サウスカロライナ州 South Carolina
州の情報
- コンウェイ
- スパルタンバーグ

州都 | Columbia/コロンビア |
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人口 | 512万 |
主要都市 | Charleston/チャールストン Columbia/コロンビア North Charleston/ノースチャールストン |
主な観光地 | チャールストン マートルビーチ ブーンホールプランテーション |
州の紹介
ノースカロライナと一つであったサウスカロライナは、独立13州の一つで、1788年に8番目のアメリカ合衆国州となりました。「パルメットヤシの州」と呼ばれる同州は、歴史的に奴隷売買に依存した米栽培やセルビオ農園、織物業で栄え、近年では観光業が経済を支えています。ゴルフコースやビーチはもちろん、大規模な農園や歴史建造物も見どころです。チャールストンは、南北戦争以前に建造された14,000以上の住居や教会があり、その美しい景観や雰囲気を味わいに国内外から多くの人々が訪れる観光名所です。マウントプレサントにある、国内でも歴史の深い農園ブーン・ホール・プランテーションでは、農園主や奴隷労働者たちの生活を始めとする、大規模農園の歴史が学べます。
この州に派遣されたコーディネーター
美しい自然と人々の眩しい笑顔に包まれた2年間
JOIの活動は、風のようにあっという間に過ぎていきました。今でもスパルタンバーグに到着し、緊張と期待で胸がいっぱいになった時のことを鮮明に思い出します。
2年間の活動は、学校や地域コミュニティ訪問、留学生への学校訪問指導などアウトリーチを中心としたものから、日本食や映画会、日本世界遺産パネル展示会、三味線コンサート等の日本イベントの主催、地域のインターナショナルイベント参加や派遣先のウォフォード大学の日本研修旅行計画や引率など、多岐に渡りました。2年目はサイト訪問も続けながら、より多くの人々にアウトリーチするため、イベント中心に活動していきました。その中でも特に思い出深い二つの活動を紹介します。
一つ目の活動は、スパルタンバーグで毎年10月に開催されるSpartanburg International Festivalでの日本ブース出展です。町のイベントの中でも特に大きなお祭りで、スパルタンバーグの総人口約3万7千人の内、毎年約1万人の人々が訪れます。このお祭りに日本ブースを出展するというのが、活動当初からスーパーバイザーと掲げてきた大きな目標の一つでした。スパルタンバーグ在住の日本人の方々だけではなく、隣町グリーンビルの日本人の方々にもご協力いただき、当日は日本、合気道、弓道の計3ブースを出展しました。
日本ブースでは日本の工芸品の展示、おりがみコーナー、そして東北地方に向けてのメッセージコーナーを設けました。特におりがみコーナーは、急遽新たなテーブルを設置しなければならない程大盛況でした。ブースの他にメインステージで合気道と弓道デモンストレーション、また観客の方との距離が近いステージで、盆踊りを披露しました。盆踊りパフォーマンスでは炭坑節のレッスンを行い、観客の方々にも踊りの輪に加わっていただきました。


スーパーバイザーには「同時に様々な計画を立て、実行する意志に感銘を受けたわ」と褒めていただきましたが、全てはご協力くださった皆様のご支援の賜物です。地元紙にも日本の参加を掲載していただき、日本コミュニティがすぐ近くに存在し、地元の方々との交流を望んでいることを伝えられたと思います。非常に大きなお祭りですが、「人と人との交流第一」をモットーに、地域の方々と日本の方々が直接交流できた良いイベントになったと思います。今後も日本人コミュニティの皆様に活動を続けていただける予定です。
二つ目の活動はJapan Interim Tripです。ウォフォード大学では、毎年1月にInterim という通常の勉学ではなく、体験型学習を中心とする学期が設けられています。その中でも Interim Tripは人気があり、毎年多くの学生が教授と共に海外研修へ出掛けています。合気道Interimからお世話になっている教授と再タッグを組み、出発の1年前から日本研修旅行の計画を始めました。計11名の学生が参加することになり、出発1週間前からサバイバル日本語やマナー講座を行いました。
東京、名古屋、京都、広島への2週間の旅は、ただの観光では経験のできない、人と人との触れ合いに重点をおいた特別な旅になるよう心がけました。中でもホームステイは大好評で、皆今でもホストファミリーと連絡を取り合う程の素晴らしい関係を築いていました。初めは「ホストファミリーに失礼にならないようにしなくては」と緊張したり、言葉の壁でコミュニケーションが取れるのか心配したりしていましたが、皆アメリカの良さを伝え、日本とアメリカ友好の懸け橋となってくれました。大雪に見舞われるハプニングもありましたが、生涯忘れることのない素晴らしい時を過ごすことができたと思います。この研修では、旅程作成からホテル・航空券予約、ツアーやアクティビティの設定、会計、ツアーコンダクター、通訳まで全て担当しました。計画当初から研修終了まで平坦な道ではありませんでしたが、非常にやりがいのある、貴重な体験をさせていただきました。

JOIの日米草の根活動の初めから終わりまで、サウスカロライナにいらっしゃる人々、そして国際交流基金及びローラシアン協会の皆様の温かなサポートに支えていただきました。JOIプログラムの素晴らしい点は、日本紹介を通して、日本を身近に感じてもらえるよう活動するだけではなく、コーディネーター自身がアメリカの人々に囲まれ、文化や慣習を学び、体験できることだと思います。この2年間の経験と出会えた方々は生涯の宝物です。今度は日本であまり知られていないサウスカロライナについて、日本の方々に紹介し、少しでも恩返しができたらと思います。

JOIコーディネーターとしてスパルタンバーグで活動することができたのは、皆様のお陰です。コーディネーターの任期は終了しましたが、引き続き日本とアメリカの友好関係のために活動を続けていきたいと思います。アメリカと日本の方々の交流の輪が広がり、日米の相互理解がより深まるよう期待しています。
現地での活動
2005年7月からJOIプログラム第4期コーディネーターの一人として2年間を過ごし、このたび無事帰国しました。慌ただしくサウスカロライナ州へ旅立った日のことがつい最近のように感じられます。少しの不安と多くの期待を胸に故郷・沖縄から研修先へ。そこで日本での事前研修で一緒だった同期のメンバーと再会できたときの安堵感は今も忘れることができません。 そして、派遣先でお世話になるスーパーバイザーのライス教授との対面。「私はあなたのスーパーバイザーとして、一番の理解者としてあなたのそばにいます。一緒に頑張りましょうね。」 教授の優しい笑顔と力強い言葉が、これから始まるJOIの2年間のアメリカ生活への大きな励みとなりました。ライス教授は、その言葉どおり公私共に私の一番のよき理解者であり、的確なアドバイスをくださる頼れるスーパーバイザーでした。
私の派遣先であったサウスカロライナ州コンウェイは州の北東部に位置し、米国南部の特徴が色濃く残るのんびりとした町です。隣接するマートルビーチ市は南北にどこまでも伸びる白いビーチを持つ観光都市で、年間1,400万人もの観光客が訪れます。私がお世話になったコスタル・カロライナ大学は、両方の町の特徴を楽しめる場所にあります。派遣先が決まった当初は「大学の周辺には何もない」と聞かされていましたので、どれほどの田舎町へ私は行くのだろうかと思っていました。確かに最初の2、3ヶ月は、生活に慣れるまで少し不自由な思いもしましたが、運転免許を取得し車を購入してからは日々の買い物に困ることもなくほっとしました。週末には川歩きに出かけたり、ショッピングやビーチでくつろいだりと、2年間でサウスカロライナの様々な場所へ出かけました。コンウェイ市ののんびりとした自然と人々、マートルビーチ市のにぎやかな海のある雰囲気が故郷の沖縄を思い出させてくれ、私にはとても心地よく住みやすい場所へ派遣していただいたのだなと感謝の思いで一杯になりました。
派遣されたコスタル・カロライナ大学は、約8,300人の学生を抱える州立大学です。立地条件が良いので全生徒の約半分が州外からやってきます。学生たちは緑の多い広々とした キャンパスで海洋学やゴルフマネージメント学など、バラエティに富んだカリキュラムで学んでいます。また第二外国語として選択科目の一つに日本語があり、日本の大学とも提携関係にあります。
JOIコーディネーターとして派遣された当初は、辛さや苦労を感じることもありました。大学の教職員へのご挨拶とネットワーク作りが着任後初の活動で、大学での挨拶が一通り終われば、次は図書館や学校などコミュニティへの挨拶。スーパーバイザーと二人だけでのこの繰り返しの活動に孤独感を感じることもありました。他の州へ派遣された同期の仲間と近況報告をし合い、彼女達の活躍を耳にするたびに「私も頑張らなければ」と焦る気持ちが募ることもありました。しかし、そう思うたびに“Each site is different.(「派遣先はそれぞれ異なる」)”と自分に言い聞かせていたものでした。同じコーディネーターであっても派遣される州も違えば組織も違うのです。活動内容が初めから違うことも当たり前なのだと、トレーニングで再三教えられてきたことを実感することが着任当初は多くありました。しかし、現地に住む日本人の方々と知り合うようになり、ボランティアとして私の活動を支えていただいたり、また個人的にもお付き合いいただいたことにより、この孤独感もなくなっていきました。
この2年間の活動内容としては、大学の講義でのプレゼンテーションと大学行事への参加、大人から子どもを対象にした市民図書館や教会などでの日本文化紹介プログラム、幼稚園から高校までを訪問して授業を行うスクール・ビジット、サマースクール等での授業の計画・運営、またコンウェイ市に進出した日本企業での通訳・翻訳が主でした。また、マートルビーチ市の商工組合のお手伝いで、東京で行われた会議に同行させていただくという貴重な体験もありました。活動を通じて皆さんから学ぶことの多かった毎日、「来てくれてありがとう」「楽しかった」と声をかけていただいたり、後日お手紙をいただいたりしたことが、この2年間の原動力でした。
一番印象深いのは、去年の8月から始めた日本クラブの活動です。ひとつ定期的な集まりを持ちたいと考えクラブを設立し、毎月日本に関するテーマを決めてコミュニティの皆さんへ参加を呼びかけたのです。茶道をテーマにした回は現地日本人の方にデモンストレーションを依頼し、ボランティアの方による和菓子の差し入れもあり、本格的な茶道のお手前を見ようと50人近くの参加者で会場がいっぱいになり大成功を収めました。嬉しいことに、この日本クラブは大学生の有志により今後も続けていきたいという形にまで盛り上げていくことができました。会場の確保や毎月の集まりの告知、ボランティアの方との打ち合わせなど企画の運営には大変な労力を要しましたが、JOIの任期後にも活動が続くのだと思うとその時の苦労も報われます。
2年間で少しでもサウスカロライナと日本との架け橋を築く助けになれたのなら私はとてもうれしく思います。これもスーパーバイザーのライス教授の温かい支えがあったからこそだと思っています。そして、このすばらしいチャンスを与えてくれたローラシアン協会と国際交流基金日米センターにも感謝しています。このJOIプログラムでの体験がこれから教師となって教育現場に携わっていきたいという目標の後押しになります。これまでの出会いを忘れず、また新たな道を行こうと思います。