ミシガン州 Michigan

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州の紹介

スリーピング・ベア―砂丘国立海岸公園

ミシガン州は1837年に26番目のアメリカ合衆国州となりました。自動車産業で発達した大都市デトロイトが有名ですが、「五大湖の州」のニックネームの通り、淡水の砂丘など湖沿いの自然に触れられる美しい州です。五大湖の中で3番目に大きいミシガン湖沿岸のスリーピングベアー砂丘国立湖岸公園では、岬の海岸線に広がる美しい砂丘や湖が楽しめます。「モーターシティ」として有名な州都デトロイトにあるヘンリー・フォード博物館では、彼の伝説的な人生や偉業、アメリカ技術革新に関して学べるだけでなく、ジョン・F・ケネディ元大統領のリムジンなどを見ることができます。世界各国から集めた65,000点以上のコレクションを所有するデトロイト美術館も見どころです。

デトロイト美術館
カラマズーのダウンタウン

この州に派遣されたコーディネーター

森下 加那子 Kanako Morishita
第16期  イーストランシング/ミシガン州立大学連合 日本センター
愛知県出身。大学卒業後、東京で国内機械メーカーの海外営業職として、主にヨーロッパ、オセアニア各国を長年に渡り担当。政治や経済情勢で大きな変化がある米国で、今までの経験の中で培った知識やスキルを生かし、日本をきっかけとして、世界に目を向けることの大切さや面白さを伝える活動に貢献したいと思い応募を決意。

New me through JOI

JOIプログラムを終えた今、私はどうやら別の自分になってしまった様です。それは、自分を見失う程に米国の文化や習慣に染まったという事でなく、日本では全く気がつかなかった新たな自分の一面を発見という前向きな意味です。

私は正真正銘10年以上のベテランペーパードライバーでした。2年前、車を見るのも怖いくらいで、その恐怖心からJOIの内定を受けるか悩んだ程です。それが今では、時間があれば長距離運転して旅行するまでに成長しました。「運転スキル」を得たことは事実ですが、それだけではありません。

①運転が出来る→②アウトリーチの範囲が広がる→③人と出会う機会が増え、人脈が広がる→④人と通じて米国の歴史や時事問題を深く知り、同時に自国を勉強する習慣を身につける→⑤広がった人脈から新たな引き合いを受ける→①へ戻る。

上記のように、1つ得たスキルが正の連鎖を引き起こすのです。このサイクルのお陰で、ミシガン州での活動は、お金では決して買う事のできない貴重な宝物を私に与えてくれました。ここでは、その内2つの活動に関してお話しします。

台湾の影絵団員と

2018年10日から13日にかけて、ミシガン州の大学や美術館等4か所にて、台湾の伝統的な影絵芝居のグループ『永興楽皮影劇団』と共に影絵パフォーマンスをしました。これは、デトロイト美術館のアジアギャラリー開館を記念して招待された台湾影絵団が「是非、日本との合同で」という強い願いをもって、ミシガン州の台湾系団体が私に声をかけてくれて実現したものです。3つの演目の内一つは日本の『桃太郎』を選び、物語の前半を影絵で、後半を私がスライドと音楽に合わせて物語を伝えるという方法で公演をしました。作品をどう伝えるか?という初期段階から打ち合わせに参加し、数ヶ月の準備期間を経て本番を迎えたのですが、一番驚いたのは、両国の『桃太郎』に対するイメージがかけ離れていることでした。

お爺さんはお婆さんを「ハニー」と呼び、遊び惚けてろくに仕事もしない。ストーリーそのものは大きく違わないものの、細かな描写の違いが多く、何度も話し合いを重ね、互いの合意点を模索し、認識の違いを埋めていきました。その結果、3日間で約1,500名の観客を魅了し大成功!この機会をきっかけに、アジアの仲間と協力して文化交流を促す事の大切さを実感しました。アジアの中の日本という意識により、より多くの人々へのアウトリーチが可能になり、アジア間での新たな友好が芽生えました。

アニメ声優体験ワークショップの開催

ミシガン州における日本に対する認知度は、姉妹都市間の人材交流や自動車関係の日系企業の影響もあり、比較的高く友好的です。更にインターネットやSNSを通じて、日本の情報を得るのは簡単ですが、人々の興味関心は日本に限ったことではないでしょう。特に若者は、日々受け取る情報量が多すぎて、もしかすると消化不良のまま、次の情報を受け取るかもしれません。どんなに日本好きの若者でも、日本への関心も一時的なものになる可能性も高いと感じていました。

そんな時、参加型の日本文化体験を提供することは、記憶が鮮明に人々の脳裏に焼き付き、日々の大量の情報の波にも呑まれることのない強い興味関心を生み出す事ができると考えました。でも、そのためには楽しくないと逆効果。そこで私は、日本映像翻訳アカデミー(JVTA)との協力の元、ニューヨーク日米センターの教育グラントを申請し助成金を得て、日本からゲスト講師とともにアニメを使った声優体験ワークショップを2019年3月14日から21日にかけて、ミシガン州3都市の、図書館、アニメイベント、高校、大学で行いました。

日本語で吹き替えするといえども、言語はあくまでもツールです。90分完結型ワークショップでは、アニメのキャラクターが醸し出す顔の表情や仕草から汲み取れるメッセージの分析をメインに、日米間のコミュニケーションの違いを理解し、アニメのワンシーンを完成させました。大成功に終わり、参加した多くの方が笑顔で「またやりたい!日本人の感性や日本語を知れてとても楽しかった!」と言ってくれたのが印象的でした。

最後に

この報告書では上記二つについてお話ししましたが、最後に一言。ミシガン州と滋賀県は姉妹都市県州50年という友好関係を築いており、現在でも積極的な人材及び経済交流が行われています。この友好関係の更なる発展の為に、2年間で多くの政府事業にも参加させて頂きました。姉妹県州委員会、並びに滋賀県庁職員の方々に感謝の意を表します。そして、この2年間は国際交流基金とローラシアン協会、そして私を快く受け入れて下さったミシガン州立大学連合日本センターの多大なる支援のお陰です。感謝の気持ちを忘れることなく、これからも邁進して参ります。ありがとうございました。

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金田 紗弥 Saya Kaneda
第13期 イーストランシング/ミシガン州立大学 アジア研究センター
大学時代のアメリカ留学から現地でマイノリティの存在になることを体験し、周りの人々に親切にしてもらうにつれ、自分を表現することや日本文化を伝えることの大切さを学ぶ。大学卒業後、留学時代の経験を活かしたいと思いJOIプログラムに応募。

恵みの2年間

2年目が始り、新たなアウトリーチ先を開拓するため、Eメールや電話のみに頼らず、実際に学校へ出向きチラシなどを手渡したり、大学近辺に留まることなく、車で1〜2時間かかる遠方の学校や図書館にも何度も通うようになりました。その遠方アウトリーチの中で特に思い出に残っているのは、車で約7時間半かけて行ったミシガンの北半島にあるマーケット市での活動です。マーケット市は滋賀県の東近江市と姉妹都市関係にあり、その深い友好関係で地元での日本の地名度が高く、姉妹都市関係のイベントでも人々の関心を集める、そんな地域です。大学のあるイーストランシング市からだいぶ離れていたため、5日間の滞在計画を立て、地元の学校とアートスタジオを訪問しました。この学校訪問では3日間に渡り、学内全18クラスをまわり、それぞれ学年に合わせた折り紙や書道のプログラムを行いました。

また、アートスタジオでは親日家のオーナーの協力で、私の茶道プログラムの後、参加者がお茶碗サイズのボウルに絵付けをするという体験型のコラボレーション・プログラムが実現しました。このオーナーはもう何十年も前にマーケット市からの使節団とし滋賀県に行った際、日本の温かさや日本文化そのものに大変感動したという経緯があり、今は最近購入した別荘で、日本のバスタブに入浴剤を入れてお風呂に入るのがとても楽しみだと話してくれました。このようにたった一度日本に行った経験から、何十年先までもこれほど日本を好きでいてくれる人がいるということにとても感動しました。このことを通して、私がマーケット市で出会った200人以上の人々の中に、どんな形でも、私のプログラムの中から何かが残ることをより強く願うようになりました。

2年目に行った大きなプロジェクトの一つとして、ユネスコに登録された日本の世界遺産写真展があります。これはミシガンに派遣された当初からずっと実現させたいと思っていたのですが、実現するまでに時間がかかった背景には、会場探しの難しさがありました。ある程度の展示スペースがあり、一般の人々が気軽に足を運ぶことができ、なおかつセキュリティも万全の会場を探すことは容易ではなく、大学内の美術館も2年先まで予約でいっぱいという状況でした。しかし州都ランシングの市長に直々にお話をする機会が与えられ、直談判の結果、快く市庁舎の広大なロビーで1ヶ月間の写真展を開催させていただけることになりました。写真展は大成功を収め、また多くの一般市民の方に向けた活動ができたことや滋賀県との友好関係を今一度人々に思い出してもらう機会にもなったことから、大変意義のあるイベントとなりました。

最後に、JOIプログラムの2年間で最も困難だったことについてお話しします。それは、自分が一番自信を持って行えるプログラムと、人々が喜んでくれるプログラムは必ずしも一致しないということです。先にマーケット市での茶道プログラムについて紹介しましたが、実は、はじめ私が一番依頼されたくなかったのはこの茶道でした。理由は単純に、私が今まで一度も茶道に触れたことがなかったからです。1年目はなんとか避けきた茶道でしたが、2年目になると不思議なほど依頼が増え始め、もともと派遣先にあった茶道セットをぜひ活用して欲しいというスーパーバイサーの要望もあったため、本格的にプログラム作りをすることにしました。実際やってみるとやれないことはありませんでしたが、やはりしばらくの間はしっくりこない思いをいつも抱えていました。しかし慣れてきた頃、人々が喜んでお茶を点てている様子を見ていた時に、100%を伝えられなくても、たとえそれが 50%、60%の知識と技術でも、自信がないからやらない、つまり0%よりもよっぽどいいじゃないか、と気がついたのです。それからは限られた時間と資材を活用し、また様々な年齢層にあわせたプログラムにしていけるかということに心を注ぐことができるようになりました。

2年間のJOIコーディネーターとしての活動を終えて今思うのは、本当に色々な活動をしたなぁということです。周りの人から「そんなこともやっているんだね!」と言われることがよくありました。というのも、私の働いていた留学センターの建物では私が唯一の日本人であったために、日本に関することはどんなことも私に依頼が来たからです。誤解のないように言うと、このような多くの依頼は私にとって感謝すべきことでした。普通ならできない色々な仕事に挑戦できた貴重な2年間だったからです。最後になりましたが、この素晴らしい機会を与えてくださり、支えて下さった国際交流基金の皆様、ローラシアン協会、そしてミシガン州立大学に本当に感謝の思いでいっぱいです。これからもこのJOIプログラムが発展し、将来日本とアメリカを繋ぐ多くの人々が成長するきっかけとなっていくことを心から願っています。

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吉本 道子 Michiko Yoshimoto
第8期 カラマズー/ウェスタン・ミシガン大学 曽我日本センター
学生時代は「国際ワークキャンプ」を通して異文化と多くの人に出会う。大学卒業後は地方公務員として7年間勤務し、新たな経験を積みたいと思いJOIに応募。

日本を伝える意義

私はミシガン州にあるウェスタン・ミシガン大学の曽我日本センターに派遣されました。私にとってJOIに参加していた2年間はあっという間だったというよりも、むしろ大きな変動のある2年間だったという感じがしています。

1年目の最初の3ヶ月間は何から始めてよいのだろうという戸惑いと、一緒に派遣された他のコーディネーターに比べて遅れを取っているという焦りがありました。4ヶ月目に高熱を出し一人でベッドに横たわっていた時には「私は一体何をしにアメリカに来たのだろうか」ということをグルグルと考えていたことを覚えています。しかし、冬頃には日本の小学生の作品展示会や日本映画上映会をはじめとする様々なプログラムが無事スタートし、学校のみならず地元の図書館や美術館からもプログラムの依頼が来るようになり、老人ホーム、教会などの様々な場所でも活動を展開していくことができるようになりました。

活動を通して特に印象に残っているのは、自分自身が意図していない角度から現地の人に影響を与えられていると感じられた時です。ガールスカウトのプログラムでは、子どもたちに海苔巻きの作り方を教えたり日本の生活様式や日本語の歌を紹介したりしたのですが、プログラムが終わった後に子どもたちからだけではなく、子どものお母さんとおばあさんからも素敵な手作りのカードが届き、驚きました。

子どもを対象に日本を伝えていると思っていたのですが、実は周りで見ていた保護者を含めた3世代に渡って私の言葉が伝わっていたのだとわかり、とても嬉しかったです。また、ある図書館では、私のプレゼンテーションが終わった後に若い男性が日本語で話しかけてくれて、彼は「独学で日本語を勉強してきたけれど、初めて本物の日本人に話しかけることができて、そして自分の日本語がちゃんと通じることが分かって本当に嬉しいです」と興奮気味に伝えてくれました。また、ハロウィンのときには仮装をして訪問してきた白人の小さな女の子に「あなたを知ってる!テレビで見た!」と言われて苦笑してしまいましたが、その子にとっては私が初めて見る実物のアジア人で、私を見るまではアジア人=テレビの世界の人でしかなかったようなのです。

実施したプレゼンテーションの中で一番大変だったのは、地元の美術館から、浮世絵展示に合わせて「The Art of The Kimono(着物の芸術)」というテーマのプレゼンテーションをしてほしいと依頼された時でした。私自身、着物は渡米する直前に着付け講習で学んだ程度だったので、着物の歴史や浮世絵については一から勉強しなければなりませんでした。緊張して臨んだ当日は予想以上にたくさんの方が聴きに来てくださり、「とても楽しかった!」というコメントやたくさんの質問をいただくことができ、終わった後には心地良い疲労感と大きな達成感を感じることができました。

2011年3月に実施したマンガワークショップは、一番長い時間をかけて実現させたプログラムでした。このプログラムは、漫画家のお二人を日本からお招きして漫画の描き方(ペンとインクの使い方やスクリーントーンの使い方)を教えてもらったワークショップで、国際交流基金ニューヨーク日米センターの助成により実現させることができました。

実施に向けては、航空券の手配や画材の発送依頼、日程調整、謝礼金の支払いと税金の手続き、予算・決算の作成など裏方の事務が主でしたが、慣れない英語での事務手続きには本当に苦労しました。日本だったら1時間できるような仕事が英語だと2時間も3時間もかかる…そんな自分がまるで赤ん坊のように感じられ、早く英語でちゃんと仕事ができるようになりたいと毎日思いましたが、上司のスティーブ・コベル先生の温かいご指導のおかげで、プログラムを無事に成功させることができました。コベル先生は本当に多忙な中、2年間私のことを丁寧に指導してくださり、この先生の下で働くことができた私は本当に幸運だったと思います。

JOIプログラムは派遣先によって環境は異なりますが、プログラムの真髄は一つで、それは「日本に興味を持ってもらい、日本を好きになってもらうこと」だと思います。それを実現させるためには、その媒体はTVでもインターネットでも人でも良いのですが、必ず生きた正しい情報を伝えていくことが必要だと強く感じました。特に現代のアメリカにおいては日本のアニメやマンガやゲーム以外では日本と接する機会がない青少年も多くいるので、それらとは違う別の角度から日本を伝えていくことの重要性が今後高まっていくだろうと私は思っています。

日本を伝えるというアウトリーチ活動自体はその効果が見えにくいのですが、JOIの2年間を終えた今、いかにしてこの活動を継続・拡大させていくことができるのかを考え、その意義と手法について研究しながら、もう一度アメリカで日本を伝える活動をしていきたいと思っています。

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派遣対象地域

JOIプログラムの派遣先をご紹介します。
各州の概要や派遣されたコーディネーターの活動報告を掲載していますので、地図をクリックして是非ご覧ください。