ジョージア州 Georgia
州の情報
- アトランタ
- アセンズ
- バルドスタ

州都 | Atlanta/アトランタ |
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人口 | 1,071万 |
主要都市 | オーガスタ コロンバス |
主な観光地 | Augusta/オーガスタ Columbus/コロンバス |
州の紹介
桃の生産で有名な「桃の州」ジョージアは独立13州の一つで、1788年に4番目のアメリカ合衆国州となりました。山や海などの美しい自然から都会の景色や歴史の街並みまで、どんな訪問者も楽しませてくれます。オリンピックでも有名になった州都アトランタは、世界的企業のデルタ航空、コカ・コーラ、CNN、UPSなどが本社を構えています。ダウンタウンには10万種以上の水生動物がいるジョージア水族館、同州生まれのコカ・コーラ飲料の歴史が学べるワールド・オブ・コカ・コーラなど大人から子供まで楽しめる見どころがたくさん。南北戦争時代の街並みが残るサバンナでは、歴史的建築物、スパニッシュモスがかかるオーク並木、美しい公園など散歩するだけでもロマンチックな気分に浸ることができます。
この州に派遣されたコーディネーター
2年間を振り返って
2年目はあっという間に過ぎ、いざ帰国日が迫ってくると、全てが懐かしく、アトランタを去ることがこんなに悲しく感じるものとは想像もしていませんでした。
ここでは特に印象に残っているイベントを紹介していきたいと思います。
2年目前半は、毎年9月中旬に2日間開催されるアメリカ南東部最大の日本のお祭り“JapanFest Atlanta”の準備に追われていました。近年来場者は増加を続け、2016年度は、過去最高の約23,500人もの人々がジョージア州のみならず、近隣の州からも訪れ、大成功を収めました。日本の食べ物、伝統芸、文化に関するワークショップ等、来場者に楽しんでもらえるよう1年前から実施委員会のメンバーと話し合いを始め、計画を立てていました。私は子どものためのエリアを担当しつつ、助成金の申請書類の作成、会場設定、パフォーマーのスケジュール管理も担当しました。

また、熊本地震災害復興義援金も同時に募り、熊本県からは特別ゲストとして日本のゆるキャラを代表するくまモンを呼び、熊本の事やゆるキャラの紹介、くまモンダンスの披露をしてもらいました。子どもたちには大盛況で、アンケートから来年もぜひ子どもを連れてきたいという方も多く見受けられ、実行委員会メンバーの一人としてお祭りを盛り上げることができました。
2年目は期せずして、アトランタだけでなく、他の市からもお茶のワークショップの依頼を数多く受けました。私もお茶は大好きだったので喜んで受けていたのですが、日本のお茶の作法に従いそのまま実施すると、アメリカの参加者の方々を退屈にさせてしまうことも時にあり、途中から参加者に合った形に変更していきました。基本の作法には従いつつ、参加者が退屈しないよう日本の琴の音楽をかけたり、日本の四季折々の自然の風景をプロジェクターで映したり、実際に参加者にもお茶を点ててもらったりと、細かい作法はあまり気にせず、まずは日本のお茶に興味を持ってもらうことに重点を置くようにしました。
参加者からは楽しかったのでもう一度やって欲しい、今度は家で点ててみるのでお茶の銘柄を知りたいといった嬉しいコメントも聞け、日本に興味を持つきっかけを作れたことはとても嬉しく、アウトリーチ・コーディネーターとしてやり甲斐を感じた瞬間でした。また、各国に合った教授方法があることも学びました。特にアトランタではプレゼンターがどこかの節で「笑い」を入れる傾向がありました(南部だけでしょうか?)。ジョークで笑わせ聴衆の心を開き、内容に入りやすくするアメリカ人のプレゼン力は本当に素晴らしいと思います。実際にそれを学び、実践できたことは大変貴重な経験になりました。
最後に一番印象に残った活動を紹介します。帰国する約1か月前に開催された第27回日米草の根交流サミット奈良大会です。私はこのサミットにジョージア州メーコン市の政府ユースリーダーシップに所属している生徒15名、大人の付き添い5名と共に添乗員兼通訳として参加しました。これは奈良、金沢、黒部、東京を約2週間かけて訪問し、現地の学校訪問やホームスティを通じ、日米間の相互理解及び文化交流を図る交換プログラムです。訪日数か月前から日本の関係者と各種調整を始め、学生たちも日本で披露する公民権のプレゼンテーションの準備に余念がありませんでした。日本ではプレゼンテーションを合計4回披露する機会を与えていただき、どの発表の場でも賞賛の言葉を頂きました。アメリカのあまり知られていないヨーロッパ諸国からの多くの開拓移民と先住民インディアン間の歴史、奴隷解放、公民権に関して日本の方々に伝えることができ、実際に自らの言葉で語り伝えていくことの重要性を改めて実感しました。


海外へ行くのが初めての学生も数人おり、日米の文化の違い、言葉の壁に悪戦苦闘しながらも最後まで日本の文化や人々について前向きに学ぼうとしてくれる姿に何度も心を打たれました。短い滞在にもかかわらず、大学で日本語を勉強して親を日本に連れて行きたい学生や、JET( The Japan Exchange and Teaching Program)として日本に滞在し、日本の事をもって知りたいと言ってくれた学生もおり、この滞在で築いた関係を今後も長く続け、将来は何等かの形で日本とアメリカを繋ぐ仕事に就くきっかけになれば大変嬉しく思います。このプログラムを通して、参加者だけではなく、私も改めて、草の根レベルでの相互理解の努力は必要不可欠であり、こういった小さな積み重ねが2国間の友好関係を築く礎になるのだと実感しました。
最後になりましたが、最初から最後まで温かく見守り、サポートしていただいたジョージア日米協会のスタッフの皆さん、そしてこのような貴重な経験を与えてくださった国際交流基金、ローラシアン協会のスタッフの皆さんに心から感謝申し上げたいと思います。今後もこの経験を活かし、日本と世界を繋ぐお仕事をしていきたいと思います。
バルドスタでの草の根交流を終えて
派遣先のバルドスタで過ごした2年間は驚くほどあっという間に過ぎていきました。何もないところから仕事と生活の基盤を作り上げるので精いっぱいだった1年目が過ぎ、活動の場を広げることを目標にした2年目はより多くの人に日本の文化を紹介することができました。
2年間のJOI活動の中で一番苦労したことはアウトリーチ先を探すことでした。活動を認知してもらうまでにはたくさんの壁に直面し、最初の数カ月は活動できる場所を開拓することに多くの時間を費やしました。学校の先生や担当者に送ったメールの返信がもらえず落ち込んだり、なかなか活動場所が見つからず焦る日々が続きました。そんな中、アジア教育に力を入れている大学の担当者が集まる会議に参加し関係者の人を紹介していただいたり、また毎年開催されるバルドスタ市のインターナショナルフェアの担当者と顔合わせをするなどして人脈を広げることから始めました。
少しずつ活動が軌道に乗ってきたころに訪問先の小学校で出会った先生に言われた言葉が印象に残っています。「この地域に住んでいる子供たちは経済的に厳しい家庭環境の子たちが多く、外国はおろか国内旅行もできない家庭が多い。そんな中、あなたが日本人の代表として自国の文化を紹介する活動は、子供たちに異文化を認識させ、彼らの視野を広げ、世界へと飛びたつ可能性を作る道筋となるでしょう」。この言葉はアウトリーチ活動の意義を再認識するきっかけになりました。異文化交流をする機会が少ないこの地域で可能な限り多くの場所に出向き活動していきたいと強く思い、これを2年目の目標にしました。活動範囲をフロリダ州南部からジョージア州北部までに広げ、依頼があれば車で3時間から4時間、時には6時間かかる場所にも出向きました。各地で行われるインターナショナルフェアにも積極的に参加し、その結果2年間で延べ約2万人の方と出会い日本文化を紹介することができました。
アウトリーチ場所は主に小、中、高、大学、図書館やYMCAなどで、一番印象に残っているのが小学校及び中学校訪問です。プレゼンテーションの内容には生徒たちの身近な関心事である食生活や学校生活、衣服などを盛り込みました。その他に浴衣の着方デモンストレーションや折り紙、箸の使い方などの体験学習を取り入れました。最初は興味がなさそうな生徒たちも途中から興味をもって聞き入ってくれるようになり、知らないことをもっとよく知ろうと質問をしてきてくれたりしました。楽しみながら日本文化を知ってもらうことができました。生徒たちからだけではなく、先生からも「とても教育的な内容でした」「子供たちにはもちろん、私たち教師にとっても充実した内容でした。ありがとう」と感謝の言葉をいただき、とても嬉しくやりがいを感じました。現地に滞在して本当に自分が役に立っているのか不安になる時もありましたが、このような言葉や生徒たちの喜ぶ顔に支えられ2年間頑張ることができました。


バルドスタ市では毎年インターナショナルフェアが開催されます。アジア、アフリカを中心とした各国の代表者たちがプレゼンテーション、パフォーマンス、体験活動を通して自国の文化を伝えるイベントです。2日間で約3,000人が来場します。2年目は日本ディレクターとしても活動し、会場設営からプレゼンテーション、パフォーマーへのダンス指導や当日の動きの指示を担いました。パフォーマンスでは地元の中学生、高校生と日本人留学生に協力してもらい、日本の民謡であるソーラン節と和服の帯の結び方を実演しました。アメリカ剣玉協会の方々にも参加していただき、プロの剣玉パフォーマンスを披露してもらいました。
その中でも一番時間を費やしたのはソーラン節のダンス練習です。週1回4カ月にわたり練習が続きました。途中で飽きてしまう生徒もいて、長期間モチベーションを維持させる指導の難しさも痛感しました。音と動きがかみ合わず、一人一人の動きもバラバラだったダンスでしたが、長期間の練習の甲斐があり、本番では息の合った踊りを披露してくれました。そのダンスを見た時は、彼女たちを誇らしいと思う気持ちでいっぱいになりました。


ボランティアへの指導やパフォーマーへの指揮等とても忙しく大変でしたが、イベント全体を通してやり遂げた充実間は格別でした。それは同時に自分の自信にもつながりました。
この草の根交流活動は、異文化を学びながら人種や国を超えてお互いを理解するきっかけになるものだと思います。その一員としてこの活動に携われたことは私にとって貴重な経験となりました。
最後に、この機会を提供してくださった国際交流基金及びローラシアン協会の皆様、現地で支えてくれたスーパーバイザー、日本人留学生、インターナショナルフェアのディレクター、また受け入れてくださった機関の関係者すべての人にこの場を借りて感謝いたします。
コミュニティの力を信じて
2年間過ごした町で、JOIコーディネーターとして何を残せたかを振り返ろうとすると、むしろ自分自身が教えてもらい、与えてもらったことの連続だったのだと実感します。特に、帰国まで1年をきった2年目に、ここに残せる何かを作りたいという思いで取り組んできたことが、よりいっそう私に多くのことを教えてくれました。そのことを経験させ、考えさせてくれた図書館での活動を、活動終了報告として紹介したいと思います。

学校訪問を中心にしていた1年目の活動に変化を加えたかったこと、この町だからこそ求められるニーズに応えたかったこと、1年間かけて築いたネットワークとノウハウを活かして一歩踏み出した活動をしたかったこと、さまざまな思いとタイミングが重なり、図書館で「紙芝居の読み聞かせ&日本紹介」を毎月開催することになりました。そもそものきっかけは、お子さんに日本語を教えながら生活してらっしゃる地域の日系のご家族から、お子さんたちがもっと日本語に触れられる機会を増やしたいというお話を伺ったことでした。そして、そういうニーズがあるならと「ジャパニーズ・ストーリータイム」という企画を図書館に持ち込むことになりました。
ところが、一番初めにぶつかった壁は「ジャパニーズ」の解釈です。このプログラムを「日本語で」(日本語を理解できる人のみに向けて)進めるのか、「日本の」お話を用いて英語で進めるのか、とても悩みました。というのも、JOIの大きな目標の一つが、「派遣された地域のアメリカ人の方々に対して、日本への理解を深める活動を行なう」ということだったので、「日本語で」だと、公立図書館という公の場で日本語がわかる人だけに向けた限定的な活動になってしまうと懸念したからです。一方で、英語だけでプログラムを進めたからといって、果たしてアメリカ人の方々が自発的・定期的に参加してくれるかどうかとても不安でした。そこで、学生からボランティアを募り、日本語と英語の2言語で、日本の伝統的な昔話を紹介しながら、国籍は関係なく教育的視点から子どもの視野を広げ楽しんで参加してもらえる「お話の会」、という形でプログラムを進めることになりました。
結果からいうと、このプログラムは大成功でした。日本語をお子さんたちに聞かせたいという日系のご家族が集まってくれたことに加え、身近な場所での国際交流の機会を活用しようとお子さんを連れてきてくださるアメリカ人の親御さん、初めて耳にする日本語の響きに興味津々でやってきてくださる方、また、紙芝居の手法と大きな紙芝居カードの絵に魅了されて毎回楽しみに来てくださる方、それぞれにプログラムの利点を見つけて来て下さる方が大勢いて、図書館の中でも人気のプログラムとなりました。しかも、この活動に対し地域の方から寄付金をいただき、プログラム自体をより充実させることができました。また、図書館のネットワークを使って、アセンズからもっと遠く離れた周辺の町にも「ジャパニーズ・ストーリータイム・キャラバン」と題して出張訪問し、より多くの人々に日本紹介をすることができました。

他に良かったことは、図書館という公共の場に日本人が定期的に集まることにより、プログラムの重要性と必要性を図書館側で認識してもらえ、同時にアメリカ人に対しても、こういった小さいながらも日系のコミュニティがこの町にも存在するということをアピールできたことです。そのことは、プログラム自体の成功とは別の形で、日米交流のきっかけ作りにつながっていくと思います。ここに参加してくれた子どもたちが、今度は自分たちの手で日米の交流をつないでいってくれればと期待しています。
そして、何より私自身この経験を通して学んだことがあります。1年目は何を活動の主体にしていいかわからずに学校訪問ができるところを手当たり次第に当たるという方法で、一人で連絡をとり、一人で学校に行き、一人でプレゼンテーションをしてくるということの繰り返しでした。毎日多くの小中学生に会え、そこで子ども達の目線で日本のことを紹介できたという満足感とは裏腹に、組織的な形にできなかったことに苛立ちを感じることがありました。地域にいる日本のアウトリーチコーディネーターは私だけで、自分一人で活動している気がしていました。しかし、2年目に図書館での活動をしてみて、場所を提供してくださる図書館があり、快く相談にのってくれる図書館員の方がいて、準備や練習に付き合い一緒に紙芝居を読んでくれる学生の協力があり、そこに毎月楽しみにして聞きに来てくださるご家族があることを目の当たりにし、アウトリーチはこのようにみんなで作り上げていくものなのだと強く感じることができました。

派遣されたコミュニティで求められるニーズを探し、そこを埋めていく、という作業はとても有意義でした。そして今、新たな年度になり、このプログラムが学生と地元ボランティアの方々の手によって継続されていると聞き、とても嬉しく思います。こんなところに草の根レベルで活動できるJOIらしさがあるのだと改めて実感しています。アセンズに派遣されたことに意味を見出せて帰国できたことに感謝しつつ、この経験を今後違った形で活かせていければと思います。
現地での活動
活動を始めてからの数ヶ月間、覚えるべきこと、慣れなければいけないことがたくさんありましたが、最大の課題は「車で自由に動く」ということで した。片側6車線もあるハイウェーのおびただしい交通量の中を自由自在に走りまわることなど、ペーパードライバーだった私には不可能に感じられ、絶望感すら抱いていたほどです。プログラム関係者から半ば脅しともとれる 「練習せよ」の指令を受け、週末に早起きをして恐々ハイウェーを運転したおかげで、ほどなく、地図を片手にどこにでも出かけられるようになりました。
受入れ団体であるジョージア日米協会がJOIコーディネーターに望んでいたのは、文化・教育部門を担当する文化コーディネーターと経理を含む事務部門を担当するオフィスマネージャーの両方の役割でした。スーパーバイザーと二人だけのオフィスであることを考えればこの期待は当然のことといえますが、郵便物の発送、書類のファイリング、会員情報の更新、理事会やイベント案内の発信や出欠確認、小切手や財務報告の作成等々、多岐にわたるオフィスマネージャーの仕事と文化コーディネーターの両立は困難ではないかと感じていました。オフィスの仕事に慣れるのに手一杯だった時期は、同期のコーディネーターから学校訪問などの報告が届くたびに、焦りを感じ、研修で呪文のように何十回も聞かされていた「Each site is DIFFERENT ! (それぞれの派遣先は違う!)」を自分に言い聞かせたものでした。

オフィスマネージャーとしての仕事が軌道に乗ってからは、学校やその他 の団体を訪問しての文化紹介を開始すると同時に、文化コーディネーターとオフィスマネージャーの立場で、また日米協会の文化教育委員会の一員として、大小のイベントの企画・運営にも携わっています。アメリカ南東部最大の日本関連イベント「ジャパンフェスト」、大学生が対象の「スピーチコン テスト」、福岡市で行われる「アジア太平洋こども会議」、1 年に2 度の晩餐会、サイレントオークション、ゴルフトーナメント、ワインテイスティング等々、どれも日米協会にとって、重要なイベントです。2006年は、博物館、教会等の団体と協力して、これまで日米協会が開催したことのないようなイベント開催を計画しています。

将来へむけて
日米協会の仕事はもちろん、他団体と共催するイベントなどを通して、たくさん のことを日々学んでいます。この経験を生かし、今後も日米間のみならず、日本と他の国との相互理解のための仕事をしたいと思っています。