アーカンソー州 Arkansas

ホーム派遣対象地域アーカンソー州

州の紹介

アーカンソーの美しい自然

1836年に25番目のアメリカ合衆国州となり、「自然の川」と呼ばれるアーカンソーは、傾斜した山々、河谷、湖、天然温泉、石油や天然ガスなどに恵まれた州です。第二次世界大戦中の日系人収容所や9人の黒人学生が連邦軍護衛の下、初登校を果たしたリトルロック高校があるなど歴史的な州でもあります。オーザク山地を流れるバッファロー・ナショナル川は人の手が入っていない川で、カヤックやカヌーが楽しめます。先住民に治癒性があると信じられてきた温泉地は、1921年にホットスプリングス国立公園となり、今でも多くの人々が訪れる人気スポットです。ブルースなどの音楽発祥の地でもあるこの地域は、ジョニー・キャッシュと第42代クリントン前大統領の出身地です。

川くだりが人気
ミルトン湖の夕焼け(ホットスプリングス)

この州に派遣されたコーディネーター

清水 千恵実 Chiemi Shimizu
第17期 コンウェイ/アーカンソー中央大学
大学で音楽教育を専攻し、卒業後、3年間小学校に勤務。その後、2年間カンボジアの小学校教員養成校で情操教育の授業をサポートし、帰国後、アウトドア会社で子ども向けイベント企画や運営等を行う。世界の様々な教育現場に直接触れ、教育者として知見を広めつつ、子どもたちの成長に携わりたいと思い、JOIに参加。

JOIを通した国際理解

私が住んでいたアーカンソー州は、ミシシッピ川流域にある南部の州で、州の愛称「Natural State」の通り自然豊かな場所です。赴任前研修をしたテネシー州のナッシュビルからアーカンソー州に入ると緑が増え大豆畑が広がったのをよく覚えています。私のアメリカの好きな物の一つに、各州の名産品のイラストが入った車のナンバープレートがありますが、アーカンソー州のそれにはダイヤのイラストが描かれています。アーカソー州はダイヤモンドラッシュが起こったユニークな歴史があるのです。

私は州内で二番目の規模の大学であるアーカンソー中央大学の配属になりました。1年目のハイライトは大学で開催した「Japanese Concert」です。学生たちが日本人アーティストの曲をピアノ、クラリネット、フルート、マリンバ、ギターで演奏したり、アカペラを披露したりしました。また、他大学から日本人のパーカッショニストの方が来てくださり和太鼓での即興演奏をしてくださいました。私は、ちょうどアメリカ旅行に来ていた母と一緒に箏と三味線を演奏することができました。この時は大学内外から約80名が来てくださり、初めての大舞台にとても緊張していた私でしたが、演奏やMC中の観客の方々の笑顔に救われ、途中の「さくらさくら」や「崖の上のポニョ」の挿入歌では大勢の方が一緒に歌ってくださり、驚きと嬉しさでいっぱいでした。また学生たちが準備や進行、片付けを率先して手伝ってくれたのも心の大きな支えになりました。「今までにないイベントでとてもワクワクした」「伝統楽器の音を生で聴けるなんて嬉しかった」という有難い感想を頂き、やはり音楽はそのものが喜びであるし、その場を共有できる最高のものだと改めて感じました。箏や三味線を演奏する機会はその他にも多く頂き、他大学の音楽の授業や図書館でのイベント、在ナッシュビル日本国総領事館主催の月見会などでも演奏することができました。

2年目に一番時間をかけたイベントとしては、「Japanese Festival」があります。スーパーバイザーとジャパニーズクラブのメンバーで何度も打ち合わせをし、国際交流基金の助成金を使わせて頂き、スポンサーやボランティアを募って作り上げたイベントでした。当日はボランティア含め約500人のゲストで会場が埋め尽くされ、手作りの日本食、日本文化体験アクティビティブースと剣道、ダンス、音楽などのパフォーマンス、クイズ大会、コスプレコンテストなど始終熱気でいっぱいでした。コミュニティとの繋がりとたくさんの支援のおかげで、ゲスト側もアウトプットすることができるオリジナルのお祭りができたと思います。「Japanese Festival」以外にもクッキングクラスや茶道のイベントではいつもジャパニーズクラブの学生たちとタッグを組んで行いました。これはJOIの活動とは少々外れるかもしれませんが、国外に出た日本人の留学生たちがどのように生活し悩み成長していくのかを垣間見ることもでき、非常に良かったと思います。一緒に作り上げたイベントが、頼もしくて才能に溢れた彼らとコミュニティを結ぶ大切なきっかけになったのも嬉しいことでした。

私のJOIへの参加の目的は、「アメリカの教育現場から学ぶ」「アメリカにおいて国際理解教育の一端に関わる」ことでした。アウトリーチで訪問した小学校では、先生に学校現場のお話を聞く機会もありました。常勤のカウンセラーの先生、貧困家庭のため、食事が十分にとれない子どもへのバックパックサポート、カフェテリアでのランチなど日本とは異なるシステムがたくさんあり、子どもと教員双方にとっても生活しやすい方法の一つだなと視野を広げることができました。また、私たち17期の派遣中は、国のシステムや人種の問題を考える歴史的な出来事も起こりました。個人の命や尊厳を守ることは大前提として、その中で特に感じたのが、立場によって異なる「正義」の違いでした。私が想像し得ない経験をしている人がいて、それを踏まえた自分なりの正しい意見を持っているということはアメリカ国内にいたからこそ特に実感したのかもしれません。異なる環境にいる(いた)人にどう反応し接していくか、そして自分と相手が生きやすい環境を作るにはお互いどうしたら良いか、と考えることは、これからますます必要になります。だからこそ日本のことを特段知らないアウトリーチ先の小学生が日本の文化に向けてくれた純粋な好奇心に満ちた眼差しは、かけがえのないものだと心から思います。そしてそれは日本の子どもたちにも言えることです。

帰国直前に岩手の花巻市と姉妹都市であるアーカンソー州のホットスプリングス市の交流協会の方々から、私の箏演奏中の姿を描いた絵をプゼントして頂き、米国から去る寂しさに拍車がかかりました。アーカンソー州の日本国名誉領事のメアリーさんが最後に「国同士での衝突は止まないけど、人の繋がりだけは信じられる」と仰っていたのが強く心に響きました。いつでもサポートしてくれたスーパーバイザーのデイビットさん、優しく、ユーモアのある同僚や友人に支えられた幸せな2年間でした。

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村田 彩 Aya Murata
第15期 コンウェイ/ヘンドリックス・カレッジ
小学校で初めてオーストラリアへのホームステイを経 験。大学では異文化コミュニケーションを専攻し、留学や 国際交流活動を通し文化・宗教を越えた交流の大切さを 学ぶ。卒業後、都内のホテルで勤務し世界中のゲストを 迎え日本文化を発信する中で、さらに自分が日本と世界 の架け橋になりたいと思い JOI への応募を決意。

「草の根」コーディネーターである意味

私が参加した日米草の根交流プログラムですが、そもそもこの「草の根」とは何なのでしょうか。この答えは、実際に米国アーカンソー州で2年間を過ごすことでやっと見えてきたように感じます。私にとって、「草の根」とは、その地域に住む人々と同じ空気を吸い、似たようなものを食し、そして、一緒に喜びや苦労を共有することで生まれる関係性だと思います。私が2年間常に意識していたことは、一方的に日本について語るのではなく、現地の人々が日本の何について興味があり知りたいと思っているのかを理解し、何を伝えることで一日本人としてリアルな日本を紹介できるのかということでした。また、逆にリアルなアメリカを知ることも、私の大きな目標の一つでした。

アーカンソー州は米国南部に位置し、とてもフレンドリーで心の温かい方が多く、よく道端で知らない人とも会話を楽しむことがありました。ヘンドリックス大学では、アメリカ人の大学生約10人と共に、「日本語ハウス」のディレクターとして2年間共同生活をしました。

日本語ハウスでは、日本料理作り、日常会話練習、季節ごとのイベントなど、様々なアクティビティを行いました。一番の思い出は、2年間に渡り行った「ソーラン節」チームとの活動です。約3か月間、夜遅くまで学生にダンス指導をし、その後、大学内や地域の図書館・イベントで披露しました。約300人の前で踊った最後の発表では、「日本の踊りの迫力に圧倒された!」と多くの方々から賞賛の声を頂きました。学生たちと多くの時間を共有することで、仕事の域を超えて絆を深めることができたのが最大の喜びです。日本語ハウスのメンバーから、すでに留学や仕事のため日本に来ている学生が数名、さらに来年以降日本に来る予定の学生が5人以上いるなど、今までは日本に来るのは遠い夢のように思っていた彼らが、私との関わりを通し、少しでも日本を身近に感じてくれたのであれば嬉しく思います。

また、アーカンソー州の学校や図書館、シニアセンターなどを訪問し日本を紹介することで、2年間で約1万2千人の方々に出会うことができました。紹介するトピックも様々、書道、茶道、剣道、俳句、アート、餅つき、着付け、ダンス、折り紙、季節のイベント、学校生活、日本語指導など、対象者の興味の幅に合わせて英語で紹介できるよう勉強も欠かせませんでした。アーカンソー州に住む日本人の方々との交流も広がり、各人の得意分野でお手伝いいただけるなど、自分一人ではできないようなことも周りの協力があり、乗り越えることができました。このようなネットワークを活かし、2年目の春に開催したアーカンソー州初の日本祭りでは、アーカンソー州の4大学と日本人コミュニティと連携し、約400人が参加するイベントを成功させることができました。手作りのお好み焼きや焼きそばを提供したり、ヨーヨーすくいや盆踊りを行うなど、日本のお祭り文化を参加者の方々に体験していただけました。私が学校訪問で訪れた子どもたちや同僚のご家族、4大学から集まった世界各国の大学生など、当日は歩く隙間もないほど会場は人で埋め尽くされました。ある同僚の中学生の娘さんから、「お祭りの時に初めて自分で書いた書道の作品と、描いてもらったアニメスタイルの似顔絵は私の宝物」と聞いたときは、本当に涙が出るほど嬉しかったです。このイベントを通し、新たに大学の枠を超えたネットワークも生まれ、来年以降も続けて開催したいという関係者の熱い声もあり、ゼロから始めたことが今後の日米交流のきっかけになると思うと感慨深いものがあります。

コーディネーターとして日々忙しく活動する傍ら、知り合いのご自宅でパーティーをしたり、全米30州を旅行したりと、アメリカの様々な姿を見ることもいい勉強になりました。特に、スーパーバイザーのご家族には家族の一員のように休日や休暇を一緒に過ごさせてもらうなど、2年前には全く知らなかったアーカンソーの地が、ホームと呼べる場所に変わっていました。アメリカで長期間生活するという経験は、日本を一歩離れた視点から見ることができ、またアメリカの方々が日本の何を知りたいのか直で見聞きできるとても貴重な体験でした。一方、日本人率の少ないアーカンソー州では、日本にいては経験することのないマイノリティの立場で生活することで、社会における様々な立場の人を理解する視点を持つことができるようになったと思います。今後はこれらの経験を活かし、日本にいる外国人の方々を含め、日本と他の国の人々の橋渡しとなれるような人間になりたいです。

2年間にわたり活動を支えて下さったヘンドリックス大学の皆様、国際交流基金、ローラシアン協会のスタッフの皆様、そして家族や友人に感謝の意を表したいです。本当にどうもありがとうございました。

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木幡 陽子 Yoko Kowata
第8期 フォートスミス/アーカンソー大学 フォートスミス校
大学時代にインドネシア農村で有機農業技術普及のボランティアに参加。国際開発/教育に興味を持つ。大学卒業後はイギリスの大学院に留学、環境学を学ぶ。その後、国際環境NGO、日本企業での勤務を経て、JOIへの応募に至る。

Arigato, Yoko- sensei!

ブルーのToyota Yarisとともに駆け抜けた私のJOIコーディネーターとしての2年間は波乱万丈という言葉がぴったりと当てはまるような2年間でした。もともと日本でもペーパードライバーだった私がマニュアルのYarisを購入し、初めは危なっかしい運転をし、何度も道に迷い、とても恐ろしい思いをしたことも多々ありました。そのような私が2年後には一人で車を乗り回して活動できるようになりました。私の小さな青い車のたくさんの傷や窓ガラスのヒビはそんな波乱万丈の2年間の努力の象徴です。なかなか、自分を客観的に見て自分の成果を評価するというのは難しいですが、このような小さな変化もJOIというプログラムが私に与えてくれた成長の一つです。

私が2年間JOIコーディネーターとして活動した、ここフォートスミスは、意外と控えめでシャイな人が多いところです。もちろん子どもたちはというと、世界中どこでも同じ、元気で好奇心旺盛、教室を訪問すれば質問の嵐ですが、日本にも様々な人がいて、それぞれ違った文化があるように、アメリカも土地によって人も文化もこれほど違うものかと実感しました。そしてなんといってもアメリカ南部といえば、ホスピタリティー。都会にはない、人との距離の近さ、コミュニティの絆の強さ、義理人情が根強く残っている地域です。その様な地域でのアウトリーチ活動は、接する人との距離が近く、とてもやりがいのあるものでした。コミュニティでお習字や日本語を教える機会に恵まれ、「Yoko- Sensei」と呼ばれたのも人生で初めてで、はじめはうれしいような、照れくさいような気持ちでした。しかし、活動を続けていくうちに、生徒に何かを「伝える」という行為にとても魅力を感じるようになり、この先も「教える」という活動を何らかの形で続けていきたいという目標を持つことができたのもJOIのおかげと、このプログラムに参加できたことにとても感謝しています。

JOIコーディネーターとして活動した2年間は私自身の人生においても大きな変化の時期でした。この地に派遣されてから2ヵ月後、まだ新しい環境での活動に慣れない矢先に父が他界。2年目には3/11の東日本大震災が起こり、祖母が他界。そして原子力発電所の近くに住む家族が被災、放射能の影響で、生まれ育った町を失いました。この3/11の東日本大震災の影響で、計画していたコミュニティ内での和太鼓のプログラムも、演奏者が渡米できなくなってしまった関係で、残念ながら中止となってしまいました。しかしながら、災害復興の募金活動やイベント、そしてプレゼンテーションを通して、地域の人々に日本のこと、災害後の現状を知ってもらう機会を提供できたことは良かったと思います。

地震後に立ち上げた災害復興プログラムの中でも、特に力を注いだのが、スーパーバイザーやアーカンソー大学フォートスミス校の多大な協力を得て立ち上げることができた、被災奨学金です。生活そのものを復興するのもままならない中、住む場所を失った学生さんたちには、学業への復帰はどうしても二の次になってしまいます。そのような境遇に置かれた被災地の学生さんに安心して勉強できる環境と機会を与える協力がしたいというフォートスミスのさまざまな方々の募金や協力、励ましを得て、宮城県から被災された2人の学生さんを受け入れる被災奨学金を設立することができました。

かくいう私自身もこの地震でたくさんのものを失った被災者の一人です。地震の直後はあまりに突然の出来事に、それほどのショックも感じることができず、ただ、家族の生存が確認できたことへの安堵感しかありませんでした。しかし、地震からしばらくたつと、今後自分の家族と自分自身はどうなってしまうんだろうかというとてつもない不安が襲い、訳もなく不安になり涙が止まらなくなることもありました。しかし、たくさんの人からあたたかい励ましの言葉やサポートを受けるうち、そのような励ましに報いることができるよう少しでも災害復興や被災者の方々の力になりたいと強く思うようになりました。地震の際、アメリカにいた私には、実際に日本で地震を経験した被災者の方々がどのようなつらい経験をしたのかは計り知れません。また、日本国外で何か力になりたいと思ってもできることは限られてしまいます。そのような状況の中、この奨学金を通して2名の学生さんが学業を続けられるようお手伝いできる機会を得たことはとても幸運だったと思います。

このようにJOIの活動を振り返ってみると、活動を通して接した方々からのあたたかいサポート、様々な面での自分の成長など、プログラムを通して得ることのできた恩恵に報いるだけのものを私もコミュニティに返す事ができたことを祈るばかりです。2年間、貴重な機会を与え、ご支援くださった国際交流基金、ローラシアン協会、アーカンソー大学フォートスミス校、フォートスミスの皆様には、この場をお借りして、心から感謝申し上げます。

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派遣対象地域

JOIプログラムの派遣先をご紹介します。
各州の概要や派遣されたコーディネーターの活動報告を掲載していますので、地図をクリックして是非ご覧ください。