インディアナ州 Indiana
州の情報
- バルパライソ
- インディアナポリス

州都 | Indianapolis/インディアナポリス |
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人口 | 679万 |
主要都市 | Fort Wayne/フォートウェイン Bloomington/ブルーミントン |
主な観光地 | アイテルジョーグ・ミュージアム・オブ・アメリカンインディアン&ウェスタンアート インディアナポリス・モーター・スピードウェイ博物館 |
州の紹介
インディアナ州は1816年に19番目のアメリカ合衆国州となりました。1825年から州都であるインディアナポリスでは、ショッピング、レストラン、カフェ、博物館、そして気軽にアクセスできる運河や公園でのアクティビティが楽しめます。ダウンタウンすぐのホワイトリバー州立公園には、アイテルジョーグ・ミュージアム・オブ・アメリカンインディアン&ウェスタンアート、インディアナ州立美術館、インディアナポリス動物園など見どころが点在しています。20世紀初期には自動車製造が主要経済となり、40以上の都市で自動車を生産していた同州。ダウンタウンから11キロほど離れたインディアナポリス・スピード・ウェイで、世界的にも有名なインディアナポリス500マイルレース(通称:インディ500)が開催されています。
この州に派遣されたコーディネーター
日本と世界、人と人とをつなぐ
ゆるキャラでつながる
2年間を通して一番印象に残っている活動は、「ゆるキャラ」の紹介です。ゆるキャラの良さは、一目でその土地の名産や歴史などが分かることです。ゆるキャラ紹介のクラスでは、生徒たちと一緒に地元のゆるキャラを作りました。インディアナ州のチェスタートンを訪ねた時は、生徒の作品からその土地は、砂丘や鉄鋼業が有名であることを知り、ブルーミントンを訪ねた時は、石灰岩が有名であることを知りました。インディアナについて知識が少ない私に、生徒たちが目を輝かせながら、その土地の名産を教えてくれた顔が今でも思い出されます。ゆるキャラを通して、日本の文化を紹介し、同時に私自身がインディアナ州につ いて深く知ることができた瞬間でした。

また、年に一度インディアナポリスで開催されるインターナショナル・フェスティバ ルでは、巨大な日本のゆるキャラ都道府県マップを作成し、参加者の好きなゆるキャラに一票を投じてもらうというブースを作りました。この年は約7,500人が参加した大きなイベントとなりました。ある家族がマップを眺め、「この県は、何が有名なのかな」と一生懸命考えていたので、そこから会話が始まったり、日本に行ったことがある方は「千葉に住んでいたから千葉に一票」と嬉しそうに投票し、千葉の思い出話が始まったり…ゆるキャラを通して、会話が始まり、またここでも多くのつながりが生まれました。そして、ゆるキャラが大好きな私もインディア州のゆるキャラを作成し、展示させていただきました。その名も 「Hoosier Nekko(フージャー・ネコ)」。フージャーは、インディアナ州民のニックネームです。体がインディアナ州の形をしており、手は、インディアナ名産のとうもろこしを使用したポップコーン、口には地元のプロフットボールチーム、コルツのマークが入っています。このHoosier Nekko がいつかインディアナ州のオフィシャルゆるキャラとなり、インディアナと日本の絆をさらに深めてくれることを願っています。

SAKURA でつながる
また、2年目にはインディアナ日米協会の活動で、桜並木道を作るというプロジェクトが行われました。この桜は、1912年に日本より米国ワシントンD.C.に桜が寄贈されてから100 周年を記念し、日本から50本の桜の苗木を寄贈していただいたものです。数年間の育苗期間を経て、今年ようやく植樹を迎えることができました。インディアナ日米協会にとって初めての試みでしたが、食事やボランティア、エンターテイメントの手配や招待状の送付など様々な業務を担当し、当日は地元の方々約130名をお迎えし、インディアナポリスのダウンタウンに無事に桜を植樹することができました。穴を掘るところからの作業でとても力 のいる作業でしたが、日本人、アメリカ人、多くのインディアナ州民の皆さんと共に植樹ができた桜はとても特別なものとなりました。また春になり、多くの方々がこの桜の木の下に集い、お花見を楽しむのだと思うと、この桜が人と人を、またアメリカと日本をつないでくれているのだと心が温かくなります。

人のつながりが生み出すパワー
日本に帰国の5 日前、インディアナ日米協会が私のために送別会を企画してくれました。80名程の方がお仕事等あるにも関わらず、夕方私のために集ってくださいました。そこで多くの方から頂いたのは、「ちあきさんがいたから」という言葉でした。私がいたからつながることのできた人や場所があることを教えて下さいました。人と人が出会い、つながることで、そこには「仲間」という新しいパワーが生み出されます。この 2 年間で私には多くの様々な国籍の素晴らしい仲間ができました。その仲間である皆さんが、それぞれの場で、それぞれのスタイルで、日本を楽しみ、日本について学び続け、日本について伝えていってほしいと願っています。
最後になりましたが、私の車がこの2年間で走行した距離は30,000マイルを超え、地球一周以上の距離に相当します。インディアナ州に広がるとうもろこし畑の中、車を走らせ、色々な町を訪れ、日本文化の紹介をし、アメリカ文化を学んだ2年間。アウトリーチ活動を通して日本とアメリカをつなぎ、また自分自身がアメリカ文化とつなげられたそんな 2 年間であったと思います。この2年間インディアナでの生活を支えて下さったインディアナ日米協会の皆様、国際交流基金、ローラシアン協会のスタッフの皆様に心から感謝申し上げます。この経験を活かして、今後も日本と世界をつなぐ、人と人とをつなぐお仕事に励んでいきたいと願っています。

これからもつながるネットワークの輪
コーディネーターとして活動した時間は、私の人生の中で大きな意味のある2年間となりました。JOIを通して数え切れない人々と出逢い、日本、日本文化を伝えるために必死で駆け巡ったJOIアウトリーチコーディネーターとしての毎日は、とても楽しく、そこにはいつも人々の笑顔がありました。もちろん、振り返ってみると、楽しいことだけではなく、そこには挑戦すべき課題もたくさんありました。しかし、それを乗り越えることができた今、私が2年間で築き上げた和のネットワークは、これからもどんどん出逢った人たちによって繋がれていくのだと感じています。そして、そのバトンをつくることができ、とても嬉しい気持ちでいっぱいです。
2年目の活動目標は、より多くの学校やコミュニティへ足を運ぶことと、私が去った後も、今まで紹介した様々な日本文化活動を、学校やコミュニティで続けてもらうことでした。バルパライソ大学では、「日本・春祭り」という大きなイベントを開催しました。毎年30人ほどの参加者でしたが、この2年間で、異文化体験ブースをつくり、学生のパフォーマンスを増やしたことで、約150人にゲストが増えて大成功となりました。

また、図書館、老人ホーム、文化センターなどの施設とのネットワークも広がりました。老人ホーム訪問では、介護士の方と共に日本文化を紹介しながらできるリハビリ計画を担当しました。日本のラジオ体操を紹介したり、手先の運動のために、折り紙や切り絵、お箸の使い方を紹介したり、お年寄りのニーズに合ったアクティビティーを考えることで、それがリハビリにつながり、日本文化を取り入れた面白い企画の一つとなりました。
2年目の活動で最も印象に残っているのは、隣街にある「修行文化センター」の立ち上げのお手伝いです。一度足を運んでみると、そこには何もないただの建物があり、本当にここから文化センターをつくれるのだろうか少し不安になったことを覚えています。しかし、不安よりも好奇心が勝って、「絶対にこの文化センターを盛り上げ、地域の方にもっと日本を感じてもらえる場所にする」という意気込みが強くなりました。看板や内装づくりなどに取り組み、その後、文化クラスやワークショップの計画を立て、月に一度のワークショップと週に一度の書道クラスを担当することになりました。料理、漫画、折り紙、伝統文化教室などの、日本文化を紹介できるクラスを設け、書道クラスでは、地域の方々が気軽に楽しく書道ができるようにアットホームな雰囲気にするよう心掛けました。1年前、何もなかったところからスタートした修行文化センターは今では、100人以上が集まる文化センターとして大変盛り上がっています。

学校訪問で印象に残っているのは、家庭や学校生活を通して心に傷を抱えている子ども達が行く特別学校への訪問でした。社会福祉士の方と一緒に仕事をする機会があり、特別ゲストとしてその学校へ訪問する依頼がありました。私はいつものように学校訪問へ出かけ、そして、いつものようにプレゼンテーションをしました。プレゼンテーション後、一人の女の子が駆け寄って来てくれ、とても熱心に質問をし、色々と楽しい会話をしたのを覚えています。

数ヵ月後、日本語授業のあるクラスを訪れました。いつものようにプレゼンテーションを始めようとした時、教室の前から2番目の席に座っている生徒に気が付きました。それは、数ヶ月前に特別学校で出会った、あの熱心に私に質問してきてくれた女の子でした。彼女はす直ぐに近づいてきて、数枚の写真を鞄の中から取り出し、その写真を私に見せてくれました。その写真は、特別学校を訪問した時に撮った、私と彼女が浴衣を着ている時の写真です。私が訪問して以来、心の問題を克服する努力をし、普通学校に帰るように頑張ったことを聞きました。そして、今では日本語を勉強し、将来は大学へも進学したいということを私だけに話してくれました。そして、お守りとして2人の写真をいつも鞄に入れてくれていることも話してくれました。私は、胸がいっぱいになりました。アウトリーチを通して人の人生を大きく変える出逢いがあるなんて思ってもいませんでした。アウトリーチを通し、彼女の様に日本文化に興味を示してくれた生徒が数多くいることはとても嬉しく思います。2年間、素晴らしい出逢いと貴重な経験の毎日でした。この2年で築き上げた日本文化理解の和のネットワークがこれからもバルパライソを中心に多くの学校、コミュニティに広がっていくことを願っています。

最後に、このような貴重な体験を与え、2年間温かく見守り、ご支援してくださった国際交流基金日米センター、ローラシアン協会、バルパライソ大学、多くの皆様に心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。