ネブラスカ州 Nebraska

ホーム派遣対象地域ネブラスカ州

州の紹介

ネブラスカ州議事堂(リンカーン)

「トウモロコシの皮を剥く人」という意味の「コーンハスカ―」がニックネームのネブラスカ州は、主要農産物として全米で3番目に多いトウモロコシの生産量を誇り、牛を中心とする畜産業も盛んです。19世紀初期から中期に西方へ向かっていた入植者たちが目印としていたチムニーロックは、今も当時と同じように訪問者を迎えています。入植者だけでなく先住民のランドマークとしても機能していたスコッツブラフ国定史跡も同州の見どころの一つです。主要都市オマハでは、ダウンタウンやボブケリー歩道橋から歩いていけるオールドマーケット地区が人気の観光スポットで、ショッピング、エンターテイメントなどを楽むことができます。

オマハの風景
スコッツブラフ国定公園

この州に派遣されたコーディネーター

永井 麻莉子 Mariko Nagai
第19期 リンカーン/ネブラスカ大学 リンカーン校

福岡県出身。西南学院大学国際文化学部を卒業。高校時代に福岡市と姉妹都市のカリフォルニア州オークランドとの交換プログラムに参加したことがきっかけで、海外と英語に興味を持つ。さらに、高校時代の英語教師の影響で、国際交流をしたい、英語をもっと話せるようになり世界中の様々な人と関われるようになりたいと思い、大学在学中に、短期語学研修や長期交換留学プログラムに参加し米国に滞在。また、国内外を問わず旅行をし、海外に行くだけでなく日本のことを海外に発信できるようになりたいという思いを持つ。社会人になり、東京で英語教育やコンベンション業界で仕事をするが、高校生の時から強く抱いていた「日本と海外の架け橋になりたい!」という夢を実現するためJOIに応募。

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野村 忠 Tadashi Nomura
第13期 オマハ/クレイトン大学 アジアン・ワールドセンター
金融、製造業等の実業界で40年近くを過ごす。その間に米国を始めアジア、欧州等の多くの国々にて駐在・訪問する機会があり、そうした経験を生かして広く日本について伝えていきたいとの思いが強くなりJOIに応募。目下、様々な世代の方々との交流に努めている。

たくさんの出会いに感謝

遂に2年間を振り返る時を迎えました。2年目は1年目を遥かに上回る充実した一年間でした。

1年目は当地で自分に何ができるのかを模索し、それに沿ったネットワーク作りに注力していたように思います。籍を置いているクレイトン大学での授業に加えて、小中学校、高校、大学の訪問、様々な文化イベントへの参加、姉妹都市関連イベントへの参加や支援等々何でも積極的に参加し、関係者との交流を深めました。

2年目も同様に幅広く活動しましたが、特にこの1年間は高校、大学からの訪問要請が多くなりました。また、2015年はオマハ市と静岡市の姉妹都市50周年に当たり、様々な記念イベントが企画されたことからそれらに深く関わることになりました。これらを通じて地元各界の多くの方々との親交の機会を得ました。

クレイトン大学での活動は一層本格化し、所属するアジア政治学科での授業の他、法学部、経済学部の授業にも度々招かれ、日本の政治、経済、歴史、文化等々について講義する機会を得ました。当初は授業時間の一部を割いて日本について「話しをする」機会を頂きましたが、2年目は授業時間をフルに使って「講義をする」ようになり講義テーマも一任されるようになりました。また、クレイトン大学主催の公開シンポジウムのパネリストにも招かれました。

ネブラスカ州内の他の大学にも招かれて、同様に「講義をする」機会がありました。学生達は日常的に様々な日本製品や文化に接しているものの日本の歴史と現状、日米関係など日本に対する理解は著しく乏しい状況です。広島、長崎は聞いたことがあってもそこで留まっています。日本ではアメリカに関する情報が溢れていますが、当地メディアは日本について殆ど伝えていないので依然として双方の認識には大きなギャップがあります。戦後の焼け野原からどうして高い倫理観を備えた経済大国、平和国家、そしてアメリカの友好国になり得たのか。そんな日本/日本人の有り様を度々話しました。今後も日本/日本人ファンを広げて行くことに貢献できればと思っています。また、多くの日本人が自らの言葉で率直に対話し交流することの重要性を改めて感じています。

オマハに来る前は、姉妹都市についての知識もなく関心もありませんでした。

オマハ市は世界6カ国の都市と姉妹都市関係を持っていますが、その中でも静岡市とは50年間に亘って極めて親密な関係を継続しています。両市の方々は手弁当でその関係の向上にご尽力されています。

この2年間の大きな収穫の一つは、こうした活動に関わることによって、真の「日米草の根交流」を体験できたことです。2015年夏以降の一年間で次の3つの大きなイベントが行われ、全てのイベントの企画、遂行に一貫して関わりました。いずれのイベントも両市の多くの方々がご尽力され、大成功を収めました。ひとえにそうした皆様の善意の賜物と思っています。

1. オマハ市で開催されたオマハ・シンフォニー管弦楽団と静岡フィルハーモニー管弦楽団とのジョイント・コンサート

2. オマハ市民の静岡市訪問

3. オマハ市での「駿府茶屋(数寄屋造り の茶室)」の建立・寄贈

こうした大きなイベントを作り上げていく上ではオマハ市、静岡市の皆様の円滑な意思疎通が最も重要なポイントでした。その重要な役割を担って、両市の信頼関係と絆の一層の強化にお役に立てたことを大変嬉しく思っています。

こうした活動が評価されて、クレイトン大学からは「 Distinguished Recognition Award」、オマハ市姉妹都市協会からは「Spirit of OSCA Award」を頂戴しました。

熊本での大地震に際しては、いち早くクレイトン大学内で募金活動を行い、善意の募金をシカゴ総領事館を通じてお送りしました。その際に地元テレビ局のインタビューを受け、その模様がテレビに流れたことは貴重な経験でした。

幅広く見聞を広めることもできました。2年間の締め括りにネブラスカ州内を車で回る機会を得て、5日間で1,500マイル以上(約2,500km)を走破しました。広大なネブラスカ州内を東西南北に移動する中でアメリカ開拓時代の名残を至る所で見ることができました。

7〜10マイル毎に現れる小さな町は、その昔馬車で移動する人達の休憩所や宿場町だったとのこと。今もレンガ作りの古い建物が残っていて、その当時の町並みが偲ばれます。現在も受け継がれている町の入り口には、町の名前とその人口を記した標識が設置されていて、人口100人以下の小さな町も見られました。コーンや大豆の畑、放牧地が延々と続く光景はアメリカの広大な大自然を実感し、果てしなく広がる大空は日本では絶対に見ることができないでしょう。こうした雄大な自然は気持ちも豊かにしアメリカン・ドリームを抱かせます。また、ヨーロッパ諸国からの多くの開拓移民と先住民インディアンとの間の苦い歴史にも思いを馳せました。

最後に、この様に見聞を広め、それまでの人生では巡り会う機会もなかった多くの方々との出会いを与えていただき、深く感謝しています。有り難うございました。

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星野 麻衣 Mai Hoshino
第10期 オマハ/ネブラスカ大学 オマハ校 国際プログラム
大学時代に留学中、国際交流に関心を持ちJOIへの応募を決意。

「ありがとう」が私の宝になりました

ネブラスカ州オマハ市のネブラスカ大学で過ごした2年間は、気づけばあっという間に過ぎてしまうものでした。2年前、初めて派遣先を聞いたときは聞いたこともない州に最初は戸惑いました。インターネットなどでネブラスカ州の情報を仕入れ、そのうちアメリカの中西部に位置し、穀物や畜産物を提供する農業州として知られていることを知りました。

派遣されてからの1年間は様々な事に慣れることで精いっぱいでしたが、そんな生活も2 年目を迎えると、気持ちに余裕ができて、多くのことを学んだり、経験したり、楽しんだりすることが出来ました。

そんな2年目の生活は、姉妹都市である静岡との交流から始まりました。1965年から姉妹都市国流を続けているオマハ市と静岡市。とても深い絆で結ばれた両市は、現在も交流を深め、静岡市からも毎年多くの学生がオマハ市にやってきます。また、学生だけではなく、静岡の学校で教師をしている先生方が今年の夏はいらっしゃいました。1 週間ほどの滞在でしたが、彼らが不自由なく生活できるようサポートし、一緒に多くの小学校・中学校・高校を巡りました。

昨年同様今年も開催された日本祭。飲食物を販売したり、折り紙を教えたり、習字を教えたりと様々な日本文化を体験できる貴重なお祭りです。子供から大人まで、多くの方が来場し、アメリカ人だけでなく、オマハに住む日本人も、お互いの交流を楽しめる日となりました。また、大勢の地元の方々がボランティアとして参加・協力をしてくださいました。多くの人々が協力しあうことで計り知れない大きな力が生まれます。さらにボラ ンティア同士の絆も深まりとても有意義なものとなりました。

今年も多くの学校でプレゼンテーションをする機会がありました。その中でも特に人気だったのが、やはり習字や折り紙です。どの学生も実際に作業を始めると、皆集中して習字を書き、折り紙を折り始めていました。何よりも、先生たちが学生以上に真剣に取り組み、誰よりも異文化を知りたいという熱意にあふれていました。中には、地元のコミュニティの方々がプレゼンをする際にボランティアとして協力をしてくださいました。みんなと協力して行うことによって、いつも以上に参加している全員が楽しめるものとなりました。

大学でもプレゼンテーションをさせてもらえる機会を頂き、教授が希望する日本のトピックについて話しました。そんな大学でのプレゼンの機会を通じて知り合った教授と、日本研究の知識をさらに深められるよう訪日研修を企画しました。日本でどんな授業を聴講できたら学生は日本に関する知識を増やせるか、どんなことを体験出来たら日本文化を理解してもらえるか等、様々な事を含めて日程等を調整しました。調整をすすめる上で、様々なトラブルもありましたが無事にスタディーツアーを開催できました。今回参加した9名ともにみな初めての日本滞在で、多くのことを学んだと思います。静岡姉妹都市協会のご協力のおかげで、学生たちは数日ではありましたが、静岡市でホームステイを体験することもできました。さらに静岡大学などでは、静大生と交流する機会もあり、日米の両学生が絆を深めることもできたと思います。

中西部に位置するオマハ市というとてものどかで平和な地域で、たくさんの友人を作ることもできました。2年間の滞在中は大学寮に住んでいましたがルームメイトはカザフスタン人とアメリカ人。 特に、日本にいたらなかなか会う機会がないような同世代のカザフスタン人と、2 年間暮らすことができたことも、私にとって非常に良い経験となりました。お互い自分の国の料理を作って一緒に食べたり、言葉を教えあったり、日本にいたらできないような暮らしをし、楽しく過ごせました。

さらに、2年間の生活を通じて知り合った家庭で家族同様の付き合いをしてもらえたことも、私にとっては非常に有意義な事でした。その方からは、私自身が多くのことを学ばせていただきました。口癖のように、「困ったときはお互い様よ」といつも言って、どんな時も私は彼女と彼女の優しい旦那様、娘さんに助けて頂き、家族同然のような付き合いをさせていただきました。ハロウィン、サンクスギビング、クリスマスなど、アメリカの家庭で行うようなアメリカの文化を体験できたことは今でも忘れられません。私が異なるアメリカの文化を学んで楽しめたように、アメリカで日本文化を学んでいただいた方々に、同じような楽しさを味わってもらえたのではと思うと、非常にうれしくなります。また、私も彼女のように、「困ったときはお互い様」という言葉を自然に使えることが出来ればと思います。

活動を終えた現在は、私の活動と生活を支えてくださった多数の方々への感謝の気持ちでいっぱいです。2年間、多くの人から「ありがとう」と言ってもらえたことは、私の宝になりました。そして、このような貴重な機会を与えてくださった国際交流基金日米センターとローラシ アン協会、ネブラスカ大学、オマハ姉妹 都市協会、さらにオマハ市で出会ったす べての関係者にこの場を借りて、御礼を申し上げ、私の2年目の体験記を締めくくりたいと思います。本当にありがとうございました。

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派遣対象地域

JOIプログラムの派遣先をご紹介します。
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