アイオワ州 Iowa

ホーム派遣対象地域アイオワ州

州の紹介

アイオワの広大な畑

「鷹の目」の愛称で親しまれているアイオワは、家畜業や乳業が盛んで、国土面積は23番目と大きくはないものの、農業の州としてとうもろこしや大豆産業を支えています。州都デモインはショッピングはもちろんのこと、様々なイベントが一年を通して開催される賑やかな街で、訪問者を歓迎してくれます。見どころのアイオワ州議事堂では、美しい建築デザインとデモインの街並みが楽しめます。シーダーラピッズにある国立チェコスロバキア博物館図書館では、常設展や特別イベントを通してチェコスロバキアの歴史や人々について理解を深めることができます。フーバー前大統領生誕の地では、同州が輩出した唯一の大統領である、第31代フーバー大統領の半生や国に与えた影響について学べます。

アイオワ・ステート・フェア
フーバー前大統領生誕の地

この州に派遣されたコーディネーター

早坂 武志 Takeshi Hayasaka
第20期 デモイン/アイオワ日米協会

宮城県出身。大学生の時にニュージーランドに短期留学をし、異なる文化に触れて海外に興味を持つ。その後も、在学中にインドネシアでの日本語教師ボランティアやコロンビアで青少年活動ボランティアに参加。大学卒業後は一般企業に就職するも、海外生活への憧れからワーキングホリデーでカナダに行き、続けてフランスで短期留学を経験。帰国後は人材会社で勤務。海外事業部に所属し、日本で働きたい外国人の就職支援と外国人を採用したい企業のコンサルティング業務を担当。新しいことにチャレンジして自分の可能性を広げたいという思いから、JOIプログラムに応募。

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庄嵜 由紀 Yuki Shozaki
第12期 デモイン/カルチャーオール
高校時代にアメリカへ留学、本物の「異文化交流」そのものに感動、魅了される。大学卒業後にオーストラリアで日本語教師アシスタントとして働き、帰国後は公立中学で講師(英語)として働く。その後日本語教師養成講座を受講中、JOIプログラムに出会い、「これぞ自らの経験を生かせるチャンスでは!」と思い応募。

私は日本人。あなたは〇〇人。そして、私「たち」は「地球」人!

およそ2年と半年前、募集要項を見てすぐに「これだ!」と思い応募を決意はしたものの、やる気と情熱で頭がいっぱいだったその反面、頭の片隅にひっそりと存在していた不安や心配と格闘しながら、募集締め切りのギリギリまで考えを煮詰まらせていたのを今でも鮮明に覚えています。

そして、実際に選出・派遣をしていただいて、2年間という任期を全うした今心から思うことは…月並みな表現かもしれませんが、ただただ「挑戦してよかった!JOIコーディネーターとして働けて本当に良かった!」ということです。

初めは少し長くも思えた2年という月日も、今となっては「これは現実だったのだろうか」とさえも思えるほど早く、めまぐるしく、そしてとても充実したものでした。

私という人間を溢れんばかりの大きな愛で受け入れてくれたアイオワの土地も人も、そして日本から私の活動を支えてくださった家族や友人、そして国際交流基金とローラシアン協会を始めとする関係者の皆様に心からの感謝の気持ちでいっぱいです。

2年目に入ると、1年目の頑張りの甲斐もあって、アウトリーチのコネクションも一通り数が拡大し、更にはかつてお仕事をさせていただいた皆様の口コミを伝い、ワークショップのアウトリーチ活動の他にも様々な方面から色々な種類のお仕事をいただくようになりました。

その中でもひとつ印象深かったのは姉妹都市関連の事業やプログラムのお手伝いです。アイオワ州は戦後すぐに山梨県と姉妹都市提携を結び、この姉妹都市提携は日米間の中では最も古く、長い歴史があると言われています。そして何よりもすごいのは、それだけ長く関係を続けていることはもちろんですが、何といってもその活発さです。元来行われていた学生間の交流プログラムはもちろん、私の赴任中には新しくビジネスに焦点を当てた企業人や教師向けの交流プログラムなども遂行されました。

私は主に、計画の段階では日米両者の文化や礼儀を考慮したプログラム作りのアドバイス、またプログラム遂行中は通訳として同行・常駐し両者間の橋渡しをさせていただきました。学生間のプログラムというのは自身も昔参加させていただきましたし、同行もしました。しかしながら、「大人同士」となるとまた話は別。学生とはちょっと違った目線が必要になってきますし、滞在中の活動内容もただ「見て回る」だけというわけにはいきません。

例えば、一つは訪問期間中の滞在場所。もちろん、きっと真っ先に誰もが考えるのはホテルだと思います。「大人」ですから。しかしながら、今回私たちアイオワ側が提案したのはホームステイ。もちろん、経費云々の狙いがあったのも事実ですが、一番は「大人だからこそ」体験して欲しい、という想いでした。ビジネスが目的だからビジネスの現場だけを、教育が目的だから教育現場だけを…それだけでは本当の意味での交流にはならないのでは?現地での生活そのものを一緒に体験することで、これから先のヒントが見えてくるかもしれない、もっと深い部分での意見交換ができるのではないか、そういう想いでホームステイを提案させていただきました。

やはり、日本側の皆さんは初め躊躇しておられましたが、説得の甲斐あって同意していただき、実際にプログラムを執行。滞在期間中は様々企業や団体を実際に訪問、そして意見交換とネットワーキングの場も積極的に設けました。そして、最終日。いただいたのは「ホームステイをして本当に良かった。あの時、断ってホテルを取らずに正解でした!今までで一番貴重な体験になりました」という嬉しいお言葉と、他の何にも代え難い、皆さんの満面の笑みでした。

空港でお見送りをしたあと、アイオワ側の関係者たちと全員でハイタッチをして回ったのは言うまでもありません。

私たちが生きているこの地球には180以上の国が存在し、違う言語を使い、それぞれの歴史に伴って培われた伝統と文化に沿って生活をしています。ですから、「これはAだ」と今まで思い生きていたのに、「いや、これはBだ」と言われてしまうと驚愕してしまうのは誰しもあることで、仕方のないことだと思います。でも、決してどちらも間違っていないし、悪いことではない。反対に、言語も文化も違う、そんな中にもあっと驚く共通点があったりする。それが、異文化交流の面白さだと思います。

私もこの2年間はJOIコーディネーターとして、日本語や日本の文化に関する話を沢山してきましたが、その上で確立したのは自分の中にある日本人としての誇りと同時に「地球人」である、という想いです。

違いと共通点の両方を見いだし、それを互いに尊重し合える。そんな関係を築くために、これから先も小さなことからでもコツコツと自分なりに歩みを進めていけたらなと思います。

この2年間は本当に私にとって人生の転機と言っても過言ではないほど、大きな一歩でした。

挑戦して良かったと心から思います。本当にありがとうございました!

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日高 夢 Yume Hidaka 
第9期 アイオワシティ/アイオワ大学 国際プログラム
大学を卒業後、母校の外国人向け短期研修で日本語インストラクター兼キャンプカウンセラーとしての経験を積む。その後、同大学の国際交流センターに勤務しながら地球市民研究(平和教育)認定証を取得し、JOIへの応募に至る。

Peace. Love. Iowa.

帰国を控えた私に先日、同僚が「Peace. Love. Iowa」のロゴが入ったTシャツをプレゼントしてくれました。アメリカに詳しい人でさえもあまり馴染みがないアイオワ州ですが、私にとってはこのロゴの文字どおり、アイオワ州は平和で穏やかな環境の中、愛と温かさに満ちた人々で溢れる素敵な所でした。そんな恵まれた環境で2年間、アウトリーチコーディネーターとして活動するかけがえのない経験をさせていただき、幸せでした。

「もっと多くのアイオワン(アイオワの人)に日本を伝えたい!」という一心で、2年目の活動は1年目にも増して様々な新しいことに挑戦しました。その中でも一番力を注いだのが学校訪問でした。初めの頃は緊張で震えていた声も次第に落ち着き、2年目ともなるとジョークを連発して子ども達の笑いを取れるほどになり、自分自身の成長に驚いています。アイオワ州内のできるだけ多くの市や町を訪れることを常に目標としていたため、時にはアイオワを東西に横断するハイウェイI-80を、日の出を見ながら運転して学校へ向かい、夕日を見ながら帰路に着く日も多々ありました。

特に思い出に残っている経験は、コーン畑に四方を囲まれた田舎の町の小学校を訪れたときのことです。いつものように子ども達に「みんなSushi知っているよね?」と問いかけたところ、クラスのほとんどがポカーンと口を開けて「Sushiって何だ?」という顔を見せてきました。その瞬間、ハッと気づかされたことがありました。海のないアイオワとはいえ、ある程度の規模の町ならスーパーや日本食レストランで寿司を見かける機会もあるため、みんなが知っているものだと思い込んでいたのです。そのとき訪れた町のように片田舎では日本食に触れる機会もないことに気づきました。だから彼らに全く意味のわからない質問を投げかけてしまい、自分の異文化理解への勉強不足を痛感させられました。このような経験をいくつも重ねて多くのことを学びながら、たくさんの教室を訪問しては、いろんな子ども達と”Konnichiwa”を笑顔で交わしてきました。

また、東日本大震災が起こった年はすでにこちらで活動を開始していましたので、震災後の1年間は義援金集めのためのイベントを開催したり、学校やシニアセンターなどで震災について話したりする機会も多く与えられました。1年が経過した今年3月には「3.11」の節目の活動に取り組みました。震災で被災した子ども達が世界の人たちへの感謝をこめて描いた絵を、在シカゴ日本国総領事館の広報文化センターから貸していただき、ショックを受けた被災地の子ども達の悲しい思いを一人でも多くのアイオワの人々に伝えようと、市立図書館をはじめ、日本食レストラン、公開ラジオ番組などで紹介することに努めました。幸運なことに時期を同じくして、ある非営利団体とアイオワ大学の学生の協力のもと、大学内の映画館を使って、”The Tsunami and The Cherry Blossom”というドキュメンタリー映画の上映も行うことができました。当日は163席が埋まり立ち見が出るほどの盛況で、上映後に参加者から受けた温かいメッセージや、人々が未だに震災への関心を高く持っていることに胸を熱くしました。

今年5月には州都デモインで桜の100周年記念祭が行われました。この100周年記念祭は首都ワシントンD.C.を中心に、日本から贈られた桜の100周年を記念して開催されたもので、その記念イベントの一つとして、デモインに20本の桜の若い木が贈られ、アイオワ州議会議事堂の庭に植樹されました。その桜の植樹を記念して、アイオワ州姉妹都市協会が音頭を取って式典を催したのです。私も着任早々からこの姉妹都市協会の活動にボランティアとして参加してきました。特にアイオワ州と山梨県の交流に深く関わらせていただいた縁もあり、式典の準備、進行に携わることができたことは大きな収穫でした。

2年間の活動だけでは日本への関心をアイオワ州で広めることに目に見える成果が残せたかどうか、確証はありません。それでも出会った人々の心に深く刻まれるような方法で日本の伝統や文化を伝えてきたつもりです。また、活動で使用した資料や教材などはアイオワ大学をはじめ、アイオワ州内で同じくボランティアとして日本文化の紹介に尽力されている方々へ寄贈させていただきました。アイオワ州における日本への関心、興味が今後、ますます広がっていくことを応援し続けて行きたいと思います。そして、デモインに植樹された桜がしっかりと根付き、アイオワの厳しい冬の寒さを乗り越えて生長して、美しい花を開かせる日がくるのも楽しみです。

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派遣対象地域

JOIプログラムの派遣先をご紹介します。
各州の概要や派遣されたコーディネーターの活動報告を掲載していますので、地図をクリックして是非ご覧ください。