ウェストバージニア州 West Virginia

ホーム派遣対象地域ウェストバージニア州

州の紹介

ニューリバーゴージブリッジ

ウェストバージニアは1863年に35番目のアメリカ合衆国州になりました。「マウンテンの州」と呼ばれる同州は、豊富な鉱産物資源により、今日でも石炭採鉱と代採搬出が経済を支えています。山や川などの自然は一年を通して楽しめるため、ハイキング、ホワイトウォーターラフティング、スキーなどのアウトドア愛好家たちに人気があります。2021年に誕生したニュー・リバー・ゴージ国立公園では、アパラチア山脈を抜けるニュー川でのカヌー体験やチュービングのほか、鉄鋼製の橋として最長のニュー・リバー橋の壮大さが楽しめます。州都チャールストンでは、ギリシャとローマ建築の影響を受けた美しい黄金色のドームが印象的な州議事堂が見どころです。

ウェストバージニア州議事堂州都
チャールストンの街並み 

この州に派遣されたコーディネーター

川添 愛実 Manami Kawazoe
第20期 ウェストリバティ/ウェストリバティ大学

京都府出身。両親の影響で幼い頃からアメリカの映画を見ることが多く、それがきっかけで海外に興味を持つ。大学時代、海外旅行やアメリカやオーストラリアへの留学を経験し、卒業後は英語を使って海外の人と関われるよう訪日専門の旅行会社に勤務する。その後新型コロナウィルスの影響でステイホームの時間が長くなったことから、以前から興味のあった日本語教師の養成講座を受講。講座修了後、オンラインで日本語を教える中で、言語だけでなく日本文化についても生徒と話すことが多くなり、日本で生まれ育った日本人でもまだまだ深く知らない文化があるなど、多くの発見があった。そんなときにJOIプログラムの存在を知り、大好きなアメリカで、オンラインではなく直接現地の方と交流し、日本を広めていく活動に魅力を感じ、このプログラムに応募。

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山口 真宏 Masahiro Yamaguchi
第17期 グレンビル/グレンビル州立カレッジ
幼い頃から海外旅行やホームステイを経験。大学時代、モスクワ(ロシア)留学をし、国際フォーラムや日本文化イベントに参加し、異文化交流に興味を持つ。大学卒業後は、一般企業で東京と京都にて勤務。これまでの経験を生かして、実際に海外で日本をきっかけに異文化に関心を持ってもらう活動に貢献したいと考え、JOIプログラムに応募。

第二の故郷、ウエストバージニア

ジブリ映画「耳をすませば」の主題歌「カントリー・ロード」の曲中に故郷として歌われるウェストバージニア州。私は、その中部に位置する小さな町にあるグレンビル州立カレッジに派遣されました。州全体がアパラチア山脈に位置しており、山深い自然に囲まれた風光明媚なエリアです。人口はグレンビルのあるギルマー郡全体でも8,000人程の小さなコミュニティです。人と人との距離が近くアットホームな雰囲気が、そこには広がっていました。町には必要最低限のお店(小さな食料品店やガソリンスタンド)はありますが、ウォルマートのような大型スーパーや映画館へは片道50分くらい運転しないと行けません。大学のキャンパスの外を散歩すると、携帯の電波すらないエリアがほとんどです。派遣当初は新しい環境に馴染めるか不安になったりもしましたが、そんな気持ちは一瞬で吹き飛びました。大学初日に食堂で夕食を食べていると、一緒に食べようと声をかけてくれたグループがいました。私が来たばかりで車をまだ持っていない事を知った彼らは、食事後、スーパーまで運転して買い物に付き合ってくれました。寮からキャンパスまで歩いていると、ほぼ毎日、通りすがった車がキャンパスまで乗せて行ってくれたりもしました。日本とは違うたくさんの温かい優しさが、ウェストバージニア州にはあるのだと感動しました。活動開始当初は何もかも手探りで何を誰にどうアウトリーチするのが良いか、毎日考える日々でした。そんな中、近隣学校への訪問や図書館でのアクティビティの活動をとおして、JOIコーディネーターのアウトリーチ活動の意味を考えさせられた出来事を1つ紹介したいと思います。

図書館での放課後アクティビティ

地域の小学校に隣接する図書館で、毎週2時間、放課後に児童を対象にアクティビティをしたときのことです。毎回、低学年から高学年まで年齢の違う子どもたちが15人くらい参加していました。丸一日勉強をした後なので、なるべく体を動かして自由に楽しんでもらえる内容で、年齢を問わないアクティビティをしました。今まで子どもと接した経験が少なかったので、考え過ぎてしまい、最初はなかなか成果が出ていないように感じていました。それでも、全く日本を知らなかった子どもたちが徐々に興味を持ってくれる姿を見て、やりがいを覚えた活動でした。初日を終えた後、司書の方が近隣のエリアの特徴や子どもたちが放課後のプログラムに参加をする理由について語ってくれました。共働き世帯で両親の迎えを待つ子ども、里親家庭に馴染めず図書館で夕方まで過ごす子ども、図書館で提供される軽食を求めて来る貧困家庭の子どもなど、図書館が社会的支援の役割を大きく果たしていることを初めて知りました。そして、「普段はアクティビティに参加せず、一人で図書館から抜け出して何処かへ行ってしまう子が、貴方のアクティビティには最後まで参加していたのよ。」と聞きました。実は、その子が1番楽しんで真面目に参加してくれていた子だったと知ったとき、嬉しくて胸が熱くなると共に、活動の意味を考えさせられました。

この出来事をきっかけに、少しずつ活動への意識が変わっていきました。日本を知ってもらうためのアクティビティをしていたのが、アクティビティに来て少しでも楽しい時間を過ごしてもらいたい、その上で少し日本に興味を持ってもらえるきっかけになると良いなという気持ちになっていきました。

2年目に入ってからは、私がグレンビルを去った後も続いていくプログラムをコーディネートすることが新たな活動の目標となりました。現地の異文化に興味のある学生が主体となった留学生クラブを作り、学生が自発的に異文化交流イベントを企画できる土台を作る活動をしていました。しかし、2020年に入り新型コロナウイルスの影響で全ての活動が一度中止となり、留学生クラブの活動も例外ではありませんでした。大学から公式にクラブとして認定され、ファンドレイジングで活動費を集めた矢先の出来事でした。このままではクラブは消滅してしまうのではないかと憂慮した時期もありました。ですが、部員の皆さんのサポートもありクラブは現在も成長し続けています。今学期はオンラインでミーティングやイベントを開くことになり、私も日本から参加できることになりました。JOIコーディネーターとして任期は満了しましたが、グレンビルとの関係は一生続けていきたいと思っています

2年間で信じられないくらいウェストバージニア州が好きになりました。ウェストバージニア州は私の第ニの故郷です。JOIコーディネーターとして働くチャンスを頂けたことを、本当に有難く思っています。この2年間の活動を支えてくださった国際交流基金、ローラシアン協会、グレンビル州立カレッジを始めとした関係者の皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。コーディネーターとして過ごした2年間は、私の人生の宝です。

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髙瀬 眞大郎 Shintaro Takase
第16期 ハンティントン/マーシャル大学
中高時代から様々な国との文化交流や留学経験を通して、異文化理解や教育・文化に興味を持つ。大学・大学院では英米文学及び教育学を専攻し、アメリカの高等学校にてインターンシップを経験。これまでの実践と培った経験を活かして日米両国の教育・文化交流の促進に貢献すべく JOI プログラムに応募。

日本とウェストバージニアの絆

ウェストバージニア州ってどこですか?とよく聞かれます。無理もありません。特段アメリカに詳しくない限りは州の位置さえ覚束ないでしょう。例外なく私もその一人でした。連なるアパラチア山脈と「ウェスト」のバージニア州として独立した歴史的背景。渡米前に造作なくネットで知り得た知識とその印象が、二年後の今になって大きく変わった事は言うまでもありません。

ウェストバージニア州は日本人がよく知るニューヨークやカリフォルニアと比較するとこぢんまりとした州です。豊かな鉱物資源をもとに炭鉱業や製造業による経済発展を遂げました。現地の方々が郷土を愛し、温かく子どもたちや地域の人々と関わる様子を見て、思わず気持ちがホッとする機会が沢山ありました。カントリーロードの歌にあるように、自分が生まれ育った郷土への愛情や所属意識というものがいかに美しいか、彼らの日常の生活がそれを教えてくれます。

そんなウェストバージニア州で日本の文化を紹介するのは少し難しいのではないか、と考えていた私の不安は現地着任後に一掃されます。幸いな事にJOIが二名、J-LEAPが一名すでに過去に派遣されており、私のミッションは「継続と発展」に絞られました。(私の着任後さらにJOIが一名、J-LEAPが一名新しく着任しました。)新しく開拓するだけでなく、どのようにかつての前任者らの貢献を継続し、またさらに発展させてゆくかを念頭においていました。

サステナビリティを重視する事は任期が限られるJOIの活動において非常に大切な観点です。

前任者の取り組みを踏まえて、自分はウェストバージニア州、またマーシャル大学で何を残し繋いでいけるのだろうかという不安感・責任感でいっぱいでした。しかし、スーパーバイザーのデイビッドさんと話を進める中で多くのアイデアを実現する事ができました。

一つ目に、JOI第10期の山田梓さんの図書館での活動がもとで、マーシャル大学の日本語プログラムに入学した学生へのインタビューをビデオに収めました。このビデオにはそれだけでなく、いかにJOIの活動が地域へ貢献しているかを各関係者へインタビューを行い、それらも同時に収録しました。彼女の取り組みが時間を経て、目に見える形で成果が出ていることや今もその図書館で料理教室や書道体験を通して多くの子どもと大人が日本文化に親しんでいるという事を学内外の方々に広く知って頂ける活動になりました。

二つ目に、私とデイビッドさんで立ち上げた日米姉妹校プログラムがあります。現在ウェストバージニア州では四年前から二校の高等学校が日本語のクラスを開講しています。その学校と愛知県東海市にある横須賀高校を姉妹校として繋ぎ、生徒間における文化交流学習を進める取り組みです。JOI第14期の本間恵さんとJ-LEAP第6期の山口慧さんが高校で始めたJapan Clubを中心に、より活動が活発になりました。自己紹介レターや年賀状の交換、学校文化紹介や生徒たちが練習して歌う英語・日本語の歌のビデオ交換など様々な活動を通して両校の生徒交流は深まりました。この様な活動も前任者やJ-LEAP第8期の上尾志乃さんの助けがあってこその成果であり、これからも引き続き発展させてゆくサステナビリティとして大きな礎を築きました。

最後に、JOIの一番基本的な活動である学校訪問です。子どもたちはいつも元気です、とはっきり言いたい所ですが現実はそうでもありません。教室にいる間は元気かもしれませんが、日々彼らの気持ちと感受性は変容します。家庭における文化・経済環境が異なる背景を持った子どもたちが学校には沢山います。教育や貧困の格差が如実に表れる社会全体の縮図が学校現場から始まっていることはアメリカに限った話ではありません。私は子どもたちとの限られた時間の中で少しでも何か残るように自分なりのルールを設けていました。それは、チャレンジしない子どもにはチャレンジさせるように、チャレンジする子にはさらにチャレンジさせるようにする事です。

私はただ日本文化に対する彼らの興味関心を説明や質問の回答で満足させるだけでなく、よりそれらが深まるように様々な角度から質問を投げかけました。先ほどまで俯いていた子どもが笑顔で自分の意見を発表する場面や、立て続けに質問をする子どもに少し考えさせる質問を逆に投げ返し議論が深まる場面など多くの彼らの学びの瞬間に立ち会う事ができました。おにぎりや折り紙などの家族へのお土産を手に、「さよなら!」と元気よく挨拶をしてくれた子供たちは私の貴重な思い出です。

日本とウェストバージニアには絆があります。それは寿司や自動車、ポケモンだけではありません。この絆を通して沢山の人と出会い、私は本当に幸せでした。日本の話に真摯に耳を傾けてくれた人々に、そしてこの絆をより一層深めるために全力で後押しをして頂いた全ての皆様に心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

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本間 恵 Megumi Honma
第14期 チャールストン/ウェストバージニア州教育省
大学時代にカリフォルニア州サンディエゴへ留学。日本語を学ぶ現地学生との出会いを通じて、アメリカの日本語・文化教育に興味をもつようになる。大学卒業後、東京の旅行会社で3年間営業として勤務。カリフォルニアとは違うアメリカを見てみたい、日米文化交流・理解の懸け橋になりたいと思い、JOIプログラムへの応募を決意。

たくさんの“ありがとう”をもらった 2 年間

JOIコーディネーターとしてウエストバージニア州で過ごした2年間は、私にとってとても貴重な経験となりました。ウエストバージニアは人種のるつぼとも呼ばれるアメリカにありながらも、まだまだ異文化交流の機会が限られており、国際的な観点からは未発展ですが、実は外国や異文化に興味があってもっと学ぶ機会がほしいと思っている方がたくさんいます。また、トヨタ自動車のような日系企業もあるため駐在されている日本人家族もたくさんいたり、日本とのビジネスを促進しようと州政府が懸命に取り組んでいたりと、JOIプログラムの派遣先としてはまさに最適な場所でした。

派遣先が州の教育機関であったこともあり、2年間を通して私の活動の中心となったのは学校訪問でした。アウトリーチ活動全体の90%以上は学校訪問に従事し、2年間で州内の50校以上の学校を訪問しました。子どもとふれあうことが大好きな私にとって学校でのアウトリーチはとてもやりがいがあり、一番思い入れのある活動でもありました。2年目の学校訪問で特に思い出に残っているのは定期訪問をしたミルトン中学校へのアウトリーチです。その学校では FLEX (Foreign Language Experience)という様々な外国語を学ぶカリキュラムを組んでおり、7年生はいくつかのグループに分けられ、それぞれ6週間ずつ日本語を学ぶことになっています。私は各グループに4回ほど定期訪問をし、様々なトピックを通じて日本に関するプレゼンテーションを行いました。学年ごとに学ぶ言語が決まっているため、7年生全員が日本語を勉強しなくてはならないのですが、中には全く日本に興味がない子どもたちもいました。そういった子どもたちにどうしたら興味を持ってもらうことができるかを考え、毎回できるだけ多くのアクティビティを含めながら工夫してプレゼンテーションを行いました。各グループへの最終訪問では図書館を借りてお寿司作り体験を企画しました。事前の準備や後片付けに加えて、50分程しかない限られた授業時間で子どもたちにお寿司作りをさせるのは大変でしたが、「メグのおかげでお寿司の作り方がわかったから、今度は家族や友人に作ってあげたい!」と嬉しそうに話す子どもたちを見ると、私の見えないところでも日本文化の輪が広がっていく気がしてやりがいを感じました。1年が終わる頃には7年生ほぼ全員と知り合うことができ、学校に足を運ぶ度に子どもたちに声を掛けてもらえるのがとても嬉しかったです。学校訪問では単発のアウトリーチが多かったため、定期的に訪問をして先生や子どもたちとの関係を築くことができたこの中学校での活動はとても思い出に残っています。

2年目は1年目よりも更に地域訪問に力を入れ、様々な年齢層、そしてより多くの方にアウトリーチすることを一つの目標としていました。私が派遣されていたチャールストンの町で催されるFestivALLと呼ばれる大きなアートのお祭りでは、Make & Takeというコーナーの一角で折り紙のブースを出展させてもらい、1日で150名以上の方に折り紙の歴史や作り方を紹介しました。また、ウエストバージニア・シンフォニーの主催するSymphony Sundayと呼ばれる音楽イベントでは、ウエストバージニアの州歌にもなっているカントリーロードを日本語で紹介し、参加者と一体になって歌うことができました。どちらのイベントも年に一度の地域の大イベントであるにもかかわらず、今まで海外からのゲストを招いたことがないからと私の参加をとても喜んでくれました。その他にも、マーシャル大学の一室をお借りして邦画上映会をしたり、いくつかの公共図書館と連携して無料でお寿司作りのクラスを開いたりと、活動は多岐に及びました。また、私が2年目を迎えた頃に、J-LEAP(国際交流基金の行う米国若手日本語教員派遣事業)でハンティントンの町に派遣された山口慧さんが日本語を教えているハンティントン高校で一緒にJapanclubを始めることができました。このように私が帰国した後にも続いていく活動があると思うと、とても楽しみです。2年目により力を入れた地域での活動では、老若男女問わず、これまで日本にあまり興味がなかった方へもアウトリーチをすることができ、「一人でも多くの日本ファンを作りたい」という1年目から掲げてきた目標の実現により近づくことができたように思います。

この2年間、これまでの人生では経験したことのない程たくさんの「ありがとう」の言葉を頂きました。そしてその言葉はいつも私の原動力となっていました。特に学校訪問で出会った子どもたちからの心のこもった手紙はかけがえのない宝物です。このような貴重な経験をする機会を与えてくださった国際交流基金日米センターとローラシアン協会、2年間に渡り公私ともにお世話になったスーパーバイザーの真美さん、そして日本からいつも応援してくれた家族と友人には感謝の思いでいっぱいです。たくさんの「ありがとう」の思いを込めて、2年間の締めくくりとしたいと思います。

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山田 梓 Azusa Yamada
第10期 ハンティントン/マーシャル大学
ニュージーランドの高校を卒業後、日本の大学に進学。 法律と国際関係論を勉強し、卒業後は民間企業に就職したが、 国際貢献への夢が諦めきれずJOIへの応募を決意。

「わたし」と「あなた」と「世界」の距離を縮める2年間

JOIコーディネーターとしてアメリカ・ウエストバージニア州で私が過ごした時間は、日本では得がたく、私の人生に大きな意味のある2年間となりました。米国の中でも決して大きな都市ではないハンティントンには、小さな街のよさがありました。街の人一人一人の顔が見えて、声が聞こえる距離感は、大都市にはない魅力です。イベントの翌日に、参加者の方とばったりとスーパーマーケットで会って、そのまま立ち話を30分してみたり、日本語教室の参加者が実は友人の親戚だったり。人との距離が近く、笑顔があふれるそんな素敵な環境で、2年間活動をさせていただけたことに誇りを感じています。

私の2年目の活動の目標は、1年目に築いた国際交流の土台をさらに強い絆に変えていくことでした。そのために私が常に意識していたことは「自分と相手と世界の距離を縮めること」でした。「日本から来ました」というと、多くの人、特に子どもたちが「遠くから来たんだね」と、母国を離れた私を気遣ってくれました。しかし、実際飛行機を使えば日本からアメリカは13時間ほどで着きますし、インターネットや情報テクノロジーが発達した今、それほど距離を感じることもありません。何より、彼らが思っている「日本」よりもずっと、日本には「アメリカ」があります。食べ物、車、ファッション、ドラマだって入ってきています。そのように世界をまだまだ「遠い」存在だと思わず「身近にあるもの」だと思ってもらうことが目標でした。

2年目の中でも、強く印象に残っている活動がふたつあります。一つは、夏休みに日本語イマージョンキャンプにメインのインストラクターとして携わらせていただいたことです。約90人以上の参加者の中で、日本語が話せる子どもはほんの数人という状況の中、全てが日本語で行われました。はじめは日本語ばかりの「異文化」の雰囲気に適応できず、泣いてしまった子どもたちも、最終日にはすっかり笑顔で、帰り際には「来年も絶対に参加する!」との嬉しい言葉を残してくれました。朝登校して、みんなでラジオ体操をして、日本語の授業を受けて、お昼ご飯も日本食、休み時間の遊びも日本の遊び・・・大人だって尻込みするような状況で、子どもたちは生の異文化をその身体全体で感じてくれたことだと思います。また、主催者側の私たちにとっても、言葉の壁を軽く乗り越え、異文化を目一杯楽しむ子どもたちを見ることで、私たちの目標とする「異文化交流」が理屈や、教科書上の勉強ではなく、私たちの異文化を楽しむ心一つで進められることだと実感させられるキャンプでした。

もうひとつ、この2年間で一番大きな活動は「絆プロジェクト」でした。東日本大震災からの復興のため、青少年交流を通じて、日本再生に関する外国の理解を推進することを目的として立ち上げられたこのプロジェクトに、アメリカ側として日本語を教える地元の高校2校の引率者として参加しました。23人のアメリカ人高校生と日本に約2週間滞在し、テレビやインターネットではなく、その目で見る本物の日本を体験してきました。その中でも特に、被災地訪問では実際に震災を体験した皆さんとふれあい、その生活を見ることで、彼らの「日本」への接し方が変わったと思います。「震災=悲しい」というイメージばかりが先行していた出発前とは違い、その悲しみを乗り越えて笑顔で頑張るその姿を見て、日本の復興を願い、その手伝いをしていきたいと参加者の高校生が言っていました。23人中22人が生まれて初めてパスポートを手にして、皆と結束して飛び出した初めての日本。彼らが見た世界が「遠い」ものなのか「近い」ものなのかは分かりません。しかし、ホストファミリーや、日本からウエストバージニア州を訪問した日本人高校生と現在も続く交流を見ると、このプロジェクトを通して彼らは、世界への第一歩を踏み出したのだと実感しています。

2年間の活動を通して絶えず「ありがとう」の言葉を皆さんからいただきました。そして、その言葉を原動力として私もここまで頑張ってくることができたのだと、任期を終えてしみじみと感じています。現在私は、大学の専攻とこの活動での経験を活かして「市民協働による国際的なまちづくり」の実現を目標にしています。ウエストバージニア州を離れ、今後活動の場は変わってしまいますが、この目標の実現によって、きっと世界がもっと身近に感じられ、いつかまた私とウエストバージニア州が繋がる日も来ると思っています。

最後に、私に、ウエストバージニア州でJOIコーディネーターとして働くチャンスを与え、温かいご支援をくださった国際交流基金、ローラシアン協会、マーシャル大学、そして、この活動を通して出会えた全ての方にこの場を借りて心より感謝申し上げます。

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織田 美千子 Michiko Oda
第5期 ベサニー/ベサニー大学

JOI で出会ったたくさんの笑顔

JOIのコーディネーターとしてウェストバージニア州のベサニー大学に派遣されました。有意義な2年間を過ごすことができたことに感謝し、これからも、日本人であることに誇りを持ちながら国際社会の一員として、外国の人々との交流や協調に関する仕事をしていきたいという思いを強めています。

ベサニー大学での私の仕事は、日本関連のアウトリーチ活動を立ち上げることでしたので、まずは、日本紹介をさせていただく訪問先を探すことから始めました。地域の学校など候補を調べてダイレクトメールを郵送したり、電子メールで活動内容をお知らせし、電話でフォローをしたりしましたが、当初は快く受け入れてもらえないことも多く、ストレスが溜まることもありました。それでも、訪問を快諾してくれる先生が見つかると、その先生を介して学校全体をターゲットにアウトリーチ活動をさせてもらったり、知り合いの先生の所属する別の学校を紹介してもらってアプローチしたりと、2年目からはぐっとネットワークを広げていくことができるようになりました。
日本文化に興味を持つ先生に出会えればラッキーです。私の活動に対しても積極的に協力してくださいますし、先生自身が継続的に生徒に日本を紹介することも可能になります。その一例が、今年の6 月にK-12(幼稚園〜高校)の先生方を対象に開催した「ジャパンインスティチュート」です。前半4日間はベサニー大学の宿泊施設に滞在して、朝早くから夜遅くまで日本に関する集中講義やワークショップに参加していただき、後半10 日間は、名古屋での教育現場視察、ホームステイを中心に、大阪、京都、東京も訪問しました。終了後、彼らが見聞きした日本を生徒らと共有している様々な活動レポートが送られてきており、とても嬉しく頼もしく 思っています。

アウトリーチのターゲットは、幼稚園児から100 歳を超えるお年寄りまで様々でした。必然的にプレゼンテーションの内容も多岐にわたります。一例を挙げると、書道、生け花など日本の伝統文化に関わるものから、映画、アニメなどの現代文化、結婚式やお正月などの行事、さらには外交や宗教にいたるまで。もちろんそれぞれのテーマの専門家ではありませんので、深く踏み込んで解説することはできませんでしたが、自分なりに勉強してご紹介しました。不十分な英語を補うために、視覚的な資料を利用するよう心がけました。

2年間でアウトリーチした方々の延べ数は43,907人、月平均1,829人、日平均 60人にもなります。自分に合ったやり方・自分のペースで、かつサイトのニーズを考慮しながら活動計画を練ったことが、良い結果につながったと思っています。アウトリーチの延べ数に大きく貢献したのは、任期中通算4 回実施した和太鼓ツアーでした。ベサニー大学に語学留学した経験のあるプロの和太鼓奏者の方が助っ人になってくださり、州内はもちろん、時には近隣の州まで出かけて和太鼓の演奏と日本紹介のワークショップを行ないました。どこに行っても和太鼓は大人気で、大人から子どもまで、多くの方に日本に対する関心・好感を持ってもらえたと思います。
和太鼓ツアーは、地道にK-12を訪問して日本紹介をしていく活動のほかに、何か時期限定の特別プログラムを加えたいと思ったことが始まりです。予算のない中、そのための資金調達は私にとって重要なテーマでした。助成金の申請などにはかなりのデスクワークも要求されます。単独での申請が難しい場合は、ツアー実行に協賛してくれる学校・先生方の協力を得られるよう努力しました。多くの協賛を得られれば、それだけ幅広いアウトリーチ活動ができるという魅力もあります。全てをコーディネートする作業は大変でしたが、大きなイベント開催に向けて一つずつ準備していくのは、わくわくする仕事でした。
私の活動の原動力は3つありました。1つ目は、自分の準備したことに対する評価を現場ですぐに確認できることです。頑張って準備すれば必ずそれが伝わります。子どもたちの眼が輝くのを見るとき、身を乗り出して質問をしてくるとき、「ありがとう」と感謝の気持ちを伝えてくれるとき。さらにその後も、参加者全員のサイン入りのお礼状が届いたとき、習字を額装して家に飾ったと写真が送られてきたとき、現地の先生が自ら日本について調べて予備授業をしてくれていたと知ったとき、子どもたちが家族に日本の話をしたと聞いたとき、折り紙を習った上級生が下級生に教えてあげているのを見たとき・・・。こんなとき、私のモチベーションはさらにアップします。
2つ目は、プライベート生活の充実です。ベサニー は田舎で何もないという環境を逆手にとって、ここ でしかできないことを積極的に楽しむことにしました。毎日欠かさず和太鼓とドラムの練習に精を出し、週末には乗馬を楽しみました。どれも、ベサニーに 着任してから始めた手習いです。東京では考えられ なかった自然の美しさも心をなごませてくれました。
3つ目は、様々な人たちに会える喜びです。異文 化で育った人間同士が、相互の共通点や相違点を発 見し、そのたびに驚きや興味が深まっていくという 貴重な体験をしました。大人からも子どもからもたくさんの刺激をもらうことができました。
最後になりましたが、関係者のみなさんのおかげで、2年間の任期を無事に終了することができました。いろいろとお世話をいただき本当にありがとうございました。

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派遣対象地域

JOIプログラムの派遣先をご紹介します。
各州の概要や派遣されたコーディネーターの活動報告を掲載していますので、地図をクリックして是非ご覧ください。