オハイオ州 Ohio

ホーム派遣対象地域オハイオ州

州の紹介

シンシナティの風景

1803年に17番目のアメリカ合衆国州となったオハイオは、三大都市のクリーブランド、シンシナティ、コロンバスで文化的な体験ができるだけでなく、長閑な田舎町や自然の中でゆっくりと過ごす選択肢もある州です。クリーブランドにあるロックの殿堂は、ジャンルを問わず世界中の音楽ファンが訪れる聖地の様な場所。ホッキングヒルズ国立公園では、カヌー、ハイキング、洞窟散策やロッククライミングなどのアクティビティが体験でき、週末に日常から解放されるのに最適な地として知られています。全米で最大のアーミッシュコミュニティであるアーミッシュカントリーでは、彼らの生活を垣間見ることができ、チーズやお菓子、家庭用品などを買い求めることもできます。

ロックの殿堂(クリーブランド)
ホッキングヒルズ州立公園

この州に派遣されたコーディネーター

平下 真衣 Mai Hirashita
第18期 ボーリンググリーン/ボーリンググリーン州立大学
高校在学時、ドイツでのホームステイをきっかけに国際交流に興味を持つ。大学では国際学部に所属し、米国ネプラスカ州で2 学期間の留学を経験する。卒業後、英語指導スタッフ・保存従事者として子どもたちと関わる傍ら、留学以来抱いていた日本と米国のかけ橋になる仕事がしたいという想いを叶えるため、JOIに応募。

また会う日まで

“Ohayō in Ohio!”「オハイオ」が「おはよう」の響きに似ていることから、そのような楽しい声掛けをもらうことが何度かありました。オハイオ州はアメリカ中西部の中でも北東に位置し、五大湖の 1つであるエリー湖に面しています。その北西部にある人口約3 万人のボーリンググリーン市にボーリンググリーン州立大学(BGSU) があります。
BGSUには副専攻としてJapaneseがあり、交換留学や日本での夏期講習、平和研修など日本に関するプログラムが充実している大学です。私はそこで、スーパーバイザーの川野朗子先生ととも にJapanese Programの促進やコミュニティヘのアウトリーチを行いました。キャンパス内に建つ鮮やかなオレンジ色の「BGSU」のオブジェを見たとき、ここが私の新しい居場所になるのだなと実感したことを今でも鮮明に覚えています。

キャンパス内での活動が多かった私ですが、コミュニティでの活動で特に思い出深いものが2つあります。その1つがカフェでの書道ワークショップです。そのカフェは、赴任当初から個人的によく通っていたお気に入りのブックカフェでした。幼いころから書道に親しんできたこともあり、書道の魅力を知ってもらいたいと思って企画したのがそのワークショップです。1年目の2月から3月に開催した計4 回のワークショップで、毎回新たなスキルを学べるよう工夫しました。参加者が書道に真摯に取り組む姿をみて感動したことを覚えています。最終回はコロナの影響でキャンセルになり、それ以来参加者と再会する機会はありませんでしたが、帰国直前にカフェを訪れることができました。スタッフの方から「とてもいいワークショップだったよ」と声をかけられ、時間が経った今もそう思ってくれている人がいると思うと感激しました。参加者の心にも残るワークショップだったのであれば・・・と今でも思い返します。
もう1つはブルワリーの屋外スペースで開催した七夕イベントです。コロナで年半ほどオンライン活動しかできなかったのですが、再派遣が叶った後、JOIの活動として最後にできた対面イベントでした。
イベントの1週間前から笹の葉を飾らせてもらい、当日来られない人も願い事を書いた短冊を飾れるようにしました。イベント当日は雨の予報で開催方法の変更を検討していましたが、準備直前に雨があがり、奇跡のようだと川野先生と喜んだことを思い出します。
短冊は1週間で121枚集まり、1時間半のイベントの間に80人ほどの方が来てくれました。参加のために足を運んでくれた方々だけでなく、偶然その場にいて声を掛けた人からも「参加させてくれてありがとう」とお礼の言葉をもらい、とても感慨深い気持ちになりました。たまたまそこにいたという偶然かもしれませんが、その一度の出会いによって生まれるものがあるのだと感じました。
2年目の終わりでしたが、出会いが国際交流のきっかけになり、その出会いをつくることができるのがJOIコーディネーターなのだと再認識したイベントになりました。

2年目はコロナによって環境や活動が一気に変わり、私の中でどのような活動がしたいかを新たに考える機会となりました。
コロナ禍で人と対面する機会が減り、ネガティブな空気を感じやすくなる中、ただ日米交流を促進するだけではなく、人と人との心の距離を近づけ、活動という形で何か楽しい時間を提供できないかと思うようになりました。その想いが少しでも叶ったと感じたのが図書館と共催したZoomでの折り紙ライブです。
月に1度のライブで、1年目の終わりから1年間毎月行いました。毎回来てくれた方がほとんどで、最後には参加者の顔と名前が分かるようになっていました。折り紙が好きになり折り紙セットを購入したというご家族や、お孫さんたちに作った折り紙を送ったというご夫婦・・・参加者の方々の声から活動を楽しんでもらえたというだけでなく、活動外でも輪が広がっているのだと感じることができ、とても嬉しく思いました。
最初は楽しい時間を「提供したい」という思いでしたが、そのライブを通して楽しいを「共有する」ことが絆になっていくのだと気づきました。

参加者との絆や輪の広がりを自ら直に実感できるほど参加者と近い距離で活動できるのが 草の根交流の魅力だと感じた2年間でした。コロナで世界中が予期せぬ事態に直面することになった中で、JOIコーディネーターとしてこの2年間BGSUで活動できたことをとても幸運に思います。
BGSUの学生で賑わうキャンパスやのどかなダウンタウン、すべてが愛おしく、ボーリンググリーンが私のもうひとつの居場所になったことを心から嬉しく思います。川野先生をはじめBGSUの学生や同僚、友人や活動を通して出会った方々、そしてJOIのスタッフの方々・・・みなさんのあたたかいサポートと心遣いがあったからこそ、この2年間笑顔で過こすことができました。また顔を合わせてお礼を伝えることができる日まで、感謝の想いを胸にこれからも過こしていこうと思います。。

 

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大杉 治英 Haruhide Osugi
第15期 ケント/ケント州立大学
大学卒業後、都内にて会計分野のシステムエンジニアと して勤務。その後、青年海外協力隊として、中米ベリー ズの小学校、中学校で活動。ICT 教育のカリキュラム作 成と授業実施。子どもたちの知見を広めるため、異文化 理解の授業を実施し、その楽しさと重要性を実感。培っ た経験を伸ばし、より深いアプローチを実践するために JOI プログラムに応募。

ケントで出会えたありがとうの絆

ケントから帰国する日が迫り、オフィスの片付け、荷物の整理を終えました。日本に送る荷物の中は頂いた、たくさんの手紙やプレゼントで溢れていました。この大切な贈り物を眺めながら、2年間の充実した日々を思い出しました。JOIでの経験、ここで培った人との繋がりは私にとって人生の宝物です。

日本を出発するまでは、「オハイオ州のケントってどんなところだろう?」「日本をよりよく知ってもらうために自分は何ができるのだろう?」と溢れる好奇心と不安でいっぱいでした。出発前にスーパーバイザーの方々と現地の生活について連絡を取ったのも懐かしい思い出です。

アメリカ到着後のシカゴでの研修の際に、これから2年間お世話になるジュディ先生にお会いし、今後のJOI活動の展望やケントでの生活の不安を解消できました。また先輩の方々とお会いでき、どの方もすごく輝いていて、アメリカでの生活にも慣れており、凄く頼もしく感じたのを覚えています。その後も、仲良くしていただき、何事も柔軟にとらえる姿勢について学ばせていただきました。

初めてのアウトリーチは地元図書館のポケモンクラブでのプレゼンテーションでした。ポケモン折り紙を披露したのですが、ポケモンに対する子どもたちのエネルギーが凄くて、日本の子どもたちと共通点もあるものだなと感じました。ケント近郊の公立図書館には必ずといっていいほど、ポケモンクラブかアニメクラブがあります。日本のソフトコンテンツがここまで普及しており、熱狂的なファンがいることは、大きな気づきになりました。

この2年間でJOIの活動を通じて、様々な場所を訪れられたことも大きな経験でした。元々アメリカの教育環境とボランティア活動に興味があり、ぜひ見てみたいと思っていました。小学校、中学校、高校、大学、コミュニティカレッジ、日本語補習校、図書館、美術館、教会、ガールズスカウト、仏教センター、日系企業、地元のマーケット、フェスティバル、サマーキャンプ、ライオンズクラブ、教育省等々、普段の生活では中々行けない場所へも足を運ぶことができました。

いくつか印象に残っている活動をあげてみます。アメリカには季節労働者がおり、その子どもたちが学ぶ機会を提供するために活動されている教授から依頼を受け、日本の食文化と書道についてプレゼンテーションを行いました。そこには、自らも移民で奨学金を得て、先生を目指している大学生ボランティアの方々がいました。

またケント州立大学では、Upward Boundプログラムを提供しており、その中で日本語のサマーコースを2年間お手伝いしていました。このプログラムは、低所得者層や家庭環境の恵まれない高校生、またはファーストジェネレーション(両親が大学を卒業しておらずその家で初の大卒者)となる高校生に大学機関で学ぶ機会を提供するものです。講師の大学院生と共に活動する中で、生徒の学ぶ気持ちの純粋さや日本に対する好奇心を素直にぶつけてくる高校生の熱量に私も力をもらいました。ここで学んだ生徒たちがどこかで日本と繋がりを持ってくれること、また今後もこの活動が続けられていくことを期待しています。

JOIの活動は、無限大でその可能性を伸ばすのはコーディネーター次第だと思います。自分が思い描いた部分を100%できなかった点もあり、JOIとしてもっとできたのではないかと思う部分もあります。逆に、自分ではできないことが、ケントで人に会い、助けられて実現したことも多数あります。そして、それぞれの訪問先で色々なドラマがあったことが鮮明に思い出せます。JOIの活動に興味を持って、コミュニティ活動にやりがいを見つけてくれた学生ボランティアの子たち、再訪した中学校の食堂で私の名前を合唱してくれた子たち、いつも訪問すると図書館の窓から手を振って待ってくれていた子どもたち、最後のアウトリーチ活動を送迎会パーティーでサプライズしてくれたギャレッツビルの人たち、その他大勢の人たちと出会えたことが最も大きな財産です。

一番よく訪問した図書館で、地元の人から別れ際に、「これまで日本のことを色々教えてくれてありがとう。君のパーソナリティー、ユーモアに惹かれて人はいつも集まっていたのだよ。だから私たちは日本に興味を持つことができたし、好きになった。」と言っていただきました。自分を通して、日本が見られているはずだから恥ずかしい格好だけはしないようにと心掛けた2年でようやくその役目を少しは果たせたかなと胸をなでおろし、感動してしまいました。最後に、スーパーバイザーとして陰で支えて、2 年間共に歩んでくださったジュディ先生、恵里子先生に心から感謝いたします。このチームを離れてしまうことは本当に寂しく思いますが、今後の益々の発展を切に願っております。

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飛彈 文音 Ayane Hida
第14期 フィンドレー/フィンドレー大学 マッザ美術館
大学卒業後、ハワイ州に短期留学。その時に、自分の国の文化とともに語学を教えることに興味を持ち、帰国後、日本語教師養成講座を受講。日本語教師を目指す中でJOIプログラムと出会い、応募を決意。

Try It Then You Know What It Is -やってみて初めてそれがどんなことかわかる

JOIの活動2年目に、私は大きなイベントに挑戦しました。ジャパン・フェスティバル、フィルム・フェスティバル、世界遺産写真展の開催です。

ジャパン・フェスティバルは学生のボランティアにお願いして、日にちや場所決め、広報など、一から全部自分たちで始めました。日本のお祭りのイメージで、ヨーヨー釣りなどのブースを10か所設け、真ん中のやぐらステージではソーラン節や盆踊りなどのパフォーマンスを行いました。キャンパスにある施設を借りて開催し、地域の方から学生たち、さらに大学のスタッフまで予想を超える合計23人の方にお越しいただきました。

国際交流基金ニューヨーク日本文化センター(JFNY)との共同イベントも行いました。そのうちの一つがフィルム・フェスティバルです。新海誠監督によるアメリカの映画とは違うスタイルの日本映画を2日間で3本上映し、文化の違いに驚いた声を多く頂きました。

JFNYとのもう一つの共同イベントは、世界遺産写真展です。写真家の三好和義さんが撮影した日本各地の世界遺産の写真約70点を、2つの会場で別々の時期に展示しました。会場選びから開催期間の調整、どの写真をどの会場にどのように展示するかまで、一人で動いて交渉し、そして会場での写真の展示を仲間に助けてもらって、みんなで一つの形にしました。フィンドレーは、アメリカから出たことのない人が多くいる町ですが、このイベントを通して、日本や広くはアジア文化について伝えることができたと実感しました。来場者の多くの方からアンケートで意見や質問を頂き、私自身が思っていたよりも反響がありました。この写真展を招致して本当に良かったと思います。

他に、この2年間を通して、Genki Kidsという放課後日本語プログラムを1学期に1回ずつ計4回開催しました。これは、日本語の歌やゲーム、アクティビティを通して、日本の文化に触れ、日本のことをもっと知ってもらうプログラムです。毎回、初めて日本に触れる新しい子どもや、以前にも参加してくれた日本のことが大好きな子どもたちがいました。

私にとって最後の学期のGenki Kidsで印象的なことがありました。Genki Kidsの対象は小学校3〜6年生の子どもたちですが、3年生の子どもを持つお母さんがそれを知らず幼稚園の弟を連れてきて一緒に参加させてほしいとお願いしてきました。その時のGenki Kids は期末最後の大きなイベントでソーラン節を踊ることを全体の目標にしていたので、私は彼にペースは速くないかなど頻繁に気に掛けるようにしていました。というのも、ソーラン節は多くのステップがあり、最年長の6年生ですら困惑していたからです。すると、その子が「この動作はできるかどうかわからないけど、挑戦してみることって大切だよね。」と私に言いました。この子の言ったことが、まさに私が2年間のアウトリーチで伝えようとしていたことなんです。知らないことや新しいことに出会い、学ぶ機会があるにもかかわらず、挑戦することを拒むことが、子どもだけでなく、大人にも見られます。初めて出会った料理や道具など、自分が好きか嫌いかもわからないのに、それを知ろうとしません。そこをどのように挑戦してもらうかを考えることが課題でした。

ある小学校3年生のクラスで、寿司作りをしました。みんなで巻き寿司を作り終えたところで、ある男の子が、寿司も海苔も食べたくないと言いました。今までに食べて嫌いなのか、アレルギーがあるかを彼に聞いたところ、彼はただ食べたくないだけだと言います。私は彼に、今日、寿司が好きか嫌いかを知ることができるし、もし好きだったらラッキーで、好きじゃなかったら次からは嫌いなことがわかるからそれもラッキーだね、と話しました。そして、彼は自分で作ったきゅうりアボカド巻きを、恐る恐る口に入れました。すると、彼は立ち上がり、大きな声でクラスメートに「寿司を大好きなこと今まで知らなかった!」と叫びました。これは、私の 2 年間のアウトリーチの中でも印象的な瞬間の一つでした。このことがきっかけで、私は、日本文化だけにかかわらず、他の国の知らない文化に対しても興味を持ち、挑戦する勇気を持ってもらいたいなと思うようになりました。

これらの他に、1年目に引き続き、派遣先のマッザ・ミュージアムに日本人絵本作家による原画の寄付を募る活動も行ってきました。そしてこの2年間で、絵本作家のさこももみさん、いりやまさとしさん、和歌山静子さんの3名のアーティストの方が、約70点の作品をミュージアムに寄付してくださいました。さらに、さこももみさんは2016年10月にマッザ・ミュージアムまでお越しくださり、彼女と小学校訪問を行い、日本の絵本がアメリカで読み上げられた瞬間に立ち会うことができました。

私がこの2年間全力でJOIの活動に取り組めたのは、ローラシアン協会、国際交流基金を始め、マッザ・ミュージアムやフィンドレー大学のスタッフ、日本人留学生や地域の方々、またアメリカで出会った友だちのサポートがあったからです。皆の支えなしで、この2年の冒険を終えることはできませんでした。ありがとうございました。

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大野 麻未 Asami Ohno
第10期 シンシナティ/グレーター・シンシナティ日米協会
大学卒業後、教員として働く。その間、青少年育成、国際交流活動分野でボランティア活動に参加。日本のことを多くの人に知って欲しいとの思いからJOIプログラムに応募。 オハイオ州シンシナティで活動を行う。

さらなる日米の絆のために

帰国前夜の日本語・英語カンバセーションテーブル。最後にYP(ヤングプロフェッショナル)のみんなにお礼を言ってからシンシナティを発ちたい、と思っていたところ、30人以上の方が集まってくれました。派遣先であるグレーター・シンシナティ日米協会 (JASGC)のYPグループが中心となって毎月実施している会ですが、この2年の間にはコアメンバーが抜けたり、参加者が数名しかいなかったりと、苦労した時期がありました。ですから、このように大勢の方が日本語と英語で楽しく交流する場となり、感慨もひとしおでした。これもコアメンバーのローレンとキャットのおかげと感謝しています。

このカンバセーションテーブルを通じて、これまで JASGCの活動に参加したことがなかった方や、地元の大学で日本語を学んでいる学生がボランティアとして手伝ってくれるようになったり、友達の輪を広げられたという話を聞いたりすることで、日本とアメリカの草の根レベルでの交流が確実に広がっているのを実感しました。また、JASGC本体とのつながりも深まったことで、活動の認知度が高まり、双方のイベントへの参加者の範囲も広がりました。

1年目の活動を終え、JOIコーディネーターとして残りの時間でどのような活動を行っていくのか、と考えたとき目標としたのは、私の帰国後も活動や交流が継続できる「持続可能な日米交流」でした。シンシナティには日本企業が進出しており、グレーター・シンシナティ(シンシナティを中心としたオハイオ州南西部、ケンタッキー州北部、インディアナ州南 東部)には多くの日本人の方が住んでいます。また、地域の大学では日本語や日本研究も盛んです。他のJOI コーディネーターの派遣地域よりも日本の認知度は高く、また恵まれていると言えます。しかし、着任した当初は、それぞれの組織やグループが連携して何かを行う、ということはあまりありませんでした。そのため、まずは私がいろいろなところへ行ってつながりをつくる、そして、それぞれをつなげていこうと思いました。

学校訪問や図書館でのプログラムを通して地域社会に日本についてのアウトリーチを行うとともに、家族向けのイベントや、日本語補習校や岐阜―シンシナティ姉妹都市のイベントのお手伝いを通して、日本関連の各グループとの連携を高めました。

その成果が出たと思うのは、ミュージアムセンターでのアジア文化祭です。前年の日本ブースの成功を受け、今年度はより広い場所の提供を受けました。姉妹 都市協会、折り紙や碁のグループ、大学の日本クラブ、石巻プレイグラウンドプロジェクト、地域の日本人家族をはじめ、多くの方々にお手伝いいただきました。日本の旅行案内、けん玉やお箸チャレンジなどのゲーム、日本語でのネームカード作り、折り紙のワークショップなど、様々な視点から日本紹介ができました。また、今年度は子どもたちがボランティアとして参加してくれたことで、より一層活発な交流ができました。私のアウトリーチで日本に興味を持った子ども たちの来場もありました。中には半日以上折り紙テーブルに座り、ほかの子たちに教えたり、新しい折り紙に挑戦したりした子もいます。子どもたちが仲良くなる力や異文化を受け入れる力というのはすごいなぁ、と改めて認識しました。

また、2 年目は、JASGC にアウトリーチプログラムがあることが地域に広まり、1 年目に比べ学校訪問の数も増加しました。「日本人はスシだけじゃなく、ハンバーガーやピザも食べるんだね」「僕も同じゲーム持ってるよ」「地図では遠く離れた国だけど、日本とアメリカの生活にはたくさん共通点がある」「違うこともいっぱいあって、おもしろい」。子どもたちのキラキラした目や驚いた顔を見たくて、どんなプログラムで紹介したら喜んでもらえるかな、と学校訪問が楽しみでした。基本のプレゼンテーションを確立し、最後の 3 か月はほぼ毎回、JASGC のスタッフやボランティアの方に一緒に活動してもらったことで、今後もアウトリーチ活動を続けていけるようになりました。このように JASGCを中心とした日米交流が活発に行われる基盤ができたことをうれしく思います。

2年前、初めてこの地に降りたったときには、文字通りゼロからのスタートでした。日本とは勝手が違ったり、文化の違いに戸惑ったり、不安になることもありました。JASGCスタッフのカーラ・ ロマネリやキャロリン・バリックロー、ホストファミリーや友達に助けられ、一 つずつ生活を築いてきました。仕事やボランティアでお世話になったみなさん、 心の支えとなってくれた友達、乗馬やポロクラブの仲間、アウトリーチ活動で出会った人々やこどもたち。たくさんの人たちとのかけがえのない思い出のあるシンシナティは私の第二の故郷です。この2 年間で築いた絆をこれからも大切にしていきたいと思います。そして、いつかシンシナティを訪れ、日米の絆がさらに深まっているのをみるのを楽しみにして います。

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米倉 夏江 Natsue Yonekura
第8期 フィンドレー/フィンドレー大学
大学卒業後、オーストラリアのアデレードに半年間留学。営業の仕事を経て、その後児童英語インストラクターの養成講座に通う。電気会社で勤めていた際に、JOIに出会い、応募を決意。

つながっていくこと

「やっぱり自分の家って落ち着くなぁ。」2年目に入る前に夏休みをとって一時帰国した時に感じたことです。夏休みが終わりフィンドレーに戻ってきた時、目の前に広がるのどかなトウモロコシ畑を見て、あたたかくて優しい故郷に帰ってきた気がして安心した気持ちになったのを思い出します。JOIの活動を始めて1年、新しいことばかりで必死の毎日を過ごした地は、もうすっかり第二の故郷になっていました。

様々なことがあった2年間、「つながり」をキーワードに特に印象深かったお話を紹介したいと思います。

スーパーバイザーの先生と私が、それぞれ活動弁士、落語家の方々とつながりがあり、それをもとにオハイオ州での活弁・落語口演を開催できればいいですね、と渡米する前から考えていた企画を2年目の秋に、国際交流基金ニューヨーク日米センターから助成金をいただいて実施することになりました。これまで大きなイベントに関わったことがなく、計画・準備と分からないことだらけで手探りでのスタートとなりました。活弁・落語は茶道や生け花と比べるとあまり知られていないので、新しいものを紹介できるというワクワクした気持ちとともに、受け入れてもらえるだろうかといった不安も感じていました。映像や動きを見るとしても、より言葉に頼る文化であるため、日本語に親しみのない人たちがどう感じるのかが心配の種でした。

しかし、始まった途端、そんな心配はたくさんの笑顔と笑い声でかき消されました。会場が一体となって小噺(こばなし)のワンシーンの動きをしている姿を見た時、大きな声で一生懸命、国定忠治の名ゼリフ、「赤城の山も今宵を限り~」と演じている姿を見た時、また口演後数ヶ月経って、「今でも家の冷蔵庫にセリフを貼って練習している」と学生が話してくれた時に、全ての不安や苦労が吹き飛びました。その場にいた人たちが演者の方々と接することで文化を体感する、その場面を目の当たりにした時でした。メインの活動が学校訪問である私は常に自分がプレゼンテーションをする立場で、プレゼンを聞いてくれている人達がどのように反応しているのかを客観的に見ることがあまりありませんでした。しかしこの時、参加してくれた人たちの嬉しそうな表情を見て、人から人へとつながるパワーの大きさを強く感じました。

「うちの学校にも来てほしかった。」見に来てくれていた地域の小学校の先生からの言葉でした。その言葉自体嬉しいものでしたが、さらに嬉しいことに、それが翌年実現することになったのです。JOIコーディネーターとしての活動は終わりましたが、そこでつながったものが先に続いていく結果となったという意味ですごく心に残るものとなりました。

私が特に力を入れて行ったものとして学校訪問があります。2年間を通して、多くの学校で月1度の定期訪問をさせてもらいました。子ども達にとって初めての日本との出会いを作る、との気持ちから大事にしてきた活動です。

その中で出会った一人の女の子の姿を見て、このJOIがどのように人に影響を与え、つながっていくのかが見えたことがありました。

定期訪問をしていた小学校4年生の女の子、クラスではおとなしく目立つタイプではありませんでしたが、そんな彼女が自信を持って他の友達に日本の紹介をしていたところを見る機会がありました。ガールスカウトに参加していた彼女が、あるイベントの東アジアを紹介するブースで仲間の子どもたちに折り紙を教え、日本の紹介をしていました。私の授業を飛び出してイキイキと楽しそうに仲間の子どもたちに日本の話をする彼女の姿に、私は驚いたのと同時に頼もしくもあり嬉しい気持ちでいっぱいになりました。

また、彼女のお母さんから、「家でも大人しい子で、あんなに堂々としているところが見られて本当に嬉しかったの。あなたのクラスも楽しんでいて、クラスで作った物は全て取ってあるのよ。」と後で言葉をかけてもらいました。クラスでは見ることのなかった彼女の姿とお母さんの言葉、大切にしてきた学校訪問に対してこれ以上ない自分への励ましになりました。また、このことから、JOIの活動が彼女以外にも同じような影響を与えて、色々なところで少しずつ広がっていっているのではないか、と感じるようになりました。

「つながり」これが2年間JOIコーディネーターとして活動して得たものです。出会ったすべての人とのつながり、フィンドレーという場所とのつながり、また活動をする中で、日本について学び考えるようになり、日本とのつながりも深まったと思います。オハイオの地で、アメリカと日本、人と人とのつながりを築くことができたと思います。そしてこれからは、このつながりが先に広がっていくことを心から願っています。

最後に、素晴らしい機会を与えてくださり、いつも温かく支えてくださったみなさん、本当にどうもありがとうございました。

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派遣対象地域

JOIプログラムの派遣先をご紹介します。
各州の概要や派遣されたコーディネーターの活動報告を掲載していますので、地図をクリックして是非ご覧ください。