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第14期 コーディネーターの活動報告
アメリカ社会における思想間対立と郷土愛
JOIの活動を終え2年ぶりに帰国すると、会う人に「最近のアメリカは大変そうだね」「大丈夫だった?」と声を掛けられることがあります。日本の報道番組でも、アメリカ各地で起こる南北戦争時代の銅像撤去や民衆の対立・デモが毎日のように流れています。個人的には、アメリカ社会におけるこの激動の2年間を、JOIコーディネーターという立場で体感できた事は大変貴重だったと思っています。活動を振り返り、アメリカ社会の地域思想について、私が草の根レベルで感じたことを以下に共有させて頂きたいと思います。
まず、私が活動していたバージニア州南西部のフランクリン郡を中心とした地域は、人々の郷土愛が強く、伝統や生活文化に誇りを持っている住民が非常に多いと感じました。しかもこの傾向は年配の世代だけでなく、若年層の大多数にも見られることが多くの日本の田舎とは異なります。国勢調査によれば郡の人口も年々増加しており、過疎化を知らない地域と言えます。特に私が知り合った教職員の中には、この地域で生まれ育ち、大学や就職を機に都市へ移り住むも、再び故郷に戻ってきたUターン者が多く見られました。
その一方でこの地域には、現状の生活に事足りており自分たちの生活圏内から出ることが一生の間でほとんど無い、という住民も少なくありませんでした。もちろん経済的な理由が大きいのですが、小中高のクラスを訪問すると、飛行機に一度も乗ったことが無い生徒が大半で、バージニア州から出たことがない子どもたちも多く見受けられたのが印象的でした。また、住民の多くは国外の文化や料理等に目を向けることも少なく、時に狭い価値観も見受けられました。
これらは決して間違った傾向・習慣という訳ではありません。自分たちの生まれ育った地域を愛し、郷土の文化に誇りを持てる事ほど素晴らしいものは無いと私は考えます。そういった中で、私の考えるJOIコーディネーターとしての役割は、現地の人々の持っているそうした価値観や生活習慣に加え、自分たちの行動範囲から一度外を向くきっかけを与えることだったと考えています。そうすることで、子どもたちは将来の選択肢・可能性を大きく伸ばすことができ、幅広い視野を持った人間が形成されます。

また、現在のアメリカにおける教育制度に関して言えば、学習指導要綱と州単位で実施される年度末の習熟度テストに公立校の先生たちは縛られ、「無駄な」指導範囲を省き、いかに効率よく子どもたちの点数を伸ばすかという思考に陥っている事例もしばしば見られました。その中で時々、訪問するフランクリン郡の学校や先生の中には、JOIを始めとする草の根活動の理念や生徒たちへ与える影響を理解している方もおり、「外に触れる機会が少ないこの地域の子どもたちにとって、あなたの活動は本当に貴重なの」というお言葉をこれまでに何度か頂いたことがありました。限られた時間の中で、いかに子どもたちの学力を伸ばすかを求められている先生たちにとって、JOIの活動は一見指導範囲「外」に映るかもしれません。しかし、JOIの活動で紹介される日本的な考えや指導方法が、現地の学校での教え方に工夫をもたらすこともあり得ます。例えば、小学校低学年の算数で三角形や四角形などの幾何学を導入する際、簡単な折り紙を活用することを私は提案してきました。このように全く違う観点や考え方、発想を与えることで、JOIの活動が現地の教育制度の改善にも役立っていると思います。

また、周辺の町からも「特に田舎」と言われるフランクリン郡ですが、人口増加に伴い、少しずつ中南米や中華圏からの移民が増えているとのことでした。訪問していた小中学校にも、まだアメリカに来たばかりで英語が話せないという生徒もちらほら見られました。そういった生徒は、周りの子どもたちとの間で言語や人種といった壁を感じ、しばしば孤立していることもありました。私の赴任当初からJOIの活動に広く賛同・協力頂いた、郡教育委員会のミューズ指導主幹のお言葉を借りれば、「今後人種の多様化が進んで行くフランクリン郡において、他国の文化を学ぶ事は、学級の中でお互いを理解する事にも繋がっていく」と言えます。昨今のアメリカ社会が直面している思想間対立の根本的な解決には、JOIのような草の根レベルの活動が今後更に必要となっていくと再認識をした瞬間でした。

現行の指導要綱の壁を乗り越え、先生たちの意識を変えると同時に、人々の郷土愛の中に、何か海外・多様化する社会に目を向ける種のようなものを植えてあげることができないかと日々考えながら、活動に取り組んだ2年間でした。最後になりましたが、私のこれまでの活動にご支援・ご協力いただいた日本側・アメリカ側の皆様に厚く御礼申し上げます。本当にありがとうございました。
2年間を振り返って
2年目はあっという間に過ぎ、いざ帰国日が迫ってくると、全てが懐かしく、アトランタを去ることがこんなに悲しく感じるものとは想像もしていませんでした。
ここでは特に印象に残っているイベントを紹介していきたいと思います。
2年目前半は、毎年9月中旬に2日間開催されるアメリカ南東部最大の日本のお祭り“JapanFest Atlanta”の準備に追われていました。近年来場者は増加を続け、2016年度は、過去最高の約23,500人もの人々がジョージア州のみならず、近隣の州からも訪れ、大成功を収めました。日本の食べ物、伝統芸、文化に関するワークショップ等、来場者に楽しんでもらえるよう1年前から実施委員会のメンバーと話し合いを始め、計画を立てていました。私は子どものためのエリアを担当しつつ、助成金の申請書類の作成、会場設定、パフォーマーのスケジュール管理も担当しました。

また、熊本地震災害復興義援金も同時に募り、熊本県からは特別ゲストとして日本のゆるキャラを代表するくまモンを呼び、熊本の事やゆるキャラの紹介、くまモンダンスの披露をしてもらいました。子どもたちには大盛況で、アンケートから来年もぜひ子どもを連れてきたいという方も多く見受けられ、実行委員会メンバーの一人としてお祭りを盛り上げることができました。
2年目は期せずして、アトランタだけでなく、他の市からもお茶のワークショップの依頼を数多く受けました。私もお茶は大好きだったので喜んで受けていたのですが、日本のお茶の作法に従いそのまま実施すると、アメリカの参加者の方々を退屈にさせてしまうことも時にあり、途中から参加者に合った形に変更していきました。基本の作法には従いつつ、参加者が退屈しないよう日本の琴の音楽をかけたり、日本の四季折々の自然の風景をプロジェクターで映したり、実際に参加者にもお茶を点ててもらったりと、細かい作法はあまり気にせず、まずは日本のお茶に興味を持ってもらうことに重点を置くようにしました。
参加者からは楽しかったのでもう一度やって欲しい、今度は家で点ててみるのでお茶の銘柄を知りたいといった嬉しいコメントも聞け、日本に興味を持つきっかけを作れたことはとても嬉しく、アウトリーチ・コーディネーターとしてやり甲斐を感じた瞬間でした。また、各国に合った教授方法があることも学びました。特にアトランタではプレゼンターがどこかの節で「笑い」を入れる傾向がありました(南部だけでしょうか?)。ジョークで笑わせ聴衆の心を開き、内容に入りやすくするアメリカ人のプレゼン力は本当に素晴らしいと思います。実際にそれを学び、実践できたことは大変貴重な経験になりました。
最後に一番印象に残った活動を紹介します。帰国する約1か月前に開催された第27回日米草の根交流サミット奈良大会です。私はこのサミットにジョージア州メーコン市の政府ユースリーダーシップに所属している生徒15名、大人の付き添い5名と共に添乗員兼通訳として参加しました。これは奈良、金沢、黒部、東京を約2週間かけて訪問し、現地の学校訪問やホームスティを通じ、日米間の相互理解及び文化交流を図る交換プログラムです。訪日数か月前から日本の関係者と各種調整を始め、学生たちも日本で披露する公民権のプレゼンテーションの準備に余念がありませんでした。日本ではプレゼンテーションを合計4回披露する機会を与えていただき、どの発表の場でも賞賛の言葉を頂きました。アメリカのあまり知られていないヨーロッパ諸国からの多くの開拓移民と先住民インディアン間の歴史、奴隷解放、公民権に関して日本の方々に伝えることができ、実際に自らの言葉で語り伝えていくことの重要性を改めて実感しました。


海外へ行くのが初めての学生も数人おり、日米の文化の違い、言葉の壁に悪戦苦闘しながらも最後まで日本の文化や人々について前向きに学ぼうとしてくれる姿に何度も心を打たれました。短い滞在にもかかわらず、大学で日本語を勉強して親を日本に連れて行きたい学生や、JET( The Japan Exchange and Teaching Program)として日本に滞在し、日本の事をもって知りたいと言ってくれた学生もおり、この滞在で築いた関係を今後も長く続け、将来は何等かの形で日本とアメリカを繋ぐ仕事に就くきっかけになれば大変嬉しく思います。このプログラムを通して、参加者だけではなく、私も改めて、草の根レベルでの相互理解の努力は必要不可欠であり、こういった小さな積み重ねが2国間の友好関係を築く礎になるのだと実感しました。
最後になりましたが、最初から最後まで温かく見守り、サポートしていただいたジョージア日米協会のスタッフの皆さん、そしてこのような貴重な経験を与えてくださった国際交流基金、ローラシアン協会のスタッフの皆さんに心から感謝申し上げたいと思います。今後もこの経験を活かし、日本と世界を繋ぐお仕事をしていきたいと思います。
Try It Then You Know What It Is -やってみて初めてそれがどんなことかわかる
JOIの活動2年目に、私は大きなイベントに挑戦しました。ジャパン・フェスティバル、フィルム・フェスティバル、世界遺産写真展の開催です。
ジャパン・フェスティバルは学生のボランティアにお願いして、日にちや場所決め、広報など、一から全部自分たちで始めました。日本のお祭りのイメージで、ヨーヨー釣りなどのブースを10か所設け、真ん中のやぐらステージではソーラン節や盆踊りなどのパフォーマンスを行いました。キャンパスにある施設を借りて開催し、地域の方から学生たち、さらに大学のスタッフまで予想を超える合計23人の方にお越しいただきました。
国際交流基金ニューヨーク日本文化センター(JFNY)との共同イベントも行いました。そのうちの一つがフィルム・フェスティバルです。新海誠監督によるアメリカの映画とは違うスタイルの日本映画を2日間で3本上映し、文化の違いに驚いた声を多く頂きました。
JFNYとのもう一つの共同イベントは、世界遺産写真展です。写真家の三好和義さんが撮影した日本各地の世界遺産の写真約70点を、2つの会場で別々の時期に展示しました。会場選びから開催期間の調整、どの写真をどの会場にどのように展示するかまで、一人で動いて交渉し、そして会場での写真の展示を仲間に助けてもらって、みんなで一つの形にしました。フィンドレーは、アメリカから出たことのない人が多くいる町ですが、このイベントを通して、日本や広くはアジア文化について伝えることができたと実感しました。来場者の多くの方からアンケートで意見や質問を頂き、私自身が思っていたよりも反響がありました。この写真展を招致して本当に良かったと思います。
他に、この2年間を通して、Genki Kidsという放課後日本語プログラムを1学期に1回ずつ計4回開催しました。これは、日本語の歌やゲーム、アクティビティを通して、日本の文化に触れ、日本のことをもっと知ってもらうプログラムです。毎回、初めて日本に触れる新しい子どもや、以前にも参加してくれた日本のことが大好きな子どもたちがいました。

私にとって最後の学期のGenki Kidsで印象的なことがありました。Genki Kidsの対象は小学校3〜6年生の子どもたちですが、3年生の子どもを持つお母さんがそれを知らず幼稚園の弟を連れてきて一緒に参加させてほしいとお願いしてきました。その時のGenki Kids は期末最後の大きなイベントでソーラン節を踊ることを全体の目標にしていたので、私は彼にペースは速くないかなど頻繁に気に掛けるようにしていました。というのも、ソーラン節は多くのステップがあり、最年長の6年生ですら困惑していたからです。すると、その子が「この動作はできるかどうかわからないけど、挑戦してみることって大切だよね。」と私に言いました。この子の言ったことが、まさに私が2年間のアウトリーチで伝えようとしていたことなんです。知らないことや新しいことに出会い、学ぶ機会があるにもかかわらず、挑戦することを拒むことが、子どもだけでなく、大人にも見られます。初めて出会った料理や道具など、自分が好きか嫌いかもわからないのに、それを知ろうとしません。そこをどのように挑戦してもらうかを考えることが課題でした。
ある小学校3年生のクラスで、寿司作りをしました。みんなで巻き寿司を作り終えたところで、ある男の子が、寿司も海苔も食べたくないと言いました。今までに食べて嫌いなのか、アレルギーがあるかを彼に聞いたところ、彼はただ食べたくないだけだと言います。私は彼に、今日、寿司が好きか嫌いかを知ることができるし、もし好きだったらラッキーで、好きじゃなかったら次からは嫌いなことがわかるからそれもラッキーだね、と話しました。そして、彼は自分で作ったきゅうりアボカド巻きを、恐る恐る口に入れました。すると、彼は立ち上がり、大きな声でクラスメートに「寿司を大好きなこと今まで知らなかった!」と叫びました。これは、私の 2 年間のアウトリーチの中でも印象的な瞬間の一つでした。このことがきっかけで、私は、日本文化だけにかかわらず、他の国の知らない文化に対しても興味を持ち、挑戦する勇気を持ってもらいたいなと思うようになりました。

これらの他に、1年目に引き続き、派遣先のマッザ・ミュージアムに日本人絵本作家による原画の寄付を募る活動も行ってきました。そしてこの2年間で、絵本作家のさこももみさん、いりやまさとしさん、和歌山静子さんの3名のアーティストの方が、約70点の作品をミュージアムに寄付してくださいました。さらに、さこももみさんは2016年10月にマッザ・ミュージアムまでお越しくださり、彼女と小学校訪問を行い、日本の絵本がアメリカで読み上げられた瞬間に立ち会うことができました。

私がこの2年間全力でJOIの活動に取り組めたのは、ローラシアン協会、国際交流基金を始め、マッザ・ミュージアムやフィンドレー大学のスタッフ、日本人留学生や地域の方々、またアメリカで出会った友だちのサポートがあったからです。皆の支えなしで、この2年の冒険を終えることはできませんでした。ありがとうございました。
たくさんの“ありがとう”をもらった 2 年間
JOIコーディネーターとしてウエストバージニア州で過ごした2年間は、私にとってとても貴重な経験となりました。ウエストバージニアは人種のるつぼとも呼ばれるアメリカにありながらも、まだまだ異文化交流の機会が限られており、国際的な観点からは未発展ですが、実は外国や異文化に興味があってもっと学ぶ機会がほしいと思っている方がたくさんいます。また、トヨタ自動車のような日系企業もあるため駐在されている日本人家族もたくさんいたり、日本とのビジネスを促進しようと州政府が懸命に取り組んでいたりと、JOIプログラムの派遣先としてはまさに最適な場所でした。
派遣先が州の教育機関であったこともあり、2年間を通して私の活動の中心となったのは学校訪問でした。アウトリーチ活動全体の90%以上は学校訪問に従事し、2年間で州内の50校以上の学校を訪問しました。子どもとふれあうことが大好きな私にとって学校でのアウトリーチはとてもやりがいがあり、一番思い入れのある活動でもありました。2年目の学校訪問で特に思い出に残っているのは定期訪問をしたミルトン中学校へのアウトリーチです。その学校では FLEX (Foreign Language Experience)という様々な外国語を学ぶカリキュラムを組んでおり、7年生はいくつかのグループに分けられ、それぞれ6週間ずつ日本語を学ぶことになっています。私は各グループに4回ほど定期訪問をし、様々なトピックを通じて日本に関するプレゼンテーションを行いました。学年ごとに学ぶ言語が決まっているため、7年生全員が日本語を勉強しなくてはならないのですが、中には全く日本に興味がない子どもたちもいました。そういった子どもたちにどうしたら興味を持ってもらうことができるかを考え、毎回できるだけ多くのアクティビティを含めながら工夫してプレゼンテーションを行いました。各グループへの最終訪問では図書館を借りてお寿司作り体験を企画しました。事前の準備や後片付けに加えて、50分程しかない限られた授業時間で子どもたちにお寿司作りをさせるのは大変でしたが、「メグのおかげでお寿司の作り方がわかったから、今度は家族や友人に作ってあげたい!」と嬉しそうに話す子どもたちを見ると、私の見えないところでも日本文化の輪が広がっていく気がしてやりがいを感じました。1年が終わる頃には7年生ほぼ全員と知り合うことができ、学校に足を運ぶ度に子どもたちに声を掛けてもらえるのがとても嬉しかったです。学校訪問では単発のアウトリーチが多かったため、定期的に訪問をして先生や子どもたちとの関係を築くことができたこの中学校での活動はとても思い出に残っています。

真美さん(中央)・アメリアさん(右)

2年目は1年目よりも更に地域訪問に力を入れ、様々な年齢層、そしてより多くの方にアウトリーチすることを一つの目標としていました。私が派遣されていたチャールストンの町で催されるFestivALLと呼ばれる大きなアートのお祭りでは、Make & Takeというコーナーの一角で折り紙のブースを出展させてもらい、1日で150名以上の方に折り紙の歴史や作り方を紹介しました。また、ウエストバージニア・シンフォニーの主催するSymphony Sundayと呼ばれる音楽イベントでは、ウエストバージニアの州歌にもなっているカントリーロードを日本語で紹介し、参加者と一体になって歌うことができました。どちらのイベントも年に一度の地域の大イベントであるにもかかわらず、今まで海外からのゲストを招いたことがないからと私の参加をとても喜んでくれました。その他にも、マーシャル大学の一室をお借りして邦画上映会をしたり、いくつかの公共図書館と連携して無料でお寿司作りのクラスを開いたりと、活動は多岐に及びました。また、私が2年目を迎えた頃に、J-LEAP(国際交流基金の行う米国若手日本語教員派遣事業)でハンティントンの町に派遣された山口慧さんが日本語を教えているハンティントン高校で一緒にJapanclubを始めることができました。このように私が帰国した後にも続いていく活動があると思うと、とても楽しみです。2年目により力を入れた地域での活動では、老若男女問わず、これまで日本にあまり興味がなかった方へもアウトリーチをすることができ、「一人でも多くの日本ファンを作りたい」という1年目から掲げてきた目標の実現により近づくことができたように思います。

この2年間、これまでの人生では経験したことのない程たくさんの「ありがとう」の言葉を頂きました。そしてその言葉はいつも私の原動力となっていました。特に学校訪問で出会った子どもたちからの心のこもった手紙はかけがえのない宝物です。このような貴重な経験をする機会を与えてくださった国際交流基金日米センターとローラシアン協会、2年間に渡り公私ともにお世話になったスーパーバイザーの真美さん、そして日本からいつも応援してくれた家族と友人には感謝の思いでいっぱいです。たくさんの「ありがとう」の思いを込めて、2年間の締めくくりとしたいと思います。