ミシシッピ州 Mississippi

ホーム派遣対象地域ミシシッピ州

州の紹介

ミシシッピ州知事邸(ジャクソン)

「マグノリアの州」と呼ばれるミシシッピは、20番目のアメリカ合衆国州です。奴隷労働の時代から現在まで、綿花の生産量はトップを保っています。ミシシッピ発祥のブルースは、奴隷が労働中に歌っていた歌やアフリカ精神がルーツ。同州はゴスペル、カントリー音楽、ジャズ、ロックンロールなどアメリカ音楽伝統の中心です。「キング・オブ・ロックンロール」のエルビス・プレスリー生誕の地は、彼の生家や所縁のある建物を巡れる人気スポット。ナチェズ先住民について学べ、美しい橋とミシシッピ川の風景が楽しめるナチェズ、南北戦争の歴史を探求できるビックスバーグ国立軍事公園、ミシシッピ州議事堂なども見どころです。

広大なミシシッピ川に架かるナチェズ-ビダリア橋
ナチェズトレイル

この州に派遣されたコーディネーター

末松 大輝 Daiki Suematsu
第18期 ジャクソン/ジャクソン州立大学
大阪市出身。中学生時代に参加したボランティアで、国際交流に関心を持つ。大学では生物学を専攻していたものの、言語、異文化理解、教育への関心が強く、国際関係専攻に転入。教育分野に携わりたいとの想いがあったが、まず民間企業で経験を積みたいと考え、神戸、浜松で法人営業に従事する。日本のことを世界に発信すると共に、将来、国際理解を深める教育を行う為の第一歩として、JOIプログラムに応募。

日本とミシシッピ州を結ぶ

「ミシシッピ州?川があるところ?」初めて派遣先を聞いた時、私の唯一知っていた情報は、ミシシッピ川という名前だけでした。

そんな場所で 2 年間を過こした今、ミシシッピ州ジャクソンは、自分が生まれた大阪に次いで世界で2 番目に親しみのある場所となりました。

派遣された当初、まだ2年間を過ごす滞在先が決まっておらず、ホームステイをして1ヵ月間を過こしました。家には親と同世代のご夫婦、猫、犬、そして広い庭にはお父さんが飼育している十数頭の馬がいました。
また、庭の池に野生のワニが生息していたことは、ミシシッピで初めてのカルチャーショックだったと思います。滞在初日はお母さんが出張でおらず、まだ耳が英語に慣れていない中、お父さんとなんとか会話したことを覚えています。彼らはとても優しく、本当の家族のように自分に接してくれました。
1ヵ月が過ぎ、アパートに引っ越してからも「自分の家だと思っていつでも来ていいよ」と家の鍵を渡してくれたので、休みの日にはよく帰りました。 ミシシッピ州で快適な生活ができたのは、彼らと、派遣先の大学のスーパーバイザーのおかげです。
彼は私が車を買うまでの期間、毎日往復 2 時間かけて職場(大学)へ送り迎えをしてくれました。彼が上司として、また親しい友人として、私が活動を行う中で沢山のアドバイスやサポートを与えてくれたことに、心から感謝しています。

私の派遣された大学は、JOIプログラムとして初のHistorically Black Colleges and Universitiesと呼ばれる歴史的黒人大学の1つです。始めの頃は大学内で運営されている Kids Kollege (小学生の為の放課後学級のような場所)と地域の小学校で活動し、また大学内に日本語クラスも開設しました。
Kids Kollege や地域の小学校では、日本文化に関するプレゼンや折り紙、お箸を使ったゲームなどを行いました。いくつかの小学校に行って感じたのは、日本と違い、小学校ことにまったく特色が異なるということです。
ただ、好奇心旺盛であることはどこの子どもたちも変わらず、プレゼンでは毎回多くの質問をもらい、またアクティビティにはどの子も楽しそうに参加してくれたので、とてもやりがいを感じることができました。日本語クラス開設時は、まず生徒募集の為に、新入生歓迎イベントにブースを出しました。
イベント会場ではDJが音楽を流していて、ブースの横で在学生たちが輪を作って踊っていました。私も踊ることが好きで、その場でリズムに乗っていると、在学生の1 人が私を輪の中に誘ってくれたので輪の中心で踊りました。それをきっかけに、多くの学生が私の日本語クラスにも関心を持ち、サインアップしてくれた為、勧誘は大成功に終わりました。

この2年間を振り返る中で、渡米から半年程して起こったパンデミックは良くも悪くも大きな転機となりました。子どもたちと直接会えなくなったことやコミュニティの人たちとの交流を広げることができなくなったことは大変残念でした。
しかし代わりに、オンラインでの活動の方法や多くのテクノロジーを学ぶ機会となったことは、大きな財産になりました。オンラインでは、バーチャルでの日本旅行や日本独特のマスクの使い方、ビジネスマナーについてのプレゼン、日本に関するトリビアクイズイベントや日本のパーティーゲームを体験してもらうなど色々なことを企画しました。
また、日本語クラスもオンラインで継続しました。多種多様なアプリやウェブサイトを活用することで、オンラインの活動でも充実した内容を提供できたと感じています。 この2年間で最も大きな成果は、ミシシッピ州でおそらく初となるミシシッピ日本祭りの企画・開催です。
ルイジアナ、テネシー、フロリダ、ワシントン、ニューヨークなどの遠く離れた場所から、太鼓やけん玉、剣道、居合道、日本舞踊、茶道などのパフォーマーに参加してもらい、浴衣の試着体験やスーパーボールすくいなど沢山のブースを準備した結果、約1,600 人もの人達が来場して下さいました。地元のテレビ局が取材に来ただけでなく、多くの参加者から「素晴らしいイベントですね」「来年もありますか?」「開催してくれてありがとう」といった嬉しいフィードバックを聞くことができ、大きな達成感と一生忘れられない思い出を得ることができました。

ミシシッピ州在住の日本人はとても少なく、日本文化に触れる機会は滅多にありません。しか し、JOIの活動を通じて多くの人が日本文化に関心を持って下さいました。「日本に行ってみたい」と言って下さった人たちも沢山います。
また同時に、活動を通じて私自身も日本の良さを再認識することができました。今後は日本の子どもたちに ミシシッピやアメリカのことを知ってもらい、双 方が関心を持って交流を広げていけるよう貢献していきたいです。素晴らしい2年間を本当にありがとうございました。

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岩田 千江子 Chieko Iwata
第13期 スタークヴィル/ミシシッピ州立大学
愛知県出身。高校時代のアメリカ留学を機に異文化体験、国際交流に興味を持つとともに、日本語教育、茶華道などを学び、海外からの高校留学生、ホストファミリーのサポート、日本の紹介などをボランティアで行ってきた。新聞社勤務、幼児教育、児童英語を教える仕事を経てJOIコーディネーターに。

ミシシッピ州でのアウトリーチを終えて

JOI活動2年目は2015年8月から始まり、1年目より更に速く時間が流れてゆきました。

2年目の前半は大学キャンパス内での活動が多くありました。建築、アート、ファッション、国際農業教育などの学科や就職課スタッフ対象のアウトリーチは、テーマが日本の茶室と庭園、日本の家紋、浮世絵、日本のコミュニケーションスタイルなどで、私自身にとっても大変勉強になりました。これらの学科の学生が授業内での私の話に興味をもち、茶道や書道のワークショップにも参加してくれたことは大変嬉しいことでした。

後半は地域へのアウトリーチを広く多く行いました。特にミシシッピ・ジオ・アライアンスの先生方との協働でナショナル・ジオ・グラフィックのアジア巨大地図とともにミシシッピ全域のK-12スクールをほぼ1ヶ月にわたり訪問し、アジアの中の日本について話をしてきました。生徒たちは日本の子どもたちや学校について、興味いっぱいの様子で、すごく違うこともあれば似ていることもあるとわかったことによって、より日本への興味や親近感を抱いてくれました。

また、大学のエクステンション・サービスのテレビ会議を通じてデモンストレーションを行ったお陰で、エクステンション・エージェントからアウトリーチの依頼が多くあり、活動地域が広がったことと、新しく風呂敷や日本食のワークショップを行うことができたことは大変画期的であり、嬉しいことでした。

2年間生活している間に生まれ育った地域の友人たちとの信頼感や敬愛しあう心はかけがえのないものです。このような関係を築いたからこそ、可能になった活動もありました。戦後間もない1951年に、ミシシッピ州と東京の小学校が児童画の交換を通して交流を持ったということを友人から学びました。そして、絵画を保管しているミシシッピ・デルタ博物館を訪れ、当時送られた絵画を確認し、今後の交流を企画することによって、過去と現在、そして未来を結ぶ活動になりました。日本でもアメリカでも子どもたちに友情と平和の尊さを教えようとしていた教育者たちがいたことを知り、大変胸が熱くなりました。日本の新聞社の協力を得てこれらの絵画の里帰りができないか現在思案中で、JOIの任期を終えても、今後ミシシッピと日本の架け橋として絵画の交流の実現を図りたいと思っています。

日本を紹介する目的で派遣された期間に、図らずもアメリカの人々も同じように平和を希求し、平和教育の大切さを教えている学校があることを日本に紹介することができたもう一つの活動があります。それは小学校で行われた「貞子と千羽のおり鶴」というミュージカルへのアドバイスと日本のメディアへの取材呼びかけでした。ミュージカルは英語と日本語の台詞のみならず、伝統的な日本の遊びや歌が盛り込まれていました。出演した子供たちは日本の原爆の歴史を学び、どこの国でも平和を願わない人はいないことを学びました。このような取り組みを是非日本にも伝えたいと思い、日本の新聞社の記者が取材にニューヨークから来てくれ、記事は日本の新聞に掲載されました。バラク・オバマ大統領がアメリカの大統領として初めてヒロシマを訪れるタイミングとも合い、生徒たちはとてもわくわくし、すばらしい公演を披露してくれました。ヒロシマでのオバマ大統領がどんなスピーチをしたのか知りたいと話してくれた生徒がいて生徒たちの意識の高まりに感激しました。

このように、2年目の活動はより広く、そして深く日本とアメリカの人々を結びつける活動でした。そして私の滞在はミシシッピ州立大学の教員、コミュニティの友人たち、そして、日本の友人たちのサポートがあり、完了することができました。心から感謝しています。

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山田 悠花子 Yukako Yamada
第6期 ユニバーシティ/クロフト・インスティテュート・フォー・インターナショナル・スタディース
大学院卒業後、愛知県国際交流協会で、愛知万博後の地域の国際交流推進に携わる。JOIプログラムを通じて日本理解/国際理解への関心を深め、今後も何らかの形で貢献していきたいと考えている。

Thank ya’ll!!

初めてミシシッピーへ来たのは2007年の夏。全てが新しい中、手探りで始まったJOIの活動。並々ならぬやる気と期待で胸を膨らませてやって来たものの、慣れない環境に戸惑い、コミュニケーションもうまくできず、気ばかりが張っていた一年目。それが2年間の活動を終えた今、何でも揚げてしまう脂っこい南部料理を恋しく思い、ミシシッピーを愛おしく思っている自分に気づきます。

ミシシッピーでのJOIの活動は多岐に渡りましたが、2年目は特に、地元の小・中学校、高校への学校訪問が活動の中心となりました。中でも印象深い活動は、ある小学校での活動です。2008年の夏、クロフト・インスティテュートと共同で私の受け入れ機関になっていたMississippi Geographic Allianceが毎年開催する先生向けのワークショップで、ニュートン先生と出会ったことが始まりでした。

ニュートン先生の勤める学校はヤズー市という人口11,425人の小さな街にあります。市内のアジア人口比率はたったの0.6%(2008年U.S. Census Bureau調査)。小学校3年生から5年生までが在籍する小規模な学校です。日本文化紹介を行うにあたり、先生の希望は3つありました。1、ミシシッピーの外との交流の機会がほとんどない子どもたちに、日本のことを紹介して欲しい。2、長期間定期的に訪問してほしい。3、学校で日本祭りを開催し、ニュートン先生のクラスの生徒が、他のクラスの生徒に日本のことを伝える学び合いの機会をつくってほしい。これらを踏まえ、何度も先生と話し合いを重ねながら9ヶ月間のプログラムを作成し、最終目標となった日本祭りの準備が始まりました。

初めて学校を訪問した日、何人もの子ども達が駆け寄って来て、私にこう尋ねました。「Are you a REAL Japanese?(本当に日本人ですか?)」そうだよ、と応えると、目をまん丸くして、はにかみながら、キャッキャと立ち去って行きました。アジア人口が極端に少なく、中華レストランで働いているアジア人を見るのでさえも稀な子どもたちにとって、日本から来たと言う外見の違う誰かがクラスにやってくるということは、大きな衝撃だったのでしょう。その後、月に一、二回学校を訪問し、日常マナー、学校生活、季節の行事、など様々なトピックのワークショップを開催しました。生徒達は、廊下で私を見つけると、すぐさま駆け寄って来て上半身をこれでもかと倒して「ヤマダサン、コンニチハ!」とお辞儀をしてあいさつしてくれました。学校訪問が中盤になってくると、自分の名前を日本語で書くことを覚えた生徒が、それ以降どのプリントにも日本語で名前を書くようになり、他の教科の先生方を困らせることもありました。また、私が学校の廊下を歩いていて、他のクラスの生徒達に「あ、中国人だ!」と言われた時に、「違うよ。ヤマダさんは日本人だよ。知ってる?日本にはね、、、」と自慢げに説明し始めるようになるということもありました。9ヶ月間、生徒達の変化に寄り添いながら、私も彼らからたくさんのことを学びました。また、JOIの活動の難しさを再確認する機会にもなりました。子ども達は本当に素直に何でも吸収するため、自分の発することに責任を持たなければというプレッシャーを感じたのです。彼らにとって、きっと私は初めて出会う日本人であり、もしかすると最後の日本人になるかもしれません。伝えていることは正確だろうか、ちゃんと受け手に伝わっているだろうか、先生が求めていることに沿っているだろうか、常に厳しく意識する必要性を感じました。

日本祭りでは、それまでのワークショップで紹介したトピックを中心に10以上のブースをつくり、役割分担した生徒達が各トピックについて説明、実演する形式で行ないました。当日は、全校生徒、教師達は勿論、保護者や地域の方々も招いて、大にぎわいでした。初めは日本の位置さえ曖昧にしかわからなかった生徒が、自作の日本地図を指差しながら、「日本がどこにあるか知っていますか?これは北海道、これは本州、、、」と周りに説明している姿にはとても感動したことを覚えています。

最後に、ニュートン先生から頂いた記憶に残る言葉を紹介します。先生は、「生徒達は毎回、ユカコの訪問をとても楽しみにしていて、中には、『今年は毎日学校へ来ることが楽しい』と話す子もいるのよ」とおっしゃいました。【日本のことを知ることが楽しい!→他のことにも好奇心が生まれる!→学校へ来ることが楽しくなる!】JOIプログラムを通じた様々な活動の中で、訪問したクラスの中で、少しでもこのような正の循環が生まれていたとしたら、本当に、本当に嬉しいことです。JOIの活動の、また文化交流の未来への可能性を感じた一言でした。

2年間、本当に沢山の人々に支えていただきました。この場を借りて心から感謝いたします。どうもありがとうございました。

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派遣対象地域

JOIプログラムの派遣先をご紹介します。
各州の概要や派遣されたコーディネーターの活動報告を掲載していますので、地図をクリックして是非ご覧ください。