ケンタッキー州 Kentucky

ホーム派遣対象地域ケンタッキー州

州の紹介

サラブレッドの牧場

15番目のアメリカ合衆国州ケンタッキーは、多様な地形や文化を持つ「ブルーグラスの州」です。ニックネームの「ブルーグラス」は、1930年代にカントリー音楽やブルースを融合させた新たな音楽ジャンルとして誕生しました。同州はアメリカで最も古く人気があるスポーツイベント、競馬の故郷。世界的に有名なケンタッキーダービーは、5月の第一土曜日にチャーチルダウン競馬場で開催されます。また、世界的に知られるバーボン蒸留所を巡れるトレイルも人気です。同州出身者として第16代大統領エイブラハム・リンカーンと並んで有名なモハメド・アリ。ルイビルにある彼の人生や功績について学べるモハメド・アリ・センターも見どころです。

バーボン蒸留所
州都フランクフォートの街並み

この州に派遣されたコーディネーター

山本 由梨子 Yuriko Yamamoto
第20期 フランクフォート/ケンタッキー日米協会

生まれも育ちも愛知県常滑市。幼い頃に聴いた「We Are The World」がきっかけで国際協力や国際交流に興味をもつ。大学時代は、カンボジア、インド、フィリピン、アフリカのマラウィなどを短期で巡り、現地の文化を肌で感じてきた。障がいをもつ子どもたちとのコミュニケーションが、海外で感じた異文化交流と似ていることにおもしろさを感じ、大学卒業後は、障がい児施設で勤務。彼らと過ごす中で、住みよい社会をつくるには、彼ら自身にだけでなく、周りの人々や地域にも働きかける必要があることに気づく。将来、障がいをもつ人々やマイノリティと呼ばれる人々と地域を繋げたいと考えており、地域に根ざした活動を担うJOIプログラムに魅力を感じ応募に至る。

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中嶋 綾子 Ayako Nakajima
第16期 ルイビル/ワールド・アフェアーズ・カウンシル・オブ・ケンタッキー&インディアナ南部
高校時代のニュージーランド留学や米国フロリダ州でのパフォーマー勤務、また地元の銀行勤務や外国人講師のコンサルティング業務を通して、世界中の異なる価値観や文化に触れる。これらの経験を活かして日本文化を世界へ広め、世界中の人が自分のように多様な価値観に触れ、さらに視野を広げるきっかけを作りたいと思いJOI に応募。

人生の宝物

派遣先のケンタッキー州ルイビルに到着した日のことは今でも忘れません。ステイ先の家の玄関からホストマザーは裸足で出てきて、私を大歓迎してくれました。この日に戻れるのであれば、どんなことでもする!と思えるほど、私のJOIコーディネーターの二年間は、笑顔と笑い声の絶えないかけがえのない時間でした。

「関わる全ての人へ、どんなに小さくても何かきっかけを与えられる人物」を目標とし、この二年間アウトリーチ活動を行ってきました。私はJOIコーディネーターとしての仕事が本当に大好きでした。日本は鎖国期間が長かったため、日本文化は長期にわたって守られ、今でも世界中の人々から愛されています。その日本文化を紹介するという仕事ができたことを、心から誇りに思います。また、この機会を与えてくださったプログラム担当者の方々に心から感謝いたします。

私は、ケンタッキー州ルイビル市のワールド・アフェアーズ・カウンシル・オヴ・ケンタッキー&インディアナ南部に所属していました。世界情勢や国際問題などを課題としたイベントや、短期留学など、社会人や高校生向けのプログラムが多いNPO団体です。私が所属するまで、日本のプログラムというものは一切ありませんでした。ですから、全て自分で一から始めることがとても魅力的で、挑戦できる環境に恵まれているとすら感じていました。

幼稚園・小学校・中学校・高校・大学・図書館と、アウトリーチ先は学校の授業だけに限らず、放課後教室やジャパンクラブを実施したり、日本祭りでのブースでワークショップをしたり、慶應義塾大学から教授やサントリー・ジムビームの副社長らをおよびし、ケンタッキーと日本の関係性についての講演会も主催しました。

その中でも、二年間の中で一番力を入れて取り組んだプログラムは、なんといってもサマーキャンプです。会場の確保、二週間の授業の内容を考え子どもたちの集中が途切れないようアクティビティを含めたレッスンプランとパワーポイントの作成、参加児童の募集、会場の事前チェック、キャンプを手伝ってくれるインターン生の募集。毎朝の子どもの出迎え、授業の実施、子どものお見送り、全て一人で行いました。サマーキャンプは毎日子どもと顔を合わせるので、とても思い入れのあるプログラムでした。

1年目のサマーキャンプは、参加人数に対し私一人で子どもたちを教えなければいけないという状況に四苦八苦してしまいました。低学年の児童は、泣き出してしまう子もいましたが、そのような児童にも「コマ作りが思い通りにできないから泣くのではなく、できないから前向きに挑戦してみよう。」と対応をし、最後には笑顔でキャンプを後にしてもらうことができました。キャンプが終わると、子どもたちは「来年も絶対参加したい。」「アヤコ先生のホームタウン福井に行って恐竜博物館を訪ねたい。」「将来日本で日本語を勉強したい。」と、日本についてさらに興味を持ってくれたので、目的を達成することができたと思います。

1年目の経験を踏まえ、翌年のサマーキャンプでは、インターン生を積極的に募集することにしました。アウトリーチ活動でいった大学で募集したところ、日本に興味を持つ学生からサマーキャンプの手伝いをしたいと応募がありました。その学生も、将来は日本で英語を子どもたちに教えたいという夢を持っていました。インターン生がキャンプを手伝ってくれることになり、2年目のサマーキャンプは1年目よりも効率的に進めることができ、本当に助かりました。参加児童の中には1年目にも参加してくれた子どもが数人おり、そのご両親が「今年もこのサマーキャンプにどうしても参加したいと懇願されたんだよ。」とお話ししてくださり、目頭が熱くなりました。

サマーキャンプが終わると、子どもたちは、手紙を送ってくれたり、更には、学校で日本についてのクラブ活動のリーダーをすることとなったのでアドバイスがほしいとメールをくれたりしました。子どもたちにとって、日本を愛するきっかけになったのであれば、JOIコーディネーターとしてこれ以上幸せなことはないと強く思います。

この2年間を思い返すと、アメリカと日本の教育について色々考えることが多かったと思います。子どもたちは、「ありがとう」という気持ちを相手に伝えるために授業終了後、ハグをしてくれます。日本の学校ではあまり目にしないと思います。

学校の先生からは、「ここは裕福な家庭が少ない地域なので、子どもたちの選択肢を少しでも広げたいと思っているの。そのときにアヤコのプログラムを見つけて、違う国の違う文化を知るきっかけを子どもたちに与えることができて、本当に感謝しているわ。」というお言葉をいただきました。先生の言葉からは、教育者として本当に子どもたちのことを考えている、どうにかして少しでもいい教育を与えたいという気持ちが伝わってきました。アウトリーチ活動を通して、様々な人に出会うことができました。「関わる全ての人へ、どんなに小さくても何かきっかけを与えられる人物」という目標以上のものを得ることができました。

2年間のJOIコーディネーターとしての活動を終えた後、在ナッシュビル日本国総領事館の小林弘之総領事から総領事公邸へ食事に招待していただきました。JOIコーディネーターとして貢献し、ケンタッキー州に日本文化を広めたことについて、恐れ多くもお褒めと感謝の言葉を頂きました。

私がJOIコーディネーターとして活動できたのは、二年間お世話になったホストファミリーがいたからだと言っても過言ではありません。本当の家族のように接してくれ、時にはJOIコーディネーターの仕事について相談に乗ってくれ、オフィスの一大イベントで私が主催の日本酒試飲イベントがあった際には、仕事が忙しいにも拘わらず駆けつけてくれました。ルイビルで出会ったスーパーバイザー、同僚、児童・生徒、先生、友人、ホストファミリー、そしてJOIコーディネーターとしての活動は、私の人生の宝物です。

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山本 亜衣理 Airi Yamamoto
第15期 マーレイ/マーレイ州立大学
大学・大学院で教育学を専攻。小学校外国語活動を研 究、院生時にカナダとオーストラリアへ留学。高校教諭 (英語科)・小学校教諭を経験し、日本とアメリカの教育 現場の橋渡しとなりたいと考え JOI に応募。本やメディア だけでは学ぶことのできない生きた日本文化を体験的な 活動を通して伝えることを目指す。

JOIでしかできない経験

私はケンタッキー州マレー市のマレー州立大学に2年間派遣されました。新たなことにチャレンジしたい、JOIプログラムで自分の知識と経験を生かし自分も多くを学びたいと思い応募に至りました。マレーはケンタッキー州南西部に位置する人口1万8千人ほどの小さなカレッジタウンです。マレーに派遣された年の8月、初めてのアメリカ生活への緊張と不安、少しの孤独感と大きな希望を胸にいただいていたのを今でも鮮明に覚えています。それまで海外に住んだ経験はあったものの、様々な人種の人たちが住む地域にしか住んだことがなかったので、アジア人の自分がマイノリティになったのは初めてでした。

到着から2日後、初めての食材の買い物に行きレジで会計をしようとすると前日に作ったばかりの銀行のカードが使えません。南部訛りの店員さんの英語は何と言っているかわからないし、何度もカードでの支払いを試みているうちに私の後ろには長蛇の列ができました。私はとても動揺してしまい、商品をキャンセルしようとしたところ、私の後ろにいた女性が突然自分のカードをスワイプしました。私は何が起こっているかわからず、女性と店員さんに自分の手持ちの現金が数ドルしかないことを伝えました。すると女性は“Just have a nice day.”とだけ私に言いました。見ず知らずの外国人の70ドル分の買い物を支払ってくれた女性。私は驚きと恥ずかしさとでとても動揺し、涙を必死にこらえながら繰り返しお礼を言うことしかできませんでした。後で落ち着いてから、名前を聞いておけばお礼ができたのにと2年間ずっと思っていました。そしてこれは「もしここが日本で自分があの女性なら、見ず知らずの外国人に同じことができたか」と考えさせられる経験でした。アメリカでの生活は困難の連続で日本では簡単にできた生活の一つひとつにつまずき、その度に周りの人たちの温かさを感じました。マイノリティになったからこそ気がついた人の温かさ。自分のアウトリーチでこの地域に恩返しがしたいと言う気持ちから私のJOIは始まりました。

私の活動は「日本を体感してもらう」を大切なテーマとして行ってきました。異文化に触れる機会が少ない地域ですが、生きた日本文化を五感で感じてもらい、地図では遠い日本を身近に感じてもらうことを目標に活動を企画しました。またどのイベントも出来るだけ「無料」で提供するように努力しました。マレーは決して裕福な町ではないため誰もが参加できるようにするために大学、公立図書館、地元企業などに相談して費用をやりくりしました。

地域の子どもたちには、日本文化を学ぶことを通じて広い視野を得て欲しいと思い町の無料イベントとして、世界中の文化を学べるインターナショナル・カイト・フェスティバルを開催しました。紙凧作りブースの他に世界各国からの留学生に協力してもらい各国の文化体験ブースを用意しました。イベントは大成功を収め200人以上の子どもたちとその保護者の方々に来てもらい、たくさんの良いフィードバックをいただき、やりがいを感じました。

私の一番好きだった活動は、大学の施設を借りて月に2回行っていた日本料理クラブです。言語以外のツールで文化交流ができないかと考えこのクラブを作りました。日本人留学生に手伝ってもらい、学生や地元の人も一緒に日本食を作りました。作る過程から一緒にやることによって、より文化を知ることができ参加者の仲も深まったように感じました。参加者からは「どれも初めて見る食べ物だけど、どれも美味しかった」と言ってもらえました。

またJOIコーディネーターという立場があったからこそ派遣先の大学だけにとどまらず、地域のコミュニティとの関わりを強く作ることができました。コーディネーターとして積極的に地域に入り込んでいくことで地元の人の普段の生活と文化を知り体験できたことが一番面白かったです。また活動の中でも、参加者からアメリカの文化を多く学びました。参加者の言葉一つひとつから、アメリカのケンタッキー州のマレーという小さな町の、生きた文化に触れることができたことは、本当に貴重な体験だったと思います。2年過ごすうちに家族のように接してくれる家族ができ、今ではマレーが第二の故郷のように感じています。

JOIの活動では、日本を紹介するにあたって自分でも勉強しなければならないことが沢山ありました。その過程で日本の良さを再発見し新しく多くのことを学びました。更に日本とアメリカの文化を比較しその違いにも深く興味を持つようになりました。日本にいる時よりも日本文化を意識する機会を与えられたこと、この2年間日本を離れたことによって、日本の外から日本を見つめることができました。日本の素晴らしさを再認識することができたと思います。私にとって、かけがえのない2年間でした。

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西村 瑛美衣 Eimii Nishimura
第13期 フランクフォート/ケンタッキー日米協会
幼少期から国際交流の現場に強い関心があり、学生時 代には米国ジョージア州に留学。大学卒業後は情報出 版会社にて企画営業として勤務。幼い頃からの夢でもあ る日米の異文化理解の架け橋になりたいと思い、JOI へ の応募を決意。

WE WANNA VISIT JAPAN

2年間のJOIコーディネーターとしてのアウトリーチ活動もあっと言う間に終わってしまい、今考えると本当に充実した悔いのない時を過ごせたと感じています。始めはアメリカでの運転の仕方もわからず、ホストファミリーの家にもなかなか入居できず、不安に思うことありましたが、今思えば、どれも懐かしい思い出です。自然いっぱいのケンタッキー州で日本文化を広めるために駆け巡った2年間。その中で特に印象に残った活動を3つ紹介したいと思います。

一つ目は、2016年2月から1学期間教えたOLLIでの「EXPLORE JAPAN!」というクラスです。OLLIとはOsher Lifelong Learning Instituteの略で、ケンタッキー州立大学が主にリタイアした年配の方を対象に様々な授業を提供しているものです。毎学期100を越える色々なコースの履修が可能となっております。その中で、私の授業では毎週、様々な日本文化に焦点を当てていきました。中でも、着物・浴衣について学んだ後に実際に試着をしてもらう授業や、日本食について学んだ後に全員でおにぎりと味噌汁を作って試食する授業はとても好評でした。

また、私自身があまり得意ではない分野では、ゲストスピーカーを招いてお話しをしていただいたこともありました。特に日本庭園に詳しい現地の日本人のご婦人の方を招いた回は、日本庭園の歴史や、「侘び寂び」といった価値観までお話しがあったので、聞き手である履修者の中には、より掘り下げた質問をした方も多かったです。このコースの最終回では、レキシントン市内の日本料理店に「フィールドトリップ(遠足)」と称し、ランチを食べに行きました。その際、「1学期間、毎週、様々な日本文化が学べて、とても楽しかった!」「息子がカリフォルニアで日本人と結婚したから、ここで習った日本語を使ってみるよ!」「この数ヶ月で日本についての知識がとても増えた。ぜひ旅行したい!」などと言った嬉しい言葉をたくさん頂けました。こうやって自分の授業により日本のことを伝えられてだけでなく、楽しい有意義な時間を過ごしていただけたと聞くと、とても嬉しかったです。また、その後のJOIの仕事に対するモチベーションをさらに上げることもできました。

二つ目の印象に残った活動は、市内の公立図書館にて日本語の初級クラスを教えたことです。3か月間、「あいうえお」から始まり簡単な挨拶、初歩的な文法を教えました。生徒の大半は社会人で、仕事で疲れた後でも毎週欠かさず授業に来て、宿題も欠かさずやってきてくれるような真面目な生徒が多く、私もとてもやり甲斐を感じました。中には、数か月後に日本への旅行を控えた人や、学生時代に日本語を履修していて復習のために来ている人、また日本のアニメが好きで日本語を学びたいと思っている人など、クラスのメンバーも多岐に渡っていたので、始めは授業内容の作成に苦戦しました。しかし、最終的には歌やカード(かるた)ゲーム、ロールプレイングを取り入れることで、大人も楽しみながら勉強ができることがわかり、積極的に生徒の方々も参加できる形で授業を行っていきました。生徒の方々からは「日本語と一緒に日本の文化や慣習など交えてもらえたことが、とても面白かった」や「次の日本への旅行でできるだけ習った日本語を使ってみる!」など、といったコメントを頂けたので、少しでも役に立てたと思うと、とてもやり甲斐を感じました。どうしても語学の勉強というのは、継続をしないと上達するのは難しいのですが、この図書館での授業をきっかけに、今後も日本語、日本文化に触れ続けてほしいです。

三つ目に紹介したい活動は地域へのアウトリーチで、K-12(日本で言う幼稚園年長〜高校)の学校への訪問や、図書館でのイベントです。特に2年目には小学校にて JAPANクラブという放課後のクラブを担当することができ、毎週会う生徒との関係を深めることができました。一度、風邪をひき休んだことがあったのですが、次の週にはクラブの生徒達がこぞって私の体調を心配してくれていたことを知り、心温まりました。また、学期末のクラブ最終日には「このクラブがなくなるのは寂しい。来週も来ても良いか?」とハグをしに来てくれた低学年の子供がいたり、「日本に絶対旅行に行く!」と宣言した子もいて、将来を担う若い世代に少しでも異文化の面白さを伝えることが出来たのだと実感しました。

最後にプライベートも含めた、この2年間の感想を述べたいと思います。ケンタッキーでのこの2年間は、職場でもプライベートでも本当に良い人間関係に恵まれ、感謝してもしきれない日々を過ごしました。この2年間の経験が無ければ今の私が無いと言っても過言ではないほど、JOIに応募して本当に良かったと思っております。有意義な2年間を過ごすことができたケンタッキー州は、今後も間違いなく第二の故郷として私の「帰省先」になると思います。

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福崎 恵子 Keiko Fukuzaki
第7期 レキシントン/ケンタッキー大学 アジアセンター
大学時代ケニアで1カ月間ボランティア。その後留学生と共に教材を作成し、大分県内の学校にて国際理解教育ワークショップを開催。福岡市NPO・ボランティア交流センターで勤務をする傍ら、開発教育NGOでも活動する中でJOIに出逢う。

日米交流の風

2年間の活動を終えましたが、今でも真っ青な空と豊かな牧草地帯がいつまでも続く道、ケンタッキーの人々の素朴で朗らかな笑顔を思い出します。

私が特に力を入れた三つの活動について紹介します。一つ目は、国際交流基金ニューヨーク日米センターから助成金をいただき開催した“Matsuri in Kentucky”です。ケンタッキーではどこの学校でも年中行事としてWorld Festivalを開催しており、昨年度は私も多くの学校から日本文化ブースの出展依頼を受けました。

そこで、こんなに多くの要望があるのであれば、日本文化ブースを生徒たち自身で運営する仕組みを作れないかと考えるようになりました。祭りの面白さは当日参加するだけではなく、そのために準備する、というところにもあります。開催する立場になれば、人をもてなすために、学んだことを人に伝えるという目標もでき、積極的に楽しく学ぶことができます。

毎年ルイビル市で開催され、10万人もの人を集めるWorld Festに在ナッシュビル日本国総領事館、ケンタッキー日米協会、ルイビル日本人会や多くのボランティアの方々と共に参加したのを皮切りに、“Matsuri”を独自で開催するための教材を制作し、動画付きでウェブサイトに掲載しました。

さらに学校の先生と協力し、学校行事としてJapan Festivalを開催しました。まずは7つのクラスにそれぞれ異なるテーマで日本文化についての授業を行ない、次にJapan Festivalの本番を迎えました。生徒たちは日本の畳の効用や、折り紙の楽しみ方、書道について等、私から学んだこと、自分で勉強したことをお互いに発表し、学び合いました。先生によると、初めて人前で発表をした生徒もいたそうですが、皆緊張しながらも一生懸命で私自身も多くを学びました。また、先生からは、「コミュニケーション能力を学ぶことができた。来年はアメリカの文化について同じやり方でしてみる」と言われ非常に嬉しかったです。私の授業を超えて自ら学び、そうして得た知識を多くの人に紹介する成長した生徒の姿を見て、とても心強く、頼もしく思えました。ある生徒は後日、社会科の自由発表で、日本についてさらに多くの人の前で発表をしたそうです。私のプログラムが、一時だけでなく、その後も子どもたち自身の学びにつながっていることはこの上ない喜びです。その他にも86の学校へ行き、約9,500人に授業を行なってきました。

二つ目の活動として、日本の伝統文化を広めることに力を入れました。2年目はお祭り等で能や茶道を披露する機会が多くなり、合計26回のワークショップを開催しました。どこの国でも伝統文化を学ぶことは難しいようですが、伝統文化を高尚なものと身構えず、それを身近に感じるためには個々の体験や人との触れ合いが重要です。能や茶道について参加型で実際に体験してもらったところ、ある学校の先生からは「現在はスピードを要求したり、華美なもの、安価なものが多い中でこんなに洗練された文化に囲まれながら自分の心を落ち着いてみつめるという体験は非常に素晴らしく、喜びを感じる」という言葉をいただきました。このような文化を超えた人類共通の喜びを、日本文化を通して味わえたことは大変貴重な体験です。

様々なイベントを各地で45回開催しましたが、中でも三つ目に力を入れた活動として特に印象に残っているのが、毎月開催した「夕べの集い/Monthly Conversation Forum」と“Japanese English Language Exchange Table (JELET)”です。夕べの集いは、地域の日本人の方にあるテーマについて語り合ってもらう企画です。また、JELETは日本人ボランティアとアメリカ人大学生が互いの言語を楽しく会話しながら学ぶという会です。日本人の参加者からは「恵子さんが開催するプログラムには英語が苦手でも気軽に参加することができる」という言葉をいただき、その後も続けて様々なイベントにも参加してもらいました。アメリカ人の学生からも「日本人の友達ができ、日本語を学ぶやる気が高まった」という声があり、大変やりがいを感じました。さらに、これらのプログラムは今後も日米協会や大学の日本語学科が継続して開催してくださるとのことで、大変嬉しく思います。

私は、ケンタッキーでの自分の役割は風であったと思っています。「風土」という言葉がありますが、土だけでは植物は育ちません。風があることにより種が運ばれ芽がでます。これを人にたとえると、土はもともとそこにいるケンタッキーの人々で、私は風です。私は多くの方からの協力のおかげで風として、たくさんのプログラムの種を蒔いて来ました。そして、その種をこれから育てていくのはケンタッキーの人々です。これから、日本理解の芽が少しでも多く、そして大きく育つことを願っています。

この場を借りて国際交流基金やローラシアン協会、大学や日米協会、地域のボランティアの皆様に厚くお礼を申し上げます。本当に2年間どうもありがとうございました。

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福原 くみこ Kumiko Fukuhara
第3期 レキシントン/ケンタッキー日米協会
大学2回生と4回生の春に1ヶ月フロリダ州とジョージア州に滞在し、そこで出会った素晴らしいホストファミリーや友人を通してアメリカに対して好印象を持つようになる。その後、彼らが実際に日本を訪問したのをきっかけに、いつの日か日米の架け橋になりたいと考えるようになり、JOIプログラムに応募。

現地での活動

“Welcome to Kentucky !” この言葉は私がケンタッキー州に到着したと同時に多くの方々から幾度となく掛けられた言葉です。ケンタッキー州はケンタッキーダービー開催地として、サラブレッドなど名馬を育てる牧場が数多くあり、バーボンウィスキー、タバコ産業が盛んで多くの自然に囲まれた中で活動を行っています。1986年にトヨタ自動車がケンタッキー州に進出して以来、多くのアメリカ人が日系企業で働いているためか、日本に対しての関心が高く、親日家の方が数多く見られます。
現在、ケンタッキー州日米協会に派遣されています。全米40ほどの日米協会・日本協会から成り立つ全米日米協会連合(National Association of Japan – America Societies / NAJAS)の一員であるケンタッキー日米協会は、1987年に日本とケンタッキー州のビジネス・文化・社会についての相互理解を深めるため、非営利・非政府機関として設立され、私はその中で教育部門を担当しています。
私の活動内容としましては、主に教育・文化関係を担当しており、小学校を訪問し、日本の紹介を行ったり、3ヶ月に一度、日米協会の会員を対象としたカルチャークラブの提供、姉妹都市交流のお手伝い、ケンタッキー州で生活される日本人の方々に向けたケンタッキー州情報冊子の作成等を手がけております。

この1年間、州内の数多くの学校やコミュニティを訪問してきました。小学2年生から6年生を対象にした小学校訪問では「日本の小学生の1日の生活」をテーマに日本の小学生の一日の生活を写したパネルサイズの写真を使って日常の生活の様子を説明したり、筆箱や下敷き、上履き、教科書等をランドセルの中に入れ、実際に生徒に披露しています。特に「ハム太郎」の筆箱はどの学年も人気があり、多くの生徒が日本のアニメについて詳しく、日本のアニメ業界の世界進出の凄さには驚きを隠せません。
また、多くのアメリカの学校では雇われた清掃者が毎日校内を清掃したり、生徒による給食当番制が存在しないなど、私自身もアメリカと日本の教育システムの違いを学ぶことができました。また幼稚園生から小学1年生を対象にした折り紙のプレゼンテーションも好評で、折り紙で折った相撲ゲームは特に人気があります。この春からは高校生や大学生を対象としたプログラムも始め、日米協会の教育部門は成長を遂げています。
学校訪問を通して感じることは、多くの生徒や教師が「私達のために来てくれてありがとう」と感謝してくれることです。何人かの生徒がぎゅっと抱きしめてくれたり、「必ずまた戻ってきて」と言ってくれるたびに、JOIに参加して本当に良かったと感じます。
また、地方の地域に行けば、教師の自宅に一泊して翌日他の学校に訪問する機会があります。地元の方と触れ合う機会はもちろん、多くの方から採れたての卵やとうもろこしを頂くなど、人々の温かさ、優しさに触れることができ、毎日多くの発見と驚き、喜び、そして感謝の日々を送っています。

その他にも日米協会内では協会の会員の方を対象に3ヶ月に一度ジャパニーズカルチャークラブを行なっています。これまでに、ギフトギビング・日本の春祭り・日本の夏・食欲の秋・書道と題して日本文化を紹介してきました。
約1時間のプレゼンテーションの後は、実際に参加者にプレゼントを日本式に包装する体験や手巻き寿司の体験をしていただいたりと、回を重ねるごとにジャパニーズカルチャークラブは大きく成長しています。
参加者の多くは日系企業で働いていたり、日本に出張する機会がある方で、日本のしきたりやビジネスマナーを学ぶために参加される方が大多数を占めます。そのため、毎回テーマの中に必ずビジネスマナーやエチケットについての説明を入れるように努めています。
例えば2004年12月に行なった「ギフトギビング」では贈り物に関しての日本の習慣を説明したり、「食欲の秋」では箸の使い方やテーブルマナーを披露してきました。

プレゼンテーションが終わった後に回収する多くの評価表の中で温かい言葉や励ましのコメントを多く頂いた時、喜びと同時に改めてケンタッキー州で日本文化を紹介することの必要性を感じられずにはいられません。2年目の活動ではこのジャパニーズカルチャークラブを会員の方向けのみならず、図書館やコミュニティの場でも開催したいと考えています。
仕事面だけでなく、週末には月に数回行なわれるボランティア活動を通して日米の交流を深めてきました。ホームレスの方々に日用品や食料を渡したり、病院で入院患者の家族に夕食を提供したり、子供達と一緒に遊んだりしています。この活動内でもできるだけ多くの方と話すように努め、会話の中に必ず「日本」と言う言葉を入れています。
出会う方々の中には以前、在日米軍基地に滞在したことがある人もいて、片言の日本語で「コンニチワ」や「ゲンキデスカ?」と返事してくれ、日本での滞在を懐かしく私に話してくれます。また折り鶴を折って出会う一人ひとりに手渡ししています。折り鶴を通して素晴らしい友達もでき、特に日本に対する知識が何もなかったメキシコ人の友人は、今では日本に関して文化やスポーツ、言葉等の様々な質問を投げかけてくるなど日本に対して好印象を持ってくれています。

将来へむけて

ケンタッキー州での活動も残り7ヶ月となった今、出来る限り一人でも多くの方に出会い、日本文化の素晴らしさを伝えたいと考えています。また後任者がよりいっそうケンタッキー日米協会の教育部門を発展させて頂く事を願っています。
帰国後もボランティア活動を通して日米との交流を図っていきたいです。
この一年、日本の家族をはじめ、数多くの友人の協力や励ましがなければケンタッキー州での国際交流活動は出来ませんでした。私をケンタッキー州に派遣して頂いた国際交流基金日米センター、ローラシアン協会、ケ ンタッキー日米協会のスタッフの方々、そしてこの1年で出会った数多くの方々に感謝すると共に残りの日々を大切に過ごしたいです。

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派遣対象地域

JOIプログラムの派遣先をご紹介します。
各州の概要や派遣されたコーディネーターの活動報告を掲載していますので、地図をクリックして是非ご覧ください。