アラバマ州 Alabama

ホーム派遣対象地域アラバマ州

州の紹介

戦艦アラバマ

「スウィート・ホーム・アラバマ」と呼ばれる同州は、1819年に22番目のアメリカ合衆国州となりました。公民権運動の歴史を学べる博物館もさることながら、美しい海岸を堪能したり、アメリカ宇宙ロケットセンターでは最先端技術を垣間見ることもできる魅力溢れる州です。新鮮なシーフードやハイキング、釣り、クルーズなどのアクティビティが楽しめるガルフショアーズは人気の観光スポット。モービルでは、ビーチと並んで有名な、第二次世界大戦まで稼働していた戦艦アラバマの船内を探索できます。ハンツビルのアメリカ宇宙ロケットセンターでは、宇宙産業の歴史や発展について学べ、ロケットやミサイル、ロケット打ち上げ設備を間近で見ることができます。

モービルのコンデ砦
フォートモーガンの美しいビーチ

この州に派遣されたコーディネーター

南 陽子 Yoko Minami
第18期 リビングストーン/ウエストアラバマ大学
福岡県出身。幼い頃から外国に興味があり、大学では英語を専攻し、オーストラリアでの留学を経験。その際に外国人に日本語、日本文化を伝える楽しさとやりがいを感じる。またニュージーランドやスイスに旅行し、海外で日本を発信し、国際的に活躍したいと思うようになり、JOI への応募を決意。

色々な経験ができた貴重な2年間

大学を卒業したての頃、この JOIプログラムに出会いました。その頃の私は社会人経験もなく、日本での運転経験もありませんでした。
合格通知をいただいたときは、喜びと同時にそれ以上の不安も込み上げてきました。
そして、埼玉で行われた渡米前の研修で自分の派遣地がアラバマ州と聞かされたときは、アラバマ州の位置も、名前すらも知りませんでした。なので、出発前はたくさんの不安と心配でいっぱいでしたが、選ばれたからにはやるしかない、という気持ちで日本を発ちました。

ウエストアラバマ大学での活動

私が派遣されたウエストアラバマ大学は、リビングストーンという小さな街にある、学生数 約1,500名の小規模な大学です。ほとんどの学生が、白人か黒人で、日本人どころかアジア人の生徒はほぼいませんでした。
海外との国際交流はありましたが、規模は小さく、日本との交換留学制度も 2018 年からのスタートで、日本との交流などはほぼありませんでした。
大学での活動は主に、月1、2回のワークショップや月1回の初級の日本語のレッスン、そして週1回の日本の歴史の授業のサポート、さらにオフィスでの事務作業のサポートなどもしていました。ワークショップでは習字、茶道、折り紙、日本の行事、日本の踊りなどをプレゼンテーションで紹介し、そのトピックに合わせてアクティビティの時間を設けていました。
初めての頃は、学生たちが興味を持って参加してくれるかとても心配でしたが、意外にもたくさんの学生たちが来てくれました。ワークショップや日本語の授業をするにつれて、学生たちが日本に対しての興味や関心を持ってくれて、ある学生は日本へ旅行してみたい、そしてまたある学生は日本へ留学してみたいと私に伝えてくれました。私のワークショップなどを通して、彼らが日本へ行きたいというきっかけを作ることができ、JOIコーディネーターとしての役割が果たせて嬉しかったです。

チャータースクールでの出来事

私は学生対象の活動と並行して、大学内にあるチャータースクールでも週1回活動していました。チャータースクールには、幼稚園児から中学3 年生までの生徒たちがいて、毎週   違う学年に向けてアウトリーチをしていました。主に、折り紙、遊び、踊り、歌などを教えました。
大学と同様に、チャータースクールでも日本との交流はほとんどありませんでした。活動中に日本について知っていることを尋ねると、ほとんどの子どもが「ピカチュウ、ポケモン」と答え、それ以外は何も知りませんでした。
活動を始めたころは、興味を持ってくれない子などがいて、挫折しかけていました。
しかし、ある日チャータースクールに向かっている途中、スクールの前で以前日本のある歌を教えたクラスの子どもたちに会いました。すると、私を見て、彼らから私の名前を呼び、教えた歌を歌ってくれました。 最初はびっくりしましたが、歌ってくれたことが本当に嬉しくて、挫折しかけていた私の気持ちも前向きになり、もっと日本のことを知ってもらいたいという意欲が溢れてきました。
また、別の日には、活動後にたくさんの子どもたちが「ありがとうって日本語で何て言うの?」「次はいつ来てくれるの?次は何をするの?」と言ってくれました。チャータースクールでの活動は、私を何度も幸せな気持ちにさせてくれたかけがえのない活動となりました。

アラバマ州の 5都市を車で訪問

月に1回ほどアラバマ州にある様々な都市を活動のため訪問しました。車の運転がとても心配でしたが、練習するうちに不安も消え、遠方への運転が楽しくなっていきました。
訪れた都市は、タスカルーサ、バーミンガム、ハンツビル、モントゴメリー、モービルです。主にそれらの都市では、17 期コーディネーターの森愛莉さんと一緒に回って活動をしました。インターナショナルフェスティバルの日本ブースのボランティアやソーラン節の披露、日本食の提供、日本文化のワークショップ、日本のビジネスに関するプレゼンテーションなどをしました。
特に印象に残っていることは、ハンツビルやモービルでのフェスティバルでソーラン節を披露したことです。たくさんの人が見ている中、 緊張しましたが、ソーラン節を踊ることで日本のことを知ってもらうことができ、とても素晴らしい機会になりました。
17 期の森さんにたくさんお誘いしていただいて本当に感謝です。アラバマ州のたくさんの都市を訪れ、違う景色を見て、たくさんの人と交流し、アウトリーチができた思い出は私の宝物です。2 年間の活動で私にとって一番楽しかった活動となりました。

滞在中に発生したコロナの影響で、オンラインでの活動を余儀なくされましたが、Zoomでのプレゼンテーションやワークショップ、大学内の日本庭園の企画・運営などを行いました。
この2年間は良いことも困難なこともたくさんありましたが、本当にJOIの活動が無事にできて良かったです。最後になりましたが、このJOIプログラムを通してお会いした全ての皆様に心から御礼申し上げます。

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森 愛莉 Airi Mori
第17期 トロイ/トロイ大学
中学は米国レキシントン、高校はポートランドとの姉妹都市文化交流大使として任務遂行をする。大学では英語教育及び日本語教育を専攻し、アラスカ大学にて日本語教師インターンとして派遣される。シンガポールの小学校に教師として勤め、現地での交流も多々経験し、更に日本文化を世界に発信したいと思い、JOIプログラムに応募。

日本とアメリカの架け橋に

「日本と海外の架け橋になりたい!」私は小さい頃からこのような夢を抱いていました。今まで異文化交流や国際理解に興味をもって歩んできましたが、JOIプログラムを通して直接的に私の夢が叶い嬉しく思います。私が派遣されたアラバマ州は、「I Have a Dream」の演説で知られるキング牧師が公民権運動を行った深い歴史がある州です。そして所属したトロイ大学は、世界の国々から来た留学生も多い国際色豊かな大学です。とはいえ日本文化は未開拓だったので、とてもやり甲斐がありました。

Southern Hospitalityと出会い

トロイ大学に赴任して、学長先生、3人のスーパーバイザー、職場の皆さんが歓迎してくれました。皆さんフレンドリーで優しく、緊張が和らぎました。スーパーバイザーのランスさんは、「サザン・ホスピタリティだよ」と教えてくれました。これはアメリカ南部に住む人々が見せる心の広い温かいもてなしのことです。2年間で何度もトロイの人々の優しさを感じました。そしてスーパーバイザーのバレットさんに、「学期が始まったら大忙しになるよ」と言われた通り、赴任して間もなく色々な仕事や会合が入り、勢いのついた新生活のスタートになりました。

トロイ大学では積極的に学生団体等のイベントに参加し、「出会い」を大切にしていました。その結果ありがたいことに、私が大学で毎週開き始めた日本文化ワークショップには、多くの人が参加してくれました。人気があった内容は、大福作り、流しそうめん、魚拓、お正月、ひな祭り、巻き寿司、鯛焼き、ピカチュウカレー作りなどです。最初は自分一人で企画・準備をしていましたが、継続して参加してくれる学生たちが手伝ってくれるようになりました。私がトロイを去った今でも、学生たちが定期的に日本文化クラブとして集まり、おにぎり作りや提灯作りなどの活動を続けています。

また日常生活でも様々な所に出向き、繋がりを作る努力をしていました。運転免許を取った直後、駐車場で縦列駐車に苦戦していた時に助けてくれた人が、たまたま小学校の先生で、学校訪問が決定したこともありました!地域の幼稚園、小中学校、高校、ロータリークラブや教会など、様々な場所で日本文化の出張授業をすることができました。年代や世代によって興味や反応が違ったり、学校によって雰囲気や制度も違ったりして面白かったです。

アラバマ州の北から南、東から西まで

2年間を通し赴任したトロイ市の他にもアラバマ州広域で活動する機会がたくさんありました。そのきっかけとなったのは、赴任直後に出席した、アラバマ日米協会30周年記念の会合です。そこで在アトランタ日本国総領事館の篠塚総領事にお会いし、アラバマ州各地の日本文化関係の団体やキーパーソンの方々を紹介していただきました。一気に人脈と活動範囲が広がり、ある時はトロイの大学生たちを連れて片道5、6時間かけて運転し、現地の大学生たちにソーラン節や花笠音頭を教え、フェスティバルでは2大学混合メンバーで踊りを披露したことも数回ありました。米軍基地で披露したこともあり、ユニークな経験でした。

自分で企画したイベントで最大だったのは日本文化サマーキャンプです。80人もの高校生が1週間日本文化のことを楽しく学べるようにプログラムを計画しました。日本の食文化、学校生活、観光地、伝統楽器、衣服、書道、茶道、料理体験、舞踊、玩具、ポップカルチャー、文化行事などのトピックで、実際に体験しながら学べるように工夫しました。今までの訪問活動の繋がりで、琴奏者の方と日系3世の舞踊家の方もゲストとしてお呼びし、大成功に終わりました。「本当にありがとう!日本文化をもっと知りたくなった!」と言ってくれる高校生もたくさんいて、とても嬉しかったです。成功の鍵となったのは、ボランティアとして多くのトロイの大学生たちが助けてくれたことです。「私たちも日本文化を学ぶことができて楽しかったよ!」と言ってくれました。

遠くにいても強い絆

任期最後の6ヶ月は新型コロナの影響で、オンラインでの活動に切り替わりました。日本の家庭料理の作り方や折り紙の動画などを自分で撮影・編集をしYouTubeに載せたり、Zoomを使って日本文化講座を開いたりと、活動を続けることができました。「オンラインだから遠方でも日本文化講座に参加することができて嬉しいよ!」「愛莉の動画を見て、唐揚げを作ったよ!」とコメントや写真を送ってくれる方々もいました。オンライン時期も含めこの2年間、とても貴重な経験をすることができ、感謝と達成感でいっぱいです。このように最後まで走り続けることができたのは、多くの支えがあったからです。スーパーバイザーのソヘイルさんは、「愛莉はもうトロイ大学の家族だよ」、同僚や友人たちも、「北海道に会いに行くからね!」と涙ぐんで言ってくれ、感銘を受けました。最後に、この2年間お世話になったトロイ大学の皆さん、在アトランタ日本国総領事館の皆さん、国際交流基金の皆さん、ローラシアン協会の皆さん、その他数多くの友人たちに心からお礼を申し上げます。

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宮武 祐見 Yumi Miyatake
第12期 タスカルーサ/アラバマ大学 タスカルーサ校
学生時代のアメリカ滞在をきっかけに、異文化交流・異文化理解に興味を持つ。教育現場で勤務をしながら日本語教師養成講座を受講。英語を日常生活で使いたい、日本について知ってもらいたいという思いから応募。

がむしゃらに駆け抜けた二年間

今でも2年前の赴任前研修で「派遣先はアラバマ州タスカルーサ市です」と言われた時のことを鮮明に覚えています。アラバマってどこ?スーパーバイザーはどんな人?何が求められているの?とJOIとして派遣されることが急に現実味を帯びた瞬間でした。

この2年間、JOIはチャレンジ精神と自立心を養う機会を与えてくれ、そして人の温かさを教えてくれました。アクセルとブレーキがどっちだったかすらも忘れていたほどの私が毎日車を乗り回すようになったり、家や車のことなどで問題が出た時に管理人や修理屋に一人で行ってどうにか解決しようとする勇気を与えてくれたり、多くのことを経験し、「生きる力」を存分に育てられました。

アメリカ生活を振り返って今思うことは、もっと長くいられたらな、ということです。前半1年はなんとか生活を立ち上げ、仕事先を見つけ、一刻も早く慣れるという毎日でしたが、後半2年はどうやって自分が帰国した後に繋げるか、残された時間で悔いなく何が出来るか、ということに焦点を当てていきました。

幸い2年目は1年目に行った活動が口コミで広がり、多くの方々から仕事の依頼を受けました。欲張りな私は予定が重ならない限り断らない、というスタンスで仕事を受け、2年目はほぼ毎日のようにアウトリーチを行うことが出来ました。これは毎週定期的にあった小学校訪問から単発のプレゼンテーション、イベントまで様々です。時には同じ日に3ヵ所で授業を行なった日もありました。ある日は5歳児に向けてのプレゼンテーションの1時間後に50~60代の方々に話す機会があったり、なかなか出来ない貴重な体験をしました。

学校訪問に関しては、1年目はどちらかというと日本にもともと興味がある子どもたちが多かったのに対し、2年目は日本について全く知らない、興味がない、という子どもたちと接することが多くありました。At-riskと言われる子どもたちのクラスに行くことが週の半分以上あり、それは自分にとって挑戦でした。At-riskという言葉の定義は様々で、英語を第二言語とする子ども、ADHDの子ども、低所得の家庭の子どもなど、授業を受ける際あらゆる方面で支援を必要とする子どもたちを大きく一括りにしたものです。私が訪問したのは集中力の維持が難しい子どもやいじめっ子たちが混ざっている小学校2クラスと中学校1クラスでした。これらのクラスから仕事の依頼がきたときは、「もし自分がここで行かなかったら、今後子どもたちは日本、もしくは外国について知る機会があまりないかもしれない」という使命感で引き受けました。しかし、現実はそう甘くはありませんでした。授業中に取っ組み合いが始まったり、暴言の数々、怪我の危険があるからと活動が制限される場面があったり、自分の無力さを感じることもありました。それでも、数ヵ月の授業が終わる頃には活動に意欲的になっていたり、日本に行ってみたいと言ってくれる子どもなど初めと態度が変わっている子どもがいて、それを見たときは感慨深かったです。

他にも2年目でイベントの進め方が少しずつ分かってきたころ、多くのイベントを計画し、そして運営を任されるようになりました。2年目には9つの大きなイベントを行いました。その中で印象に残っているのは2014年10月に行なわれたお弁当ワークショップと2015年3月に行われた”Walk in U.S., Talk on Japan”(「歩こうアメリカ、語ろうニッポン」)プログラムです。お弁当ワークショップは国際交流基金ニューヨーク支部主催のイベントで、ボストンから料理家のデブラ・サミュエルズさんをゲストスピーカーとしてお招きし、参加者に日本のお弁当文化について知ってもらい、事前に調理したおかずをお弁当箱に詰める体験をするというものでした。高校生、大学生、コミュニティーの方々52名が参加し、彩り豊かな日本食を楽しんでいました。

「歩こうアメリカ、語ろうニッポン」は内閣府主催のイベントで、政府に選ばれた5名がゲストスピーカーとして訪米し、それぞれが日本の政治、経済、女性の活躍などについて話す参加型のシンポジウムでした。ここでは会場決め、ケータリングの手配、チラシやウェブサイトの広告作成、ボランティアのコーディネート、会場設営、物品手配、プログラム作成など多くのことを経験させて頂きました。当日はゲストスピーカーと参加者およそ130名による意見交換が活発に行なわれ、とても有意義なシンポジウムになりました。両イベント後に聞いた「またやってほしい」という参加者の声と達成感は忘れられません。

JOIは自分が幼い頃からやりたいと思っていたこと一つ一つを叶えてくれる、そんな夢のような仕事でした。微力ながらも2年で築き上げた学校やコミュニティーと大学の繋がりが今後も続き、そして更に広がっていくことを願っています。このような素敵な機会を与えてくださった国際交流基金日米センター、ローラシアン協会、アラバマ大学、そして多くの皆さんに心から感謝申し上げます。

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小島 祥子 Shoko Kojima
第5期 バーミングハム/アラバマ日米協会

My sweet home Alabama

 

Time Flies! 今の心境に最もふさわしい言葉です。改めて思うと、振り返る暇もないほど、あっという間の 2 年間でした。
私はアラバマ日米協会でアウトリーチコーディネーターとして、教育・カルチャープログラムを担当してきました。主な仕事には“Japan in a Suitcase”という活動(日本の物が入ったスーツケースを持って学校・ 図書館などを訪問し「生活・食べ物」「学校生活」「年中行事」「昔話と遊び」などテーマに添った日本紹介のプレゼンテーション)の作成・実施と、「インターナショナルバザール」や「さくらフェスティバル」など地域のイベントへの企画・参加がありました。また2 年目からはアシスタントティーチャーとして、週 1 回、アラバマ大学バーミングハム校の日本語クラスを手伝う機会にも恵まれました。

この 2 年間、本当に色々な経験をしましたが、特に印象に残っているものの 1 つに、セルマという州都モンゴメリーから車で約 1 時間のところにある小さな町で行なわれた“Voices from the Land of the Rising Sun”プロジェクトがあります。(セルマは、1965 年、黒人の参政権を訴えた、キング牧師率いるモンゴメリーまで約 80 キロに及ぶ「自由の行進」の出発地点で、今でも公民権運動の聖地として有名です。現在も黒人人口が全体の約 70%近くを占め、比較的低所得者の多い地域です。)
このプロジェクトは、ある中学・高校の先生たちが中心になって始まったもので、「生徒たちが日本について調べ、それを“Student Museum”として展示し、地域の人々に発表する」というものでした。私はアドバイザーとして 6 月上旬の企画段階から参加し、まずそれぞれの先生が、自分の担当教科にどのように日本を取り込めるか考えることから始めました。一言で日本文化と言えば、国際理解や社会科にしか当てはまらないような気がしますが、考え方によっては、碁やそろばん、日本とアメリカの吉数字・不吉数字の比較などを数学で、能や着物を演劇のクラスで調べたりと、色々な方法があります。9 月には、より多くの学校にこのプロジェクトに参加してもらうため、地域の学校の先生を対象にワークショップを開きました。「アメリカと日本は思っていた以上に似ている点が多い」という感想が多かったのが印象に残っています。このように「日本文化・生活=全く違うもの」ではなく、アメリカと共通点も多い点に気付いてもらえたことは、日本をより身近に感じ、興味を持ってもらう ためには重要だと思います。

その後 10 月から12 月にかけて、ワークショップに 参加した先生の学校で“Japan in a Suitcase”を実施しました。「ここの子どもたちは、世界がすごく限られているから、色々な異なった文化や国を見せてあげたい。だから、これはとても良いプログラムだと思う」と先生に言ってもらえた時は、JOIの活動の重要性を再認識しました。
そうして 2007 年 12 月 6 日の Museum オープン当日、会場の広いホールには、生徒たちが約 4ヶ月間、一生懸命調べた内容と作品が展示され、約 800 名を越える来場者に、生徒たち自らが説明するツアーを行 ないました。数ヶ月前に私のプレゼンテーションを聞いて、目を丸くしていた生徒たちが、自信満々に日本について説明する姿にとても感動したと同時に、無事にこの日を迎えられたことに、私自身なんともいえない達成感を味わうことが出来ました。約半年にわたり一緒に取り組んできた先生たちは、今では仕事の付き合いを超えて、良い友達になりました。

JOI コーディネーターとしての任期終了を目前に控えたある日、アラバマ日米協会主催で送別会を開いてく ださり、平日の夕方にもかかわらず、アラバマの方、日本の方、合わせて40名近くが集まってくださいました。 2年前の日本出発当日、初めて家族と離れての海外生活や、どんな場所なのか分からない、知り合いが一人もいないアラバマ州に来ることに不安を覚え、少しブルーな気持ちになったことを思い出し、今はわざわざ私のために集まって、別れを惜しんでくれる友人がこんなに沢山いることに胸がいっぱいになりました。
この2 年間、私は日本・日本文化を紹介するためにアラバマに来ましたが、逆に彼らから学ぶことも沢山ありました。改めて気付かされた日本の良さ、日本文化の素晴らしさもあります。しかし一番強く感じたことは「いつも誰かに支えられている」ということでした。右も左も分からないところから始まったアラバマ生活ではそれ を常に実感する日々でした。私を受け入れるにあたり、色々な準備やサポートをしてくださったアラバマ日米協 会の皆さん、いつも快く私の活動に協力してくださった 日本人ボランティアの皆さん、いつも気にかけてくださったホストファミリー、楽しい時も辛い時もそばに居てくれた友達、そしてJOIの活動が問題なく運ぶよう サポートしてくださった国際交流基金日米センターとローラシアン協会の皆さん、多くの方に支えられてここまでやってくることが出来ました。この2 年間、お世話になった全ての方々にこの場をお借りしてお礼申し上げます。アラバマで得た経験、出会った人々は、人生において貴重な財産です。

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久田 かおり Kaori Hisada
第1期 バーミンガム/アラバマ日米協会
20 代半ばにボランティア日本語教師として9ヶ月間オーストラリアで過ごし、帰国後、本格的に日本語の勉強をして、日本語学校に就職。それでも、いつかもう一度海外へ出て日本語を教えたいとずっと思っていた折、インターネットで JOIプログラムのことを知り、オーストラリアでの経験や日本語学校での経験を生かして海外で働けるまたとないチャンスだと考え、すぐに応募。

現地での活動

私が派遣されたアラバマ日米協会(JASA)は、全米に約 40のネットワークを持つ日米協会の一員で、日米交流促進を目的に活動しています。具体的には、日本についての情報を提供したり、学校やコミュニティで日本文化紹介のイベントを行ったりしています。また姉妹都市交流にも関わっており、様々なプログラムの手伝いもしています。そこでの私の仕事は大きく分けて、スタッフとしての一般事務と、コーディネーターとしてのプログラムの企画・運営の二つでした。スーパーバイザーが小学校向けの語学プログラムを開発していたことから、私も小学校向けの“Japan in a Suitcase”というプログラムを立ち上げ、そこから活動の場をコミュニティ全体へと広げていきました。

小学校では、特にリクエストが無い限り、衣食住と子供の遊びという4つのテーマに絞って文化紹介をしました。アラバマは南米からの移民が多いため、学校ではスペイン語が重視され、日本語を取り入れている学校は数えるほどしかありません。そのせいか、先生ですら日本がどこにあるか知らなかったり、日本にはテレビもないと思っている子供がいたりなど、日本の情報がまだまだ足りないことを実感しました。しかしその一方で、日本のアニメなどのサブカルチャーが人気で、そこから日本に興味を持ったという学生たちも少なくありませんでした。学校以外では、教会や公共施設でイベントを行ったり、ビジネスマン向けにマナー講座や日本語講座、法律セミナーなどを開催しました。アラバマは製鉄業が盛んなことから、自動車関連会社を中心に50 以上の日本企業が進出しています。必然的に日本語や日本のビジネスマナーを学ぶ必要性が生じ、日米協会にもセミナーの依頼が多く寄せられました。 

JOIの大きな目的である草の根交流の定着という点では、まず、主婦向けの英会話教室と子ども向けのサマーキャンプを通して、日本人のネットワークを広げました。そして、学校プログラムや地域のイベントをする度に、駐在員の家族の方々にボランティアとしてお手伝いをお願いしました。そのお陰で、2 年目には日本人ボランティアグループができ、日本紹介プログラムを引き継いでいただくことができました。 

将来へむけて

帰国後は以前の職場(日本語学校)に戻り、日本語クラスと日本語教師養成講座を担当しています。養成講座からひとりでも多くの修了生が海外に出て活躍してくれることを願って、機会あるごとに JOI の話をしています。今後は、英語話者への日本語教育の方法についてもう少し勉強したいと思い、大学院進学も考えています。

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派遣対象地域

JOIプログラムの派遣先をご紹介します。
各州の概要や派遣されたコーディネーターの活動報告を掲載していますので、地図をクリックして是非ご覧ください。