一つを叶えてくれる、そんな夢のような仕事でした。微力ながらも2年で築き上げた学校やコミュニティーと大学の繋がりが今後も続き、そして更に広がっていくことを願っています。このような素敵な機会を与えてくださった国際交流基金日米センター、ローラシアン協会、アラバマ大学、そして多くの皆さんに心から感謝申し上げます。

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