コーディネーターリストCoordinator List
第17期 コーディネーターの活動報告
かけがえのない時間
赴任初日、ベッドとテーブルがぽつんと置いてある部屋にスーツケースをせっせと運び、少し落ち着いてから部屋を見渡した時、「あぁ、今日から始まるんだ。」という気持ちになったことを思い出し、今とても感慨深い気持ちになっています。赴任地であるバージニア州フレデリックスバーグ市は人口約25,000人、派遣先のメアリーワシントン大学は在学生数約4,400人の比較的小さな学校です。印象的だったのはレンガ造りの建物と、緑々した木々が連なるキャンパスのメイン通りです。1つ1つの建物が大きく、校内を歩いているというよりは街を歩いているような不思議な感覚になったのを覚えています。そんなキャンパスにも慣れ、学内と学外の両方で様々な活動をしました。JOIコーディネーターの醍醐味は、一期一会の出会いが数え切れないほどあることです。
最初に始めた活動は、学内の日本語クラブでした。日本語を初めて話す人向けの初心者の日とクラスなどで習ったことがある人向けの中級者の日を設け、週2回行っていたのですが、始めの1ヶ月は数人しか人が集まらなくて困った日もあったことを懐かしく思います。次第に口コミで広がるようになり、学内の至る所に貼ったフライヤーをみた人が集まるようになりました。学生たちからは、「大学に入る前に日本語のクラスを受けていたけれど、これまで実践する場がなかったから嬉しい」、「独学で学んでいたから、一緒に勉強する仲間ができてやる気がでた」などの声をいただきました。後にクラブで知り合った学生同士が日本語を勉強するために活動の日以外にも自主的に集まっていたことを知り、嬉しくなりました。クラブで初めて日本語に触れた学生が留学に興味を持ってくれ、日本へ送り出せたことも良い思い出です。
また1年目の2月に派遣先で、国際交流基金日米センター主催のオンラインテクノロジーを利用した教育カリキュラム開発をテーマとした、教員を目指す学生へ向けたワークショップが開催されました。参加者の方々と日本文化に関連したオンライン資料の使い方を話し合い発表するという場でした。私は食事も含んだレセプションの一環として和食のプレゼンテーションを担当しました。参加者の方々から「日本食ってが深いね」、「今度は寿司以外の料理も食べてみる」といったコメントがあり、食事の前に日本食の特徴を伝えられたことで、より深く日本の食文化を届けることができたのだと実感しました。料理は得意分野ではなかったのですが、私にも伝えられることがあって、喜んでくれる人がたくさんいるのだと気づいてから、今まで開催をためらっていた料理ワークショップなどにも精力的に取り組むようになったきっかけのイベントです。


1年目は学内での活動や学外では学校訪問が多かったのですが、2年目は地域の図書館やコミュニティーセンターと協力してのイベントやワークショップを行うことができ、老若男女幅広い年代の方々と関わることができました。図書館へのアウトリーチを始めたばかりのころ、おりがみや紙芝居などのアクティビティを依頼されることが多かった中で、「日本のパンを作ってくれない?」と言われたことがありました。まったく予想していなかった提案に、「パン?!」と聞き返してしまったのですが、世界のパンを集めるという面白い企画で、日本のブースを出すことになりました。試行錯誤した結果、もちあんこパンを作ることができ、当日のブースではもちとあんこができるまでをボードで説明し、実際に試食してもらいました。参加してくれた方は、「日本の食材は今まで食べたことがなかったのだけれど、私パン好きだから食べちゃった」と言ってくれました。未知の食べ物だと躊躇してしまうかもしれないけれど、普段から親しみのあるものにスパイスのように加えるだけで、より相手に届きやすくなることが学べました。それが実践できたことは大きな経験になりました。

ホームスクールの子どもたちが週に1回集まるクラブにも定期的に訪問しました。日本のサブカルチャーに興味のある子どもが多く、ポップカルチャーを紹介したり、キャラクターの名前を使ったかるた(例えば、な→ Naruto is eating ramen)を一緒に製作したりしました。日本のおもちゃ紹介の際に、将棋を持っていったところ6歳と8歳の子が目をキラキラさせて、「もしかしてこれって、あのアニメにでてくるゲーム?」と言って、初めてみる駒の動き方も習いながら一生懸命に遊んでいるのを見て、アニメの影響力に驚くと同時に心が温かくなりました。

最後に、JOIコーディネーターとして活動した2年間で、本当に濃く貴重な経験をさせていただきました。このような機会をくださった国際交流基金、ローラシアン協会、メアリーワシントン大学の皆様に感謝いたします。JOIで出会ったすべての方々との時間、たくさんの出会いから生まれた繋がりが私の宝物です。これからの更なるプログラムの発展を願っております。
私を成長させてくれた草の根交流
車の窓から見える高く掲げられたアメリカの国旗、片側6車線もあるハイウェイ、英語に混ざり聞こえてくるスペイン語。2年前のその日、私は目に見える物、耳に入る物全てに感動し胸を躍らせていました。その胸の中には、「現地の方々の訪日理由を作りたい」「私を通して日本の何かに興味を持ってもらいたい」という思いを秘め、テキサスの大地に足を踏み入れました。
アメリカで過ごした2年間で私は人として大きく成長できました。現地にて各種手続きを済ませ生活する上で、日本文化を深く知り、外から見た日本を知り、そしてアメリカ社会を知る。それを日米両方の人々に話している間に、更に知識が増え、新たな方向から物事を見ることが出来るようになりました。
荒野にカウボーイを連想させるテキサス州。州の面積は日本の約2倍。人口も全米第4位というその州の最大都市、ヒューストンには荒野のイメージとは異なり、街の中心地にはビルが立ち並び、医療と石油化学産業が盛んな、今勢いを増している都市です。街の中心とメディカルセンターの間には19程の美術館が集まるミュージアム地区があり、その中に私が所属するアジア・ソサエティ・テキサス・センター(ASTC)があります。アジア・ソサエティは全世界に13拠点を持つ団体で「欧米でのアジア圏文化の理解促進」をミッションに活動しています。その中でもASTCは独自のビルを持つメガセンターの一つで美術品の展示を含む、文化・教育・芸術・政治の分野で年間120以上ものイベントを行うNPO団体です。美術館ともなるホストサイトを見学させてもらった時には、自身がここで働くとは思えない程広く美しすぎる建物を目の当たりにし、夢見心地でした。
活動し始めた時は、学校などの活動先があまり見つからない日々が長く続き、焦りと不安を感じていました。それでも、先輩に頂いた「一度アウトリーチが入ると忙しくて準備に時間が取れなくなるから、今の間にしっかり準備をしておくといいよ」というアドバイスのもと、プレゼンテーションをたくさん作りました。そうしている間に1つの活動がまた1つ、2つと増え、私のJOIの活動が徐々に周知されるようになりました。一度訪問した小学校の先生が、JOIについて学校間の掲示板に載せてくれた事もあり、複数のアウトリーチ依頼が一気に来た事もありました。
小学校でのアウトリーチは純粋な子どもたちとの触れ合いが魅力的です。プレゼンテーションを聞いた後、キラキラした目で自分の持っている漫画を見せて「これは日本のものなの?」と質問してくれる小学生。「そうだよ!」と答えると、「わぁ!すごい!じゃあ、これは?」と身の回りの日本生まれのものをもっと見つけたい、と言わんばかりに興奮する子どもたちの姿や、一緒に作った折り紙や初めて書いたカタカナの自分の名前のしおりを大事そうにしまったり、鞄につけたりする子どもたちの姿は、いつも私にまた次なる活動の活力を与えてくれました。


アウトリーチの年齢層を広げたいと思っていた頃にうまく繋がることができたのは、地域の図書館でした。それによって、子どもから大人まで様々な年齢層をターゲットに活動の幅を広げることができ、アクティビティ内容も書道や茶道、染め紙やゲーム、そしておにぎりや巻き寿司など、学校では実現しにくいアクティビティを紹介する事ができました。大人の方も「これはどこで買えるの?」「日本に行きたくなった!」と興味を引き出せたと分かる言葉を頂く度に、自信が持てやりがいを感じていました。
ASTC内でも多くのイベント企画・運営・コーディネートをさせて頂けたのは私にとって大きな学びの機会でした。春休みの5日間、在ヒューストン日本国総領事館と共同で日本の春をテーマにイベントを行いました。毎日日替わりの工作と日本アニメ映画の上映に加え、お弁当やおにぎりワークショップを行い大盛況でした。その他には、歌舞伎メイクアップやお弁当ワークショップ、運動会イベントなどを実施しました。特に運動会イベントでは、元々チームがあって成り立つものという概念を覆し、各種目をそれぞれのグループ内又は近くにいる方との対戦で楽しんでもらえるように工夫しました。イベントが上手く行くか不安に思っていた時、「やった事のないイベントだから結果は分からない。でもやってみる事が大事だし、やってみてから学べる事があるはずから大丈夫!」とスーパーバイザーから背中を押してもらい、当日参加者からも「こんな楽しいイベント初めて!」との言葉を頂け、成功を収めることができました。


歌舞伎メイクアップワークショップの様子
この言葉に助けられたように、私が2年間JOIコーディネーターとしてここまでこられたのは、周りの方々の温かいサポートの数々があったからこそです。最後になりましたが、このような貴重な機会を与えて下さった国際交流基金、ローラシアン協会の皆様、2年間私を家族のように受け入れて下さったASTCの皆さん、在ヒューストン日本国総領事館、HCPL図書館の方々、そしてお世話になった多くの友人たちに心から感謝します。本当にありがとうございました。
JOIを通した国際理解
私が住んでいたアーカンソー州は、ミシシッピ川流域にある南部の州で、州の愛称「Natural State」の通り自然豊かな場所です。赴任前研修をしたテネシー州のナッシュビルからアーカンソー州に入ると緑が増え大豆畑が広がったのをよく覚えています。私のアメリカの好きな物の一つに、各州の名産品のイラストが入った車のナンバープレートがありますが、アーカンソー州のそれにはダイヤのイラストが描かれています。アーカソー州はダイヤモンドラッシュが起こったユニークな歴史があるのです。
私は州内で二番目の規模の大学であるアーカンソー中央大学の配属になりました。1年目のハイライトは大学で開催した「Japanese Concert」です。学生たちが日本人アーティストの曲をピアノ、クラリネット、フルート、マリンバ、ギターで演奏したり、アカペラを披露したりしました。また、他大学から日本人のパーカッショニストの方が来てくださり和太鼓での即興演奏をしてくださいました。私は、ちょうどアメリカ旅行に来ていた母と一緒に箏と三味線を演奏することができました。この時は大学内外から約80名が来てくださり、初めての大舞台にとても緊張していた私でしたが、演奏やMC中の観客の方々の笑顔に救われ、途中の「さくらさくら」や「崖の上のポニョ」の挿入歌では大勢の方が一緒に歌ってくださり、驚きと嬉しさでいっぱいでした。また学生たちが準備や進行、片付けを率先して手伝ってくれたのも心の大きな支えになりました。「今までにないイベントでとてもワクワクした」「伝統楽器の音を生で聴けるなんて嬉しかった」という有難い感想を頂き、やはり音楽はそのものが喜びであるし、その場を共有できる最高のものだと改めて感じました。箏や三味線を演奏する機会はその他にも多く頂き、他大学の音楽の授業や図書館でのイベント、在ナッシュビル日本国総領事館主催の月見会などでも演奏することができました。


2年目に一番時間をかけたイベントとしては、「Japanese Festival」があります。スーパーバイザーとジャパニーズクラブのメンバーで何度も打ち合わせをし、国際交流基金の助成金を使わせて頂き、スポンサーやボランティアを募って作り上げたイベントでした。当日はボランティア含め約500人のゲストで会場が埋め尽くされ、手作りの日本食、日本文化体験アクティビティブースと剣道、ダンス、音楽などのパフォーマンス、クイズ大会、コスプレコンテストなど始終熱気でいっぱいでした。コミュニティとの繋がりとたくさんの支援のおかげで、ゲスト側もアウトプットすることができるオリジナルのお祭りができたと思います。「Japanese Festival」以外にもクッキングクラスや茶道のイベントではいつもジャパニーズクラブの学生たちとタッグを組んで行いました。これはJOIの活動とは少々外れるかもしれませんが、国外に出た日本人の留学生たちがどのように生活し悩み成長していくのかを垣間見ることもでき、非常に良かったと思います。一緒に作り上げたイベントが、頼もしくて才能に溢れた彼らとコミュニティを結ぶ大切なきっかけになったのも嬉しいことでした。

私のJOIへの参加の目的は、「アメリカの教育現場から学ぶ」「アメリカにおいて国際理解教育の一端に関わる」ことでした。アウトリーチで訪問した小学校では、先生に学校現場のお話を聞く機会もありました。常勤のカウンセラーの先生、貧困家庭のため、食事が十分にとれない子どもへのバックパックサポート、カフェテリアでのランチなど日本とは異なるシステムがたくさんあり、子どもと教員双方にとっても生活しやすい方法の一つだなと視野を広げることができました。また、私たち17期の派遣中は、国のシステムや人種の問題を考える歴史的な出来事も起こりました。個人の命や尊厳を守ることは大前提として、その中で特に感じたのが、立場によって異なる「正義」の違いでした。私が想像し得ない経験をしている人がいて、それを踏まえた自分なりの正しい意見を持っているということはアメリカ国内にいたからこそ特に実感したのかもしれません。異なる環境にいる(いた)人にどう反応し接していくか、そして自分と相手が生きやすい環境を作るにはお互いどうしたら良いか、と考えることは、これからますます必要になります。だからこそ日本のことを特段知らないアウトリーチ先の小学生が日本の文化に向けてくれた純粋な好奇心に満ちた眼差しは、かけがえのないものだと心から思います。そしてそれは日本の子どもたちにも言えることです。
帰国直前に岩手の花巻市と姉妹都市であるアーカンソー州のホットスプリングス市の交流協会の方々から、私の箏演奏中の姿を描いた絵をプゼントして頂き、米国から去る寂しさに拍車がかかりました。アーカンソー州の日本国名誉領事のメアリーさんが最後に「国同士での衝突は止まないけど、人の繋がりだけは信じられる」と仰っていたのが強く心に響きました。いつでもサポートしてくれたスーパーバイザーのデイビットさん、優しく、ユーモアのある同僚や友人に支えられた幸せな2年間でした。

日本とアメリカの架け橋に
「日本と海外の架け橋になりたい!」私は小さい頃からこのような夢を抱いていました。今まで異文化交流や国際理解に興味をもって歩んできましたが、JOIプログラムを通して直接的に私の夢が叶い嬉しく思います。私が派遣されたアラバマ州は、「I Have a Dream」の演説で知られるキング牧師が公民権運動を行った深い歴史がある州です。そして所属したトロイ大学は、世界の国々から来た留学生も多い国際色豊かな大学です。とはいえ日本文化は未開拓だったので、とてもやり甲斐がありました。
Southern Hospitalityと出会い
トロイ大学に赴任して、学長先生、3人のスーパーバイザー、職場の皆さんが歓迎してくれました。皆さんフレンドリーで優しく、緊張が和らぎました。スーパーバイザーのランスさんは、「サザン・ホスピタリティだよ」と教えてくれました。これはアメリカ南部に住む人々が見せる心の広い温かいもてなしのことです。2年間で何度もトロイの人々の優しさを感じました。そしてスーパーバイザーのバレットさんに、「学期が始まったら大忙しになるよ」と言われた通り、赴任して間もなく色々な仕事や会合が入り、勢いのついた新生活のスタートになりました。

トロイ大学では積極的に学生団体等のイベントに参加し、「出会い」を大切にしていました。その結果ありがたいことに、私が大学で毎週開き始めた日本文化ワークショップには、多くの人が参加してくれました。人気があった内容は、大福作り、流しそうめん、魚拓、お正月、ひな祭り、巻き寿司、鯛焼き、ピカチュウカレー作りなどです。最初は自分一人で企画・準備をしていましたが、継続して参加してくれる学生たちが手伝ってくれるようになりました。私がトロイを去った今でも、学生たちが定期的に日本文化クラブとして集まり、おにぎり作りや提灯作りなどの活動を続けています。

また日常生活でも様々な所に出向き、繋がりを作る努力をしていました。運転免許を取った直後、駐車場で縦列駐車に苦戦していた時に助けてくれた人が、たまたま小学校の先生で、学校訪問が決定したこともありました!地域の幼稚園、小中学校、高校、ロータリークラブや教会など、様々な場所で日本文化の出張授業をすることができました。年代や世代によって興味や反応が違ったり、学校によって雰囲気や制度も違ったりして面白かったです。
アラバマ州の北から南、東から西まで
2年間を通し赴任したトロイ市の他にもアラバマ州広域で活動する機会がたくさんありました。そのきっかけとなったのは、赴任直後に出席した、アラバマ日米協会30周年記念の会合です。そこで在アトランタ日本国総領事館の篠塚総領事にお会いし、アラバマ州各地の日本文化関係の団体やキーパーソンの方々を紹介していただきました。一気に人脈と活動範囲が広がり、ある時はトロイの大学生たちを連れて片道5、6時間かけて運転し、現地の大学生たちにソーラン節や花笠音頭を教え、フェスティバルでは2大学混合メンバーで踊りを披露したことも数回ありました。米軍基地で披露したこともあり、ユニークな経験でした。

自分で企画したイベントで最大だったのは日本文化サマーキャンプです。80人もの高校生が1週間日本文化のことを楽しく学べるようにプログラムを計画しました。日本の食文化、学校生活、観光地、伝統楽器、衣服、書道、茶道、料理体験、舞踊、玩具、ポップカルチャー、文化行事などのトピックで、実際に体験しながら学べるように工夫しました。今までの訪問活動の繋がりで、琴奏者の方と日系3世の舞踊家の方もゲストとしてお呼びし、大成功に終わりました。「本当にありがとう!日本文化をもっと知りたくなった!」と言ってくれる高校生もたくさんいて、とても嬉しかったです。成功の鍵となったのは、ボランティアとして多くのトロイの大学生たちが助けてくれたことです。「私たちも日本文化を学ぶことができて楽しかったよ!」と言ってくれました。

遠くにいても強い絆
任期最後の6ヶ月は新型コロナの影響で、オンラインでの活動に切り替わりました。日本の家庭料理の作り方や折り紙の動画などを自分で撮影・編集をしYouTubeに載せたり、Zoomを使って日本文化講座を開いたりと、活動を続けることができました。「オンラインだから遠方でも日本文化講座に参加することができて嬉しいよ!」「愛莉の動画を見て、唐揚げを作ったよ!」とコメントや写真を送ってくれる方々もいました。オンライン時期も含めこの2年間、とても貴重な経験をすることができ、感謝と達成感でいっぱいです。このように最後まで走り続けることができたのは、多くの支えがあったからです。スーパーバイザーのソヘイルさんは、「愛莉はもうトロイ大学の家族だよ」、同僚や友人たちも、「北海道に会いに行くからね!」と涙ぐんで言ってくれ、感銘を受けました。最後に、この2年間お世話になったトロイ大学の皆さん、在アトランタ日本国総領事館の皆さん、国際交流基金の皆さん、ローラシアン協会の皆さん、その他数多くの友人たちに心からお礼を申し上げます。
第二の故郷、ウエストバージニア
ジブリ映画「耳をすませば」の主題歌「カントリー・ロード」の曲中に故郷として歌われるウェストバージニア州。私は、その中部に位置する小さな町にあるグレンビル州立カレッジに派遣されました。州全体がアパラチア山脈に位置しており、山深い自然に囲まれた風光明媚なエリアです。人口はグレンビルのあるギルマー郡全体でも8,000人程の小さなコミュニティです。人と人との距離が近くアットホームな雰囲気が、そこには広がっていました。町には必要最低限のお店(小さな食料品店やガソリンスタンド)はありますが、ウォルマートのような大型スーパーや映画館へは片道50分くらい運転しないと行けません。大学のキャンパスの外を散歩すると、携帯の電波すらないエリアがほとんどです。派遣当初は新しい環境に馴染めるか不安になったりもしましたが、そんな気持ちは一瞬で吹き飛びました。大学初日に食堂で夕食を食べていると、一緒に食べようと声をかけてくれたグループがいました。私が来たばかりで車をまだ持っていない事を知った彼らは、食事後、スーパーまで運転して買い物に付き合ってくれました。寮からキャンパスまで歩いていると、ほぼ毎日、通りすがった車がキャンパスまで乗せて行ってくれたりもしました。日本とは違うたくさんの温かい優しさが、ウェストバージニア州にはあるのだと感動しました。活動開始当初は何もかも手探りで何を誰にどうアウトリーチするのが良いか、毎日考える日々でした。そんな中、近隣学校への訪問や図書館でのアクティビティの活動をとおして、JOIコーディネーターのアウトリーチ活動の意味を考えさせられた出来事を1つ紹介したいと思います。
図書館での放課後アクティビティ
地域の小学校に隣接する図書館で、毎週2時間、放課後に児童を対象にアクティビティをしたときのことです。毎回、低学年から高学年まで年齢の違う子どもたちが15人くらい参加していました。丸一日勉強をした後なので、なるべく体を動かして自由に楽しんでもらえる内容で、年齢を問わないアクティビティをしました。今まで子どもと接した経験が少なかったので、考え過ぎてしまい、最初はなかなか成果が出ていないように感じていました。それでも、全く日本を知らなかった子どもたちが徐々に興味を持ってくれる姿を見て、やりがいを覚えた活動でした。初日を終えた後、司書の方が近隣のエリアの特徴や子どもたちが放課後のプログラムに参加をする理由について語ってくれました。共働き世帯で両親の迎えを待つ子ども、里親家庭に馴染めず図書館で夕方まで過ごす子ども、図書館で提供される軽食を求めて来る貧困家庭の子どもなど、図書館が社会的支援の役割を大きく果たしていることを初めて知りました。そして、「普段はアクティビティに参加せず、一人で図書館から抜け出して何処かへ行ってしまう子が、貴方のアクティビティには最後まで参加していたのよ。」と聞きました。実は、その子が1番楽しんで真面目に参加してくれていた子だったと知ったとき、嬉しくて胸が熱くなると共に、活動の意味を考えさせられました。


この出来事をきっかけに、少しずつ活動への意識が変わっていきました。日本を知ってもらうためのアクティビティをしていたのが、アクティビティに来て少しでも楽しい時間を過ごしてもらいたい、その上で少し日本に興味を持ってもらえるきっかけになると良いなという気持ちになっていきました。
2年目に入ってからは、私がグレンビルを去った後も続いていくプログラムをコーディネートすることが新たな活動の目標となりました。現地の異文化に興味のある学生が主体となった留学生クラブを作り、学生が自発的に異文化交流イベントを企画できる土台を作る活動をしていました。しかし、2020年に入り新型コロナウイルスの影響で全ての活動が一度中止となり、留学生クラブの活動も例外ではありませんでした。大学から公式にクラブとして認定され、ファンドレイジングで活動費を集めた矢先の出来事でした。このままではクラブは消滅してしまうのではないかと憂慮した時期もありました。ですが、部員の皆さんのサポートもありクラブは現在も成長し続けています。今学期はオンラインでミーティングやイベントを開くことになり、私も日本から参加できることになりました。JOIコーディネーターとして任期は満了しましたが、グレンビルとの関係は一生続けていきたいと思っています

(スーパーバイザーとJETアラムナイの卒業生)

2年間で信じられないくらいウェストバージニア州が好きになりました。ウェストバージニア州は私の第ニの故郷です。JOIコーディネーターとして働くチャンスを頂けたことを、本当に有難く思っています。この2年間の活動を支えてくださった国際交流基金、ローラシアン協会、グレンビル州立カレッジを始めとした関係者の皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。コーディネーターとして過ごした2年間は、私の人生の宝です。